魔獣討伐漬けの日々
グリムパップが、低く唸りながら飛びかかってきた。
灰色の毛並みが茂みを裂き、牙が剥かれる。だが、その突進を真正面から受け止めたのはハルトの槍だった。
踏み込みと同時に切っ先が喉元へ吸い込まれ、鈍い手応えが走る。グリムパップは勢いを殺されて地面を転がり、そのまま二度と立ち上がらなかった。
「次、右から来てる!」
エステルの声が飛ぶ。
ほぼ同時に、右手の茂みから飛び出した個体へリゼが踏み込んだ。
無駄のない一閃。銀の軌跡が走った次の瞬間、グリムパップの首が浅く裂け、血を撒き散らしながら崩れ落ちる。
残る二体は、真正面から来ない。
一度こっちの動きを見たせいか、警戒して距離を取っていた。
片方は俺のほうを窺い、もう片方は回り込んでエステルを狙うつもりらしい。
――甘い。
駆け寄ってきた個体を剣で受け、斜めにいなす。
体勢を崩したところへ蹴りを入れて距離を作ると、腰のナイフを一本抜く。目標は逃げ腰になったもう一体。
息を止め、投げる。
ナイフはぶれずに飛び、肩口へ突き立った。
致命傷ではないが、それで十分だ。悲鳴を上げた個体へ、今度は俺自身が踏み込み、剣を振り下ろす。毛皮と肉を裂く手応え。血の臭いが一気に濃くなった。
最後の一体は、そこで完全に怯えたらしい。身を翻し、茂みの向こうへ逃げようとする。
だが、その先にはもう一人いた。
音もなく背後を取っていたナギが、短剣を首に深く差し込む。
脊髄を断たれたグリムパップは、声にならない声を漏らし、二、三歩よろめいてから倒れた。
「これで終わり。もういないよ」
ナギが短く告げる。
その声に合わせるように、森がふっと静かになった。
俺は周囲を見回し、残敵がいないことを確かめてから、腹の底から声を張る。
「トビー! 終わった! はやく持ち帰ろう!」
「おう!」
少し離れた木立の陰から、トビーがひょっこり姿を見せた。
今日はいつもの荷袋じゃない。背負っているのは木製の大きな籠だ。背板と肩紐を革で補強した、魔獣運搬用の背負い籠である。
見た目だけなら山菜採りの道具みたいだが、入るのが食い物ではなく死骸なのが嫌なところだ。
「ったく、今日も多いな……」
そうぼやきながらも、トビーの手は速い。
前脚をまとめて縛り、グリムパップをひょいと持ち上げ、籠へ押し込んでいく。
血抜きが終わっていない分、まだ重いはずだが、そこは荷役士の本領発揮だ。
「四体追加か……と。これならまだ運べるな」
「でも、足はどうしても遅くなる。そろそろ限界かな?」
「腹八分目ってか? そういう意味じゃあ、そろそろ帰り時かもね」
軽口を叩いてはいるが、トビーの額にも汗が浮いていた。
一週間続きの討伐と運搬だ。エステルの支援があるとはいえ、普通ならとっくに音を上げている。
「……まだ気配が濃い」
ナギが森の奥を見たまま呟く。
耳を澄ませ、風向きを探るように視線を動かしてから、さらに続けた。
「近くには来てない。でも、奥にまだいる。……多い」
短い言葉なのに、それだけで十分だった。
ナギの感覚は信用できる。正式にパーティーへ入ってから、ナギは斥候として何度も俺たちを不意打ちから救ってきた。
『鍛鉄の剣鉈』に欠けていた一枚が、ようやく埋まった。そんな実感すらある。
「分かった。早く戻ろう。これ以上は無理だね」
俺がそう言うと、リゼも即座に頷く。
「賛成です。今日はここまでにしましょう」
「引き際としては妥当だな」
ハルトが槍の穂先を軽く払って血を落とす。
エステルも息を整えながら、小さく肩を回していた。
支援魔法があるからこそ俺たちは立っていられる。そのエステルの疲労も馬鹿にはできない。
――こんな状況で、欲張る必要はない。今日はこれで終わりだ。
今のグレインフォール周辺は、ずっとそんな感じだった。
あまりにも魔獣の数が多すぎる。なんとか対処できているが、それがこれからも続くとは限らない。
それでも持ちこたえられているのは、ナギが正式に『鍛鉄の剣鉈』へ加入したからだ。
索敵が早くなり、不意打ちが減り、逃げる個体も仕留めやすい。今まで四人で戦っていた頃より、遥かに戦いやすくなっている。
まあ……魔獣の数が多すぎて、全然楽にはなっていないわけだが。
むしろナギがいなかったら、とっくに戦力維持ができず、討伐に出られなくなっていただろう。
浅い森でグリムパップが出るのはいい。ブルタスクだってたまには出てくる。しかし奥にいるはずのグレイマウルの目撃談が絶えない。
そのおかげで新人冒険者が森の浅部に入ることが難しくなっているのも、ギルドの戦力不足の原因だ。
エントリーレベルの仕事が消えたって感じだろうか。はじき出された新人は、より浅いところで落ち穂拾いのようなことしかできずにいた。
討伐依頼は絶えず、解体場は常に血臭い。冒険者の負傷者も増え、軽傷ならまだしも、しばらく動けなくなった連中も珍しくない。
今は、まだ動ける奴らが無理やり現場を回している。
当然そこに、俺たち『鍛鉄の剣鉈』も入っている。すでに新人冒険者じゃなく、中堅扱いだ。まだ結成して半年も経っていないと言うのに……。
領内の騎士を増やす話も出たらしい。
だが、グライフェンマルク領の他の地域でも魔獣が活性化していて、グレインフォール駐在の騎士が動くだけで手一杯だという。
ついには王国へ直接救援要請を出す有様――と聞けば、もう笑うしかない。
辺境伯領がそこまでやるのは、よほどの緊急事態だ。自前で守る力があるからこその辺境伯なのに、その前提が揺らいでいる。
「本当に大事になってきたな……」
そんな思いを抱えたまま、俺たちはグレインフォールへ戻る。
そのままギルドへ向かい、籠の中身を解体場へ回す手配をしてからホールへ入れば、いつもの喧騒はあるのに、やっぱり空気は重かった。
仲間をギルドホールのテーブルに待たせて、パーティーを代表して俺だけで受付へ向かう。
「今日も無事に戻ったか」
受付の奥からボルクが言う。
無事、という言い方に、今の状況が全部出ている。
「十一体だね。今日で仕留めたのは二十体を越えたかな? 浅いところでこの量は新記録だ。嫌になるね」
「嫌でも狩らなきゃ増える一方だ」
書類に目を通しながら、ボルクは疲れた声で返した。
「まあね。それで他の連中は?」
「二組戻ってきた。片方は軽傷が二人、もう片方は回収優先で深追いできなかったそうだ。相変わらず余裕はねぇ」
周囲を見れば、確かに似たような顔ばかりだった。
泥だらけの靴、血のついた革鎧、机に突っ伏している冒険者。皆、働きすぎだ。
「領の騎士は?」
「駐在組だけで回してる。他所も燃えてるから、増援はそう簡単に来ねぇ。王国には救援要請を出したが、返事待ちだ」
恥も外聞もなく王国に救援要請できるってのは、ある意味で頭が柔軟な証拠か?
リゼの話では、俺の父親であるアルベルトと、グライフェンマルク領主のヴォルフガングは旧友なのだとか。
娘を冒険者にすることを認める父親ってのは相当頭が柔らかい。となれば、その友である領主様も似たようなものなのかもしれない。
「本当に余裕がなくなって来たね。疲れ果ててその内討伐依頼を回せなくなるんじゃない?」
思わずそう呟くと、ボルクは肩をすくめた。
「だからこそ、ギルドも本気で慰安を考えてる。張り詰めっぱなしじゃ、どんな腕利きでも潰れちまうからな。たっぷり冒険者に英気を養わせる必要がある」
――慰安……か。
ずいぶん景気のいい単語が出てきたものだ。
だが、実際その通りではある。飯と酒と、わずかな休みだけでは回復するにも限度がある。
そこで、ふと思いついたことを口にした。
「……風呂に入りたい」
この一週間、汗と血と森の臭いばかりで、いい加減さっぱりしたかった。
とはいえ、風呂に入るだけならあの娼館に行けばいい。金もたっぷりあるしな。
だから本当にただ口から出ただけなんだけど――。
意外にも、ボルクは真顔で頷いた。
「入れるぞ」
「え?」
「貴族向けの高級住宅街にある風呂が一つ、今は慰安目的で使えるようになってる。ギルドが手を回した」
思わず目を瞬く。
高級住宅街。貴族向け。風呂。
その三語だけで、脳内に湯気と広い浴槽と清潔な石造りの床が浮かんだ。
「……本気? 凄くお金かかるでしょ?」
「金なんてのは物事の本質じゃねぇ。使う時に使う。だから本気も本気だ。お前たちは良くやっている。これ以上疲労して潰れられたらかなわん。今から明日まで休息日にしろ。もしギルドに来たとしても討伐依頼を受領しない。だから行ってこい。お前らは、ちゃんと休ませる価値がある」
なんだその最高の提案は。
魔獣まみれの一週間のあとに、それを断る理由なんてあるわけがない。
俺は仲間たちを振り返った。
テーブルに突っ伏して、いかにも疲労してそうなハルトとエステル。
リゼとナギはまだ余裕がありそうだが……それも覇気と言えるものはない。
――となれば、答えは決まっている。
ボルクに挨拶をして、皆のいるテーブルに向かう。
そこで開口一番にこう言った。
「今日はもう討伐はなし。だから……今から風呂、行かない?」




