生存者の報告――奇妙な服の男の話
拠点を作ってからの動きは早かった。
今まで城壁の中に籠っていたのは、単純に外へ打って出る形に向いていなかったからだ。グレインフォールの城壁は戦争用ではなく、あくまで対魔獣用。軍勢を一気に外へ出すための造りにはなっていない。
だからこそ、この間ようやく作った簡易拠点が出撃地点の代わりになった。
そこから生まれた動きは二つある。
一つは街道護衛だ。縄梯子を使って外へ出る以上、馬車も荷馬も使えない。交易は人力頼みになる。となれば、商人と荷役士と冒険者で無理やり隊商を組むしかない。
知り合いで言うなら商人はロブ、護衛の要はレオンたち『街道の守護剣』だ。大量の物資を運び込めるわけじゃないが、スタンピードが片付くまで耐えるには最低限の物資を街へ入れ続けなきゃならない。
もう一つは当然、間引きだ。
こっちはクラウスを先頭に、グレインフォールの騎士と兵士、それに中位冒険者たちが組んでいる。俺たち『鍛鉄の剣鉈』もこちらだ。
しかも少しだけ特別扱いだった。盗賊討伐を一緒にやった実績もあるし、俺とリゼがいればクラウスとの意思疎通が早い。そういう理屈で、俺たちはクラウス直属みたいな位置に置かれていた。
ある意味では、今のグレインフォールの実力派が揃ったドリームチームと言っていい。
だが、それでも状況をひっくり返せるほどじゃない。森からはまだまだ魔獣が出てくる。一度減ったように見えても、それはただの切れ目に過ぎなかった。
ゲームで言うウェーブみたいに、息をついた頃にまた次が来る。
だから今は、城門の周りを少しずつクリアリングして、そこへ次の出撃拠点を作るので精いっぱい。
壁外に作った簡易拠点は城門前の出撃拠点に取って代わられたようなものだけど、馬を扱えるようになったのは進歩と言える。
しかし、馬は財産だ。魔獣がこうも多いと安易に失うわけにはいかない。だから交易に馬はまだ使えない。
それでも、少しずつ討伐は進んでいた。
目に見えて道が開けるわけじゃない。だが――昨日より今日のほうがほんの少しだけ前に進んでいる。
僅かだが希望が見え始めた頃、さらに別の情報が舞い込んできた。
――森へ討伐に出たきり戻らなかった冒険者が、一人だけ生きて帰ってきた。
携帯食を多めに持っていたこと。木の上に潜んでやり過ごせたこと。魔獣の波と波の隙を見計らって脱出できたこと。
準備の良さと胆力と運。その全てがなければ生存することは不可能。
しかしやり遂げたその冒険者が、ギルドホールで森の様子を語っている。
グレインフォールの役人たちとギルド関係者、騎士と兵士、そしてクラウスが主となって彼の話を聞いている。
もちろんグレインフォールに残る主力の冒険者もだ。だから俺たち『鍛鉄の剣鉈』もこの場に参加していた。
ホールの中央に座っていたのは、痩せた男だった。
無精ひげが目立ち、顔色が悪い。けれど目だけはギンギンに見開かれている。
極度の緊張状態から、まだ抜け出せていないらしい。
「それでダルトン。何があったんだ?」
ボルクが神妙な顔つきで話の続きを催促した。
ダルトンはそこそこ腕のある冒険者で、俺も何度か話をしたことがある。
出世欲はそれほどなく、ただ美味い酒と飯、そして女さえあればそれでいいという、ある意味で平均的な冒険者だ。
「……まさかもまさかさ。信じられないものをこの目で見て、聞いた」
「もったいぶるな。ダルトン」
「ボルクの旦那……自分でも信じられないからこそ、こんな口振りであることを察してほしいね」
テーブルの上の水をジョッキで一息に飲み干し、それからダルトンは話し始める。
「あれは木の上に隠れてた時のことだ。もう駄目なんじゃないか……そう考えていた時に、下から男の声が聞こえてきた」
「男? 森に人がいたのか?」
短く問うたのはクラウスだった。
それにダルトンは重く頷き返しながら、話を続ける。
「ええ……魔獣じゃなく、人間の声だった」
そこで少し間を置く。
目を閉じて、その時の光景を思い出そうとしているのだろう。
一回だけ深く深呼吸して、それから口を開く。
「……見たことのない服だった。冒険者でも旅人でもない。なんつーか、奇妙な服の男だ。木の上にいたからな。影になって見えない奴もいたが、声からして男は二人いた。それで……そいつら言ってたんだよ。森の魔獣をグレインフォールへけしかける――ってな」
「……」
その話を聞いて、ホールが静まり返る。
スタンピードが起きているのに、その真っただ中の森の中に人間がいるという時点でおかしい。
しかも話からして、ダルトンのように隠れているわけではなく、むしろこのスタンピードを起こしているような口ぶりだ。
「たしか……王国の力を削がなきゃならん、とか。グレインフォールから先に潰せ、とか。そんなことを言っていたな。全部を聞けたわけじゃねぇ。けど、そういう話だった」
「……他に聞いたことは?」
クラウスの問いに、ダルトンは首を振る。
「それだけだ。あまりに怖くなっちまって……木の上で震えてた。魔獣を操って、グレインフォールを襲わせる話をしていたことしか覚えてないんだ……すまねぇな、騎士様」
「……」
クラウスが腕を組み、無言となる。
そこでいったん話が終わったことで、ざわざわと周囲が騒ぎ始める。
「魔獣を操るだと? んな話、聞いたことねぇぞ」
「生き残りの冒険者を疑いたくはないですが、とても信じられる話では……」
「聞き間違いじゃないのか? いや、それでも人が森にいる時点でおかしいか……」
「ダルトンの腕は悪くないが、それでも木の上で恐怖と一緒に飢えてりゃ、変なことも聞こえてくるだろう」
ギルド職員、役人、騎士に兵士に冒険者。
好き勝手な声が飛び交う。だが、共通していることは「それは本当か?」というような声だ。
……無理もない。荒唐無稽な話だからな。普通に考えれば、人間に魔獣を操る力なんてあるはずがない。
――ただ、俺は安易に否定できない。なぜなら、俺という人間そのものがこの世界にとって超常の存在だからだ。
まず最初に、異世界人ってのはなんだ? 俺は精神だけだが、現代日本を生きた一人の男だ。
それがこの世界のリーネに成り代わって、今では冒険者をしている。……そちらの方が信じられないんじゃないのか?
さらに精神操作魔法だ。こいつは人の心に干渉する禁忌の魔法――オリジナルリーネの持っていた才能を、俺は今まさに使っている。
この精神操作は魔獣を操ることはできなくとも、影響を与えることはできる。
ついこのあいだグレイマウルを討伐するのに使ったばかり……となれば、さらに強化された精神操作なら魔獣を操ることなど容易いのでは?
俺にはこの世界の常識から外れた経験と知識がある。そんな俺から見たら、魔獣を操る男の話なんて、むしろ信憑性の方が高い。
――一番この世界の常識で信じられないのが、俺自身なんだからな。
「そこまで! 議論は結構だが、こうも纏まりを欠いては意味がない」
クラウスの声が響き、それによってギルドホールは静かになる。
「ダルトンと言ったな。お前は嘘をついていないと誓えるか? 無論、勘違いや聞き間違いであったとしても罰することはない。ただ、己が記憶のみを頼りに応えよ」
鋭い声がダルトンに飛ぶ。
それを受けて、ダルトンはニヤリと笑みを浮かべた。
「……冒険者として生きてきたこの人生に誓って、嘘などついていない」
ゆっくりと、だがはっきりとダルトンは言い切った。
それを受けてクラウスが結論を出す。
「元凶が森の中にいるのなら、見つけ出して問いただす必要がある」
それは、ダルトンの言い分を信じると公言することを意味していた。
「本当にこの事態を引き起こしたのなら、相応の報いを与えなければならん。そのためには森に詳しい冒険者の力がいる。そのための依頼は一つ」
クラウスはダルトンに、そして周囲を囲む冒険者たちに目を向ける。
「俺を、その場所まで連れていけ」
今度は別の意味で、空気が重くなる。
「本気ですか、騎士様……」
「魔獣を操るなんて話、信じるんですかよ」
「勘違いって線は、捨てきれませんぜ?」
冒険者の返事は鈍かった。
それは当然だ。証言は荒唐無稽だし、ダルトンが正気である保証はどこにもない。
それを頼りに危険な森へ向かうのは、無理がある。
――でも、このまま守りを固めるだけじゃじり貧だ。少しずつ持ち直しているように見えても、それは延命にすぎない。
……はぁ、我ながら損な性格をしている。
俺にしか理解できないことがある。この場で動けるのは、俺だけかもしれない――そんな想いが、俺に口を開かせた。
「私は行きます」
自分でも驚くくらい、声はまっすぐ出た。
周囲の視線が集まるのを感じるが……知ったことか。
「誰かが行かないとならないのでしょう? 森の深部のことは知りませんが、グレイマウルが出現するところくらいまでは覚えがあります。クラウス兄様の力になれるはず……しかし――」
そこで一度、仲間を見る。
「これは私個人が決めたこと。パーティーの皆に強要はできない」
流石に無理強いはできないと思い、そう口にするが――。
「私はリーネについて行きます。護衛としての立場を捨てたわけではないですからね」
リゼが即答した。
……護衛の立場か。本当にそうなら、俺の行動に反対するべきじゃないのか?
だから、それは建前なのだろう。でも、だからこそ寄り添ってくれるという意思を感じる。
「リーネとリゼが行くのに、俺が行かないでどうするよ。槍使いは欲しいだろ?」
「支援術師もいたほうがいいわよね」
続けてハルトとエステルも続く。
無理に付き合う必要はない。そう言おうとした瞬間――。
「斥候も、いたほうがいいね」
ナギがそう言った。
それはいつもの小さい声ではなく、はっきりと言い切るものだった。
さらに、これで終わりじゃなかった。
「こういう時は荷役士も必要だろ?」
割り込んできた声に振り向く。
それは交易の打ち合わせでたまたまギルドにいたトビーだった。
「森の中を探索するなら、誰が食い物や道具を持っていくんだって話だ。そういうのはオレの仕事だろ?」
……皆の言葉が、心に染みてくる。
俺は、仲間を持つことができたのだ――と。
「……ありがとう」
短く感謝だけして、クラウスに向き直る。
「中位パーティーになるかならないか、そんな私たちですが……クラウス兄様は必要とされますか?」
そんな俺の問いに、クラウスは微笑を浮かべてこう言った。
「十分だ」




