街道のグレイマウル
翌日の午前は、武具の整理でほとんど潰れた。
刃を研ぎ、革紐を締め直し、槍の柄を点検し、エステルは杖に魔法触媒を塗り込み、ナギは短剣や隠密のための特殊なブーツを調整していた。
俺も自分の剣とナイフをひと通り見た。休みと言っても、明後日からまた森へ入る以上、結局こういう時間は削れない。
一仕事した気分だけど、急がず焦らず、皆でゆったりと整備を行う時間は、穏やかに過ぎた。
これもまた、ある種の休憩と言ってもいいかもしれない。
午後になってから、俺たちは街郊外の森の近くまで出てきていた。
「じゃあ確認だね。基本は前と同じ。前衛はハルト。左が私で右がリゼ。エステルは後ろ。ナギは先行しての偵察と、戦いになった時の遊撃だね」
「ここ一週間の戦い方におさらいです。ナギという戦力がいることを意識してください」
俺が伝えて、リゼが補足すると、返事がくる。
「了解」
「分かったわ」
「……うん」
しかし、返事はその三人だけでなく、もう一人からも来た。
「おうよ」
今日はトビーも訓練に参加していた。
森がここまで危険になると、荷役士だから戦列の外でいい――では済まない。
回収役が倒れれば撤収そのものが崩れるし、襲われた時に自分の身を守れなければ荷も仲間も無事ではすまない。そういう意味では、もう陣形に無関係な人間じゃないのだ。
そのトビーが持ってきたのは、自衛用のハンマーだった。
剣より単純で、槍より扱いが分かりやすい。身体強化法で力を底上げするなら、細かい技術より、重さを素直に叩き込める得物のほうが向いているというわけだ。
「にしても、似合わねぇなそれ。チビ助の身体に、不格好なハンマーとくるから、見てて不安になるぞ」
「うるせぇよハルト。持ち上げて振れるんだから、別にいいだろ」
「トビーの言う通りだよ。荷役士の力を生かせる、一番らしい武器だね」
「ほら! ハルトと違ってリーネ姉ちゃんは分かってるぜ」
トビーは戦うことには消極的だが、武器を持つことには積極的だった。
心構えというか、ある程度の余裕がある証拠と言える――悪くない。
「それでも、基本は自衛だからね。前へ出るのは穴が開いた時だけ。無理はしないで」
「分かってる。けど、いざって時は一発ぶちかます!」
「それでいいよ」
訓練は、実戦を意識して淡々と始まった。
ハルトが前で受ける。俺とリゼが左右に散って陣形を作る。エステルは後ろから支援。ナギはさらに前方を歩きつつ、敵が出たという想定では遊撃として自由に動く。
トビーはエステルのさらに後方で待機するが、陣形に穴が開いたという想定では、荷物を捨てて前進し、その穴を埋める。
それを五人でひたすら繰り返している内に、六人パーティーとして動きが見えてくる。
「ハルト、それは前に出すぎ」
「でもよ、前に敵がいる想定だと足が勝手に出る」
「そこは直してください。空いた穴から敵が侵入すれば、エステルに被害が出ます」
「支援術士がやられたらやばいのよ! 兄さんは私どころかパーティーを危険に晒したいの!?」
「分かってる! 今直しているだろ!」
そんなやり取りの間にも、ナギは立ち位置を変えていた。
今の想定では、魔獣の横合いから攻撃をして、背後に回る動きだ。
「……これでいい?」
「はい。本番でもその動きを忘れないように」
「……分かった」
リゼが太鼓判をおし、ナギがそれに小さく答える。
次の穴が空いた想定では、トビーがハンマーを持って前に出る。
「こうして埋めればいいんだろ!」
「そう。そこ」
重いハンマーを持っているわりに、トビーの足運びは悪くない。
荷を運ぶ時と同じで、重さの乗る位置をちゃんと分かって動いているのだろう。力だけの小僧じゃないところは知ってるが、この歳でベテランの貫禄だ。
そうやって何本か動きを合わせた頃――最初に異変へ気づいたのはナギだった。
「……街道」
短い声に、全員の視線がそちらを向く。
「何か来る。速い。……変」
次の瞬間には、俺にも分かった。
街道の向こうから、馬のいななきと車輪の軋みが混ざって聞こえてくる。土煙を上げながら隊商がこちらへ近づいていたが、その動きは整然と進んでいる時のそれじゃない。
逃げるみたいに速くて、しかも後ろを何度も振り返っている。
「おい、あれ……!」
ハルトが声を強ばらせる。
隊商の後ろに、灰色の影が三つ見えた。
灰色の熊の魔獣――グレイマウルだ。
浅い森で見るグリムパップなんかとは比べものにならない。人を優に超える身長があり、灰色の毛並みの下に詰まった筋肉が走るたびに波打つようだ。
しかもそれが三体。街道を走る隊商に食らいつくみたいに追っている。
「嘘でしょ……街道で!?」
エステルの驚愕の声が響いた瞬間――すでに一体は馬車の横へ回り込み、その剛腕を振るっている。
もう一体は荷馬へ飛びかかった。あれではもう、馬は駄目だ――そして残る一体には、見覚えのある連中が食らいついていた。
盾を持った女が踏みとどまり、槍を構えた男が鋭い突きを繰り出している。
「レオン!」
俺が叫ぶと、男はこっちを振り向きもしないまま怒鳴り返してきた。
「コイツは俺達がやる! せめて一体を、なんとか頼む!」
その声で十分だった。
考えるより先に、腹が決まる。
「分かった! 今行く!」
声を上げて、振り返るのは『鍛鉄の剣鉈』のメンバーたち。
その顔には恐怖がある。しかし、同時に使命感といったものを感じることができる。
――こうなったら、出し惜しみなしだ。
自分に使っている精神操作。それを、今はパーティーメンバーにも解放する。
名付けて『勇壮』――パーティー全体に掛けるために、薄く切っ掛けを作るだけの精神操作だけど、今はこれで十分だ。
皆の顔に、闘志が湧いて来たのが分かる。
――行け。竦むな。前へ出ろ!
そう自分へ命じ、その勢いのまま駆けだせば、当然仲間も付いて来る。
禁忌の魔法とはいえ、この程度ならばれることはない。今は戦いが最優先だ!
「練習した通り! ハルトが抑えで、私とナギで隙を作る! そうしたらリゼがとどめ!」
対グレイマウル用に訓練していた陣形で、そのまま実戦へ滑り込む。
俺が狙ったのは、馬車へ飛びかかろうとしていた一体だった。
グレイマウルがこちらに気づいて顔を向ける。濃い茶色の目が合った瞬間、ひやりとしたが、それでも止まる気はさらさらない!
――マインドブロウ! これでどうだ!
飛び掛かるようにして、恐怖を剣に乗せて、その顔面に叩き込む。
その精神衝撃に、グレイマウルの動きがぶれる。その隙をついて俺は離脱。
隙が出来ればこっちのもの、すでにグレイマウルの後方に回り込んだナギが、グレイマウルの背中に短剣を突き立てる。
当然、刃は浅い。ナギはすぐさま離脱――そこをグレイマウルの爪が襲うが、一息遅い。
さらにがら空きになった背中に俺が肉薄して、脇腹に剣を差し込んだ。
剣を手放し同時にバックステップ! 振り向きざまの爪は当然俺には当たらない! またもや目が合ったと思った瞬間には、すでに俺は投げナイフをリリースしている。
ナイフが顔面を傷つければ、それを気にしたグレイマウルに致命的な隙が生まれる!
「リゼ!」
その声を上げた瞬間――本当の意味でがら空きになった左わき腹目掛けて右からリゼが飛び込んだ。
――銀の閃きが走る。
頸動脈目掛けて放たれた剣閃はその意図を存分に発揮して、溢れんばかりの血の噴水をグレイマウルの身体から作った。
のたうち回るグレイマウル。こうなってしまえばエステルの支援を受けたハルトがド突きまわして終わりだ。
「ハルトとエステルはそいつを抑えて! 残り一体!」
叫びながら、走る。
レオンたちの方でも状況が動いていた。灰色の熊の身体を、槍の穂先が突き立っている。
こうなればこちらと同じだ。ミレイがレオンに支援術を掛け続け、そのままとどめまで。手の空いたマレナとフィンはすでに残った一体へと走っている。
槍使いと支援術士はいないけど、マレナが盾役としてグレイマウルの攻撃を受け止めている。
そこで俺とナギ、そしてフィンでグレイマウルの気を引いてやり、できた隙をリゼの剣技で致命傷を負わせた。
苦痛によってのたうち回るグレイマウルをその場に縫い付けるように陣形を組むだけで、あとは動けなくなるまで待つのみだ。
そうしてグレイマウルが動けなくなるのを確認すると、どうやらレオンとハルトが相手をしていたグレイマウルも力尽きたらしい。
それを確認したのか、荷台の陰から商人らしい男が青い顔で顔を出した。
見覚えのあるその顔は、盗賊に襲われたというあの商人。本当にツいていない男のようだ。
「助かった」
レオンが槍を下ろしながら近づき、そう言った。
そこで、俺達『鍛鉄の剣鉈』と『街道の守護剣』の面々が全員で顔を合わせる。
「訓練中でよかったよ。じゃないと、こんな場所にはいなかった」
「ツいてねぇのか、ツいてるのか分からんな。神様ってやつは、こういう辻褄合わせが好きらしい」
そんな軽口が出るあたり、レオンには余裕があった。
「そうかもね。でも……」
俺は倒れたグレイマウルへ目を落とす。
警戒はされていたけど……本当に街道まで下りてきた。
その事実が、今さらじわじわ気味悪くなってくる。
「なんでこんなところにグレイマウルがいるんだ?」
レオンの後ろで、フィンがそんな声を上げる。
それは文句じゃなく、ほとんど困惑だった。
街道に出てきて、隊商を襲うグレイマウルの話なんて聞いたことはない。
警戒されてはいたけど、それはせいぜい浅部までの話だ。街道じゃない。
森の奥にいるはずの魔獣が街道へ出て、隊商を襲った。それは街と森のあいだにあったはずの境目がなくなりつつあることを意味するのかもしれない。
……これは、思っていた以上にやばい状況なんじゃないのか?




