帰路へ
三日目は、振り返ってみれば妙に空回りした一日だった。
朝は暇つぶしに市をだらだらと歩き、昼頃にリゼを伴って騎士団の詰め所に向かう。
しかし、クラウスは不在。詰め所の窓口で確認してもらったが――。
「予定通りならクラウスは今日の朝には帰還しているが、どうやら間引きが長引いているようだな。すまんが諦めてくれ」
と、ラーク隊長に申し訳なさそうに首を振られて、あっさり終わった。
そうなると、やることがなくなる。空想魔術読本の調査を進めるにしても、昨日仕入れた『王族の研究員』や『醜聞』といった単語が頭の中で転がる。
王族に関わる話だから、あの本屋の老人は深入りを避けていた。そんなリスクを、今取るべきか?
――今の俺の立場で、さらに踏み込むのは悪手だろう。
そう結論づけて、そちらは一旦区切ることにした。
焦ってまで調べることじゃない。
そんな俺とは違い、ハルトとエステルはずいぶんと王都を満喫しているらしい。
リゼと二人で一度宿に戻ってきたが、兄妹の姿は見えない。遊びに出ているのだろう。
昨夜も、甘いものを売る店を見つけたとか、珍しい服を見たとか、楽しそうに話していたからな。今日も王都観光の続きというわけだ。
リゼは王都に慣れたもので、特にやりたいことはないと言う。それは俺も同じだった。
王都と言えど、浮かれるほどの興奮はない。確かに異世界としての物珍しさはあるが、言うなればそれだけだ。
日本で人混みと観光地を見慣れている身からすれば、異世界の都という看板がなければ、感想も薄くなる。
だから、残った時間はリゼを誘って色街へ行った。多少ムラつきがあったし、それはリゼも同じだったからだ。
もっとも、夜通し遊ぶわけにはいかない。明日からまた街道護衛が始まる。
高級な風呂付きの宿を夕方まで借りて、湯を楽しみつつ、体を動かして気持ちよくなって終わりだ。
その後は再び金麦亭に戻り、普通に飯を食って眠る。そんなふうに、三日目は拍子抜けするほどあっさり過ぎていった。
――そうして迎えた四日目の朝。
王都で過ごす最後の日であり、街道護衛の復路が始まる日だ。
朝日の眩しさを感じながら商人街の広場に集合すると、そこではロブによる点呼が行われていた。
「荷車、確認しろ! 積み忘れのないようにな!」
低い声が飛ぶ。
荷車の周りでは、商人たちが最後の積み付けをしており、荷紐をぎゅうぎゅうに締め直している。
人足たちが眠そうな顔で大あくびをしているのに対し、ロブの表情はいつも以上に固かった。
「護衛の冒険者は前に出ろ」
そう言われ、『街道の守護剣』と『鍛鉄の剣鉈』の面々はロブの正面に並ぶ。
「一つ、知らせておく」
ロブの声は、ぶっきらぼうな響きの奥に、わずかな緊張を孕んでいた。
「どうやら盗賊が出没していたようだ。我々の後にグレインフォールを出立した隊商が襲われ、被害が出ている」
「……襲撃場所は?」
レオンが眉をひそめて尋ねる。ロブは短く答えた。
「グレンツ周辺。あの森が狭まる隘路だ」
空気が、一段階冷えたような気がした。
グレンツ周辺――難所と言われていたあそこだ。
森が道すれすれまで迫っている区間で、奇襲を仕掛けるにはもってこいの地形でもある。
「被害の程度は?」
「詳しくはまだ分かっていない。人死には出たが全滅ではない、ということしか分からん。盗賊の規模も不明だ」
ロブの言葉に、背筋がじわりと汗ばむ。
往路は緊張しながらも、何事もなく通過することができた。
平穏なのはありがたいが、今回も何もなく終わるだろう――と、どこかで甘く考えていた節があることに気づく。
「まあ、とりあえずだ」
重くなりかけた空気を、レオンが軽く咳払いして断ち切った。
「まずはグレンツまで行ってからだな。現場に着く前に騎士団が片付けている可能性もある。そこで状況を見て判断しよう」
「護衛としてやるべきことは変わらない――ということですね」
リゼが冷静にまとめ、ロブも短く頷く。
「そういうこった。気を抜かずに行く。以上だ。持ち場につけ」
それぞれが自分の位置へ散っていく。俺たち『鍛鉄の剣鉈』は、往路と同じく隊商の最後尾だ。
荷馬車の車輪が石畳を軋ませて動き出し、それに合わせるように隊列もゆっくりと王都の門へ向かっていく。
王都の東門に近づくと、往路では見なかった顔ぶれの兵士がずらりと並んでいた。
武器返却の窓口が門の脇に設けられていて、そこに隊商ごとに呼ばれていく形だ。
「護衛の武装、返却するぞ。番号札を用意しておけ!」
憲兵の怒鳴り声とともに、木箱から武器がひとつずつ取り出される。
「次、『鍛鉄の剣鉈』!」
「はい」
ロブからは装備を受け取るための木札を出発前に預かっている。
それを差し出すと、見慣れた剣が戻ってきた。グレンツで買った投げナイフもだ。
ベルトを締め直し、完全装備になる。兵士に確認を取ってから剣を鞘から抜き放ち、いつものように確認しようとすると――そこに妙な『重さ』を感じた。
「……こんなに重かったかな」
たかだか数日、武器を持たずに過ごしただけ。それだけなのに、やけに重く感じる。
王都は確かに楽しかった。食事も酒も良かったし、リゼと入った風呂も最高だった。
だが、その数日で随分と腑抜けになっているようだ。
――やれやれ……戦いの勘まで薄れていたら、洒落にならないぞ。
「リーネ。なんかしっくり来てない感じだな? 実は俺もなんだ」
隣で槍を受け取ったハルトが、苦笑いしながら問いかけてくる。
「グレインフォールの休暇の時はこんなことにはならなかったのにね。やっぱり都会には魔力があるのかな?」
「そりゃあ、あるぜ! 大魔力と言ってもいい! エステルもできれば滞在日数を増やしたいって言ってたもんな」
ハルトに水を向けられたエステルは、肩をすくめた。
「そうだけど、遊ぶだけじゃないわ。大神殿の僧侶様ともっと話す時間が欲しかったってことよ」
「エステルは勉強熱心で偉いね。ハルトと大違いだ」
「いいだろ別に! それにリーネも似たようなものじゃないか!」
「それを言われたら、図星だな」
そんなふうに話しているうちに、列が進み出す。
自分の状態を自覚したことで、多少は意識がマシになったが――まだ足りない。
――仕方ない。精神操作を使うか。
歩きながら、そっと意識を内側へ向ける。
精神操作中毒になるのは嫌だから、本当は戦闘や厳しい訓練時以外には使いたくない。
だが、今のまま放置しておくほうが問題だ。
適度な緊張をイメージすると、わずかに心拍数が上がる。
荷馬車の車輪の回転、隊商の列の間隔、門上で見張りをする兵の動き――視界に入る情報を一つ一つ確認し、きちんと処理できていることを確かめた。
――これなら良いか。あとは慣らしていくだけだ。
そうしているうちに、列の先頭が門の石のトンネルへと入っていく。
俺たちの番もすぐに来た。厚い石の天井が頭上にかぶさり、外の光が一瞬遮られる。
足音と車輪の音が、石壁に反響して耳に返ってきた。
一歩、また一歩と進み――ある瞬間、視界がぱっと開ける。
そこには、平原の中をどこまでも続く街道と、広がる空があった。
石畳は門の外で途切れ、その先は踏み固められた土の道へと変わる。
ここからが、復路の街道護衛の再開だ。
無言で行軍を続け、ある程度離れたところで振り返る。
そこには、高くそびえる城壁と、俺たちを飲み込んでいた石の門が見えた。
――次は依頼じゃなくて、もっと自由に王都の中を動き回りたいな。
空想魔術読本の件を進めるには、滞在日数が決められていては駄目だ。
それに、兄ともちゃんと会ってみたい。そのためには、待てるだけの余裕が必要になる。
そう考えると、今抱えているのは期待というより、未練に近い。
最後に一度だけ城壁を見上げてから、前を向いた。
「よし、行こうか」
王都アルトハインの門から遠ざかり、隊商の列がゆっくりと街道を進み始める。
道の先にはグレンツ、その先にグレインフォール――そして、盗賊たちが待ち構えているかもしれない街道だ。
最後に両頬を軽く叩き、気合を入れる。
――グレインフォールに帰還する前に、命のやり取りが行われるのかもしれないのだから。




