王都からの救援
スタンピードが発生してから、一週間が過ぎた。
その間、冒険者たちはほとんど何もできなかった。門の外へ出ることは許されず、できるのはせいぜい、城壁の上での手伝いや荷運び、あとはギルドホールで鬱屈を腐らせることくらいだ。
酒の量が増えた連中もいれば、くだらないことで喧嘩を始める連中もいた。閉じ込められている、というのはそれだけで人を蝕む。
『鍛鉄の剣鉈』も事情は同じだった。
ただ、一つだけ他の冒険者と違ったのは――リゼから稽古をつけてもらえることだ。
三羽雀亭の庭は、今日も木剣の打ち合う音で満たされていた。
俺とハルトの番はもう終わっている。今はナギが、短剣を模した短い木剣を持ち、リゼの前を細かく動いていた。
「……っ」
ナギの足は速い。
左右へ揺さぶり、視線を散らし、時々わざとらしく肩を落として踏み込む。
翻弄するつもりなのは見ていて分かった。だが、それに対するリゼはほとんど微動だにしない。泰然自若って言葉は、こういう時に使うんだろうなと思う。
あれでは、動いているナギのほうが先に消耗する――そう思った矢先だった。
ナギが一歩深く踏み込み、右と見せかけて左から入る。
――フェイントだ。けれど、リゼはその瞬間だけ前へ出た。木剣が上からではなく斜めに落ちる。打点と体重移動をきっちり使った、剣術の基本。
だが、基本はそのまま奥義にもなると、リゼから教えられている。今の一撃が、まさにそれだ。
あれをやられた側からすればたまったもんじゃない。ナギはリゼの木剣で押さえ込まれ、そのまま体勢ごと崩される。
「……まいった」
地面に縫い付けられたまま、ナギがすぐに負けを認めた。
リゼは一歩下がり、いつもの涼しい顔で木剣を引く。
「今のは悪くありません。ですが、詰める時に重心が前に残りすぎです」
「……うん」
「焦らずに。速さを活かすのは、そのあとです」
リゼからお褒めの言葉を貰えるとは、やはりナギはセンスがいい。
もし俺に精神操作がなかったらどうなるか? ……多分、リゼから褒められるにも時間がかかっただろうな。
――なんて、ナギの才能に嫉妬をしても意味がない。むしろ頼れる仲間がいてくれて、嬉しいくらいだぜ。
「ナギのやつやるなぁ……。でも、だからこそ負けていられないよな」
そんな感じで、ハルトもやる気を出している。実にスポ根っぽいじゃないの。
俺は体育会系じゃないけど、そういうノリは嫌いじゃない。
これで一巡が終わり、次は俺の番となる。気合を入れ直して立ち上がろうと思ったところで――三羽雀亭の庭に入ってくる者たちがいた。
「ただいま……」
「疲れた……」
入ってきたのはエステルとトビーだった。
二人とも顔が冴えない。エステルは支援術の使い手として城壁の上へ呼ばれていたし、トビーは石を運んで落とすために駆り出されていた。
他にも遠距離攻撃をできる冒険者などには依頼があり、必要とされるものは、できる範囲で動いていたというわけだが――。
「お疲れさん。どうだった?」
「どうもこうもないわよ」
エステルが肩を落とした。
「ちょっとの弓矢じゃ数が足りないし、石をいくらか落としたところで焼け石に水。見える範囲だけでも魔獣がうようよしてるんだもの」
「頑張って石をたくさん運んだんだぜ? それを落として、当たれば当然効くけど、だから何だって話だ。労力に見合ってないぜ……」
トビーまで苦い顔をしている。
いつもは明るく自信のあるこいつが、ここまで素直に弱音を吐くのは珍しい。
「城壁の上からは見てないけど、やっぱり完全に包囲されてるってこと?」
「軍隊みたいに囲まれるってわけじゃないのよ? でも、城外そのものが生息域って感じで、魔獣が自由に闊歩しているの」
……囲まれるよりひでぇや。そりゃあどうにもならんよな。
「駄目だこりゃ。グレインフォール、持つのか?」
ハルトがそうこぼすと、庭の空気が一段沈んだ。
思っていても口に出したらいけないこと……というには、状況が悪くなりすぎているか?
誰もが何も言えずに、沈黙が満ちる――かと思ったところで、木剣が地面をしたたかに打つ音がする。
「だからこそ、稽古を止める理由にはなりません」
「リゼ……」
リゼだった。
その目にあるのは絶望や諦観などではなく、ただ今するべきことをするという信念なのか?
俺たちのように、意気消沈するような雰囲気は微塵もない。
「何もできないからこそ、できることをやるのです。嘆いて状況が好転するなら、私もそうします」
きっぱりと言い切られると、返す言葉がない。
確かにその通りだ。俺たちにできることなんて、今は本当に少ない。
だからこそ、体が鈍るのだけは本当にまずい。何かチャンスを掴めるタイミングで動けなくなるのが、一番やってはいけないことだ。
「リーネ。次はあなたの番です」
「……分かった。こうなれば訓練時だって、むりやり意識を変えないとね」
気合を入れ直して立ち上がると、エステルとトビーが設えたベンチに腰掛ける。
「今日はもう壁の上の手伝いはないし、見学させてもらうぜ」
「私もクタクタ……立ってるだけの気力もないわ……」
二人ののろのろとした動きに苦笑しつつも、俺は木剣を握り直して、リゼの前へ出た。
その時――。
「援軍だ! 援軍の騎士が来たぞ!」
「王都からだぞ!」
「門のほうだ!」
宿の外から、そんな叫びが飛び込んできた。
しかも一つじゃない。誰かが走りながら叫び、それを聞いた別の誰かがまた繰り返している。
その声が庭の空気を一瞬で変える。
「王都から援軍? こんな状況でここまで来れるのかな?」
「リーネの懸念は分かりますが、籠城する我々にとっては朗報です。……しかし、騎士団ではなく騎士? どういうことでしょうか?」
俺とリゼが疑問に思っていると、そんなことはお構いない! と、言わんばかりにハルトが猛然と立ち上がる。
「そんなのは見れば分かるだろ! 行くぞ」
ハルトが真っ先に庭から飛び出していく。
こうなってしまえば稽古なんてできない。俺はリゼと目線を会わせて、こくりと頷いた。
「エステルとトビーは休んでからでいい! 私たちは先に行く」
リゼとナギを伴い、ハルトを追う。
そうして三羽雀亭を飛び出して――門の近くまでたどり着く。
通りにはもう人が溢れていた。皆、半信半疑の顔で城壁のほうを見上げている。
そこで気づく――援軍だなんだと言っても、城壁に登れないと見ることなんて不可能だ。
そんなことも頭に浮かばずに反射的に来てしまった。先についたハルトがどうすればいいのかとうろうろしている。
なんとかならないかと、門脇の階段へ向かうと、兵士が槍を構えて止めようとした。
当然そうなるわな……と思っていると、兵士はこちらの顔を見て目を細める。
「お前ら、この間――門前で戦ってた冒険者か?」
「そうだけど」
「……あの時は世話になった。それに支援術師の嬢ちゃんと荷役士の小僧のパーティーだったよな?」
そこまで覚えられていたらしい。どうやらそこそこ『鍛鉄の剣鉈』も名が売れているようだ。
「――ならいいか。だが、兵に迷惑はかけるなよ」
「感謝します!」
なんとも有難いことに、通して貰えた。
俺たちはそのまま階段を駆け上がり、城壁の上へ出た。
上には兵士たちがずらりと並び、皆そろって外を見ていた。その視線の先を追って、俺も城壁の外へ目を向ける。
「……え?」
最初に出たのは、間の抜けた声だった。
平原の向こうから、確かに一人の騎士が歩いてくる。
援軍だということは間違いないのだろうけど……でも、一人だ。
騎士が援軍に来たって叫びは本当だった。騎士団ではなく、騎士ただ一人。
「一人……?」
おいおい! 王都から来た援軍って聞いて、誰がこんな光景を想像する?
「いや……おかしいだろ。なんだあれ?」
ハルトの口からそんなセリフが零れた。
それは、おかしいのは人数だけじゃなかったからだ。
俺たちは、頭がどうにかなりそうな、そんな光景を見せられている。
街道を歩いて来る騎士に対して、当然ながら周囲の魔獣は次々と襲いかかっている。
グリムパップが飛びかかり、ブルタスクが進路を塞ぐように突進する。
けれど、その騎士には届かない。近づく前に、次々と地に伏していく。
「……な、何が起きてるの?」
ナギの声が震えた。
分からない。何だあれは? ただ歩いているだけなのに、魔獣が次々とやられていく。
国民的なゲームキャラが、星を取って無敵になったみたいだ――そんな馬鹿な感想が浮かんでくる。
「……剣を振るっているようには、見えませんね」
リゼの呟きが聞こえる。
その騎士は確かに剣は持っている。だが、振るっているようには見えない。というか抜いてもいない。
グリムパップが首から血を噴き、ブルタスクが前脚を折られたように転がり、そのまま動かなくなる。
騎士は止まらない。歩くだけだ。
歩いたあとに、死骸だけが転がっていく。
そんなわけの分からない光景を見せつけられて、城壁の上にいた兵士たちまで息を呑んでいた。
「……俺たちは何を見せられているんだ?」
誰かがそんなことを言った。
それには、誰もが同意することだった。
しかし――。
「まさか!」
あの立ち姿には見覚えがある。
それだけじゃない。あの髪の色は……俺と同じ銀色だ。
その瞬間――胸の奥が、どくりと鳴った。
「クラウス兄様……?」
自分でも信じきれないまま、声が漏れる。
その騎士が、ほんの少しだけ顔を上げた。
距離はある。けれど、それで十分だった。
王都から来たたった一人の援軍。
その正体は――クラウスだった。




