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リーネの冒険~異世界の女の子と入れ替わった俺のTS娘生活~  作者: RCAS


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スタンピード

「……スタンピード?」


 思わず、そう聞き返していた。

 聞いたことがない言葉じゃない。実家での歴史の授業だ。その時に、確かに耳にした覚えがある。

 ただ、それは文字として覚えただけだ。何が起きたのか。どれほど酷かったのか。そういう実感までは、まるでなかった。


「ボルクさん。スタンピードって、何なの? 何が起こったの?」


 俺がそう問うと、ボルクは重く頷いた。

 それから受付の奥で少しだけ視線を伏せ、重い溜め息を吐いてから話し始めた。


「……三十年くらい前だ。グレインフォールで一度、同じことが起きてる」


 その声に、ざわついていたギルドホールが少しずつ静かになっていく。

 近くにいた冒険者たちも、ただならないものを感じたのだろう。食器の音も、椅子を引く音も、いつの間にか止んでいた。


「当時のグレインフォールには、今みてぇな城壁はなかった。せいぜい背の高い柵があるくらいだ。普段ならそれで事足りた。浅い森に出る魔獣を防ぐには、それで十分だったんだ」


 そこで一度、ボルクは言葉を切る。


「だが、スタンピードは違う。森の魔獣が一斉に押し寄せた。群れなんてもんじゃねぇ。町の外で止めきれず、柵を破られ、そのまま中までなだれ込まれた」


 感情を抑え込んだ淡々とした口調なのに、その話は妙に生々しかった。

 口振りからして、実感がある。おそらく、その当事者だったんだ。


「町中で魔獣が暴れに暴れた。逃げ遅れた奴が食い殺され、家に籠ったところで、粗末な家じゃどうにもならなかった。広場も路地も血だらけだったよ……。人の悲鳴と魔獣の唸り声が、一日中止まらなかった」


 ギルドホールの空気がまた一段重くなる。

 誰も口を挟まない。冗談めかした相槌すら――ない。


「俺も、その時はまだ若手の冒険者だった。腕は悪くなかったぜ。あと数年あれば、上位冒険者に手が届くって言われてたくらいの凄腕だ」


 そこでボルクは、自嘲するみたいに口の端だけを少し動かした。


「だが、駄目だった」


 そう言って、受付の外へ回ってくる。

 そのまま無言でズボンの裾をめくった。

 見えた足に、思わず息を呑む。


 古傷、なんて言葉じゃ足りない。脛から足首にかけて、肉を大きく抉られた跡がそのまま歪んで残っていた。

 ――治ってはいる。だが、元通りじゃないのは一目で分かる。

 筋も皮膚も、きっとどこかでおかしく繋がったんだろう。見るだけで、昔どれだけ酷い傷だったかが伝わってきた。


「切り落とすまではいかなかった。運が良かったって言えば、そうだな。だが、これで終わりだ。……体捌きが死んで、前みてぇには動けねぇ。いくら腕自慢だろうが、数の暴力には勝てないっていう現実をこの身体で味わわされた。冒険者を続けるのは、そりゃあ、無理だわな……」


 誰かが小さく息を吸った。

 たぶん、俺だけじゃない。ホールの中にいた全員が、今ようやく理解したんだと思う。

 スタンピードってのが、ただの数が多い魔獣被害じゃないってことを。


「じゃあ……今のこれも」


 エステルが掠れた声で言う。

 それはギルドホールの全員が聞きたいことでもあったはずだ。

 沈黙が支配する中で、ボルクは重々しく頷いた。


「断定はしないぞ。この目で見たわけじゃないからな。だが……少なくとも尋常ならざる何かが起きているのは間違いない」


 ……口調からして、断定しているのと一緒じゃないか?

 そんな言葉を飲み込んでいると、隣にいたハルトが口を開く。

 

「ギルドホールが静かだからさ、外の騒ぎの声がここまで聞こえてくる……まるで止まる気配がない」


 ――言われてみればそうだ。確かに騒めきが聞こえる。

 しかも、止まる気配どころか、どんどん大きくなっている。

 そう感じた瞬間――リゼが静かに口を開いた。


「……三十年前のスタンピードは、多大な犠牲を払いながらも、当時の騎士や冒険者が対処したと聞いております」


 その言葉に、ボルクは頷く。


「そうだ。グレインフォールの騎士や冒険者だけじゃどうにもならなかったからな。周辺の騎士家から戦力が集められた。それには、代官家であるリンデベルク家やアイゼンヴァルト家も含まれていた」


 ここで俺とリゼの実家の話かよ……。おそらく父親であるアルベルトの世代の話だ。

 周囲の冒険者の視線が、痛みを感じるほどに突き刺さるのが分かった。別に責められるわけじゃないのは分かるが、それでも居心地が悪くなる。


「当然辺境伯家も動いた。辺都とはいえ――いや、辺都だからこそ、グレインフォールは重要な立地に根差していると言える。その救援のために当時まだ若かった現当主も、自分で剣を持って前線に立った。そうやって貴族も平民も、皆が皆全力を尽くして魔獣共を森まで押し返して、どうにか潰したんだ」


 この世界の肉親が関係しているとなれば、少しだけ遠い話が急に身近になった。

 そして、騎士と冒険者の力で対処できたのなら希望はある――そう思ったのは、少々早計だったらしい。


「――だが、今の情勢ではそうも簡単にはいかん」


 ボルクの一言が、浮かんできた希望を一気に霧散させる。


「今はどこも余裕がねぇ。各地で魔獣が活性化してる。騎士たちはそれぞれ自分の領地を守るので手一杯だ。だからギルドもずっと情報を集めてるし、王国へ救援要請まで出してる」

「救援が来れば、なんとかなるの?」


 ナギの問いに、ボルクはすぐには答えなかった。


「……さてな。それはなんとも言えん。だが、確かなことは今すぐ滅ぶわけじゃねぇってことだ。今では立派な城壁があり、備蓄食料もある。三十年前より条件だけならマシだ」

 

 籠城できるだけの物資があるって言いたいんだろう。

 しかし、問題がないってわけじゃない。

 

「交易が途絶えて、それでどこまで持つの?」


 俺の問いかけに痛いところを突かれたと言わんばかりに、ボルクは苦い顔をする。


「穀物の管轄はギルドじゃないから分からん。魔獣肉の塩漬けはギルドの受け持ちで、こっちはそれなりに持つ。――が、このグレインフォールにいるすべての人間を食わすには、当然ながら、足りるとは言えんわな」


 つまり、籠っていれば助かるわけじゃない。

 この城壁は時間を稼ぐだけで、解決にはならないってことだ。


「救援が来るのが先か、俺たちが干上がるのが先か、それともこちらから打って出るのか……まあ、今の時点じゃ何も分からんとしか言いようがない」


 その結論に、ホールの中の誰もが押し黙る。

 待つにしても苦しい。打って出るにしても危険すぎる。どっちもろくな道じゃない。

 その重い沈黙を破ったのは、ギルドホールの入口が勢いよく開く音だった。


 振り向くと、鎧姿の騎士が一人、息を切らせて立っていた。

 その顔は知っている。門のところに詰めていた駐在騎士だ。


「ギルド長はいるか! 至急、話がある!」


 張り詰めた声だった。

 それを聞いたボルクが、すぐに前へ出る。


「ギルド長は今、役人と話してますぜ。そのご様子を見れば、役人とも話すことがあると見えますが如何か?」

「手間が省けたと言っておこう。――案内してくれ」

「承知。こちらへ」

 

 ボルクが騎士をギルドの奥へ案内していく前に、一瞬だけホールを見回し、それから俺たち冒険者へ向き直る。


「……これで話は終わりだ。今みてぇな状況で勝手に動くな。門の外へ出るな。指示が出るまで待て。下手に散れば、余計に状況が悪くなる」

 

 誰も何も言わず、反論もなかった。

 そんな空気じゃない――誰もが分かってしまった。

 もう今までみたいに森へ行って、魔獣を狩るなんて段階にないことを……。


 ボルクは騎士と並んで、ギルドの奥へ消えていった。

 その背中を見送ったあとも、ホールの中はしばらく静かなままだった。

 誰もが不安を抱えているのに、それをうまく言葉にできずにいる。そんな沈黙だ。


「……これから、どうなるんだろうな」


 ハルトが、誰にともなく呟く。――それに答えられる者はいない。

 俺だって、何も分からない。ただ、門前のあの光景と、ボルクの足に残っていた傷跡だけが、どうしても頭から離れなかった。


 三十年前の惨劇。それと同じ名前を、今この街が抱えている。

 その事実が、胸の奥をじわじわ冷やしていく。

 グレインフォールは、本当に持ちこたえられるのか? 俺たちは、この中で何をすることになるのか?


 閉じたままのギルドの奥の扉を見つめながら、そんな不安だけが静かに膨らんでいった。

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