挑発
このまま立ち止まっても仕方ない。
そう考えた矢先、ハルトがぼやくように言った。
「このまま彷徨っても、あんまり意味なさそうだな」
槍を軽く振って泥を払う。
その仕草に、どうしようもない虚無感がにじんでいる。
「もし戦えるとしても、その場合はこちらが不利だからでしょ? そんな状態で戦うのは嫌だな……」
エステルは不安げに眉を寄せた。
「同感です。しかし、それではこの村に来た意味がない。最低限、追い払うための努力はするべきです。ただし、森の浅いところで見回りが精々でしょうが」
リゼが淡々と言う。それは正論だ。何もしないわけにはいかない。
見回り程度になってしまうが、やらないよりはマシだ。
だけど、本当にそれしか手がないのか?
――戦うことができるなら、『マインドブロウ』を使えばいい。いや……遠距離で精神操作を使えばどうだ?
頭の中で、一つの案が浮かんだ。
思わずエステルに目を向ける。支援魔法は距離があっても届く。
なら――俺の魔法も、届くんじゃないか?
「……とりあえず、もう少し見回ってみようか」
思い立ったが吉日だ。この案が使えるかどうかは、もう一度接敵してみないと分からない。
「戦えなくても、何か掴めるかもしれない。それに、この森について知っておくだけでも意味はあるはず。依頼を放棄して帰るには、まだ早いからね」
そう言ってやれば、皆はこくりと頷いた。
「まあ、手ぶらで帰るよりはマシか」
「賛成です。森の様子を調べることにも意味はありますからね」
ハルトとリゼが同意する。
エステルも、少しだけ表情を明るくした。
「逃げられたとしても、どこで出没したかを記録しておけば、次の討伐に役立つと思えばいいよね」
全員が前向きなのは助かる。あとは、接敵するまで散策を続けるのみだ。
「じゃ、隊列はそのまま。少しずつ回り込む感じで行こう」
そうして俺たちは、森の縁からやや内側を移動し始めた。
このあたりなら、大群と正面衝突することはない――そういう判断だ。
「ここ、角研ぎの跡が新しいですね」
リゼが、幹を斜めに走る傷を指さした。
樹皮はまだ湿っていて、削れた白木に土がほとんど付いていない。
「今朝か、昨夜ってところか?」
ハルトが地面を見ながら呟いた。
土には綺麗に残る蹄の跡が残っている。
「ヘルマン殿は前哨基地と言いましたが、それが複数あるのかもしれませんね。もしくはそれぞれが違う群れかもしれない。村がどこまで把握しているか、相談しなくてはなりません」
そんなふうに森の中を歩くだけでも、新しい発見がある。
見切りが早すぎるのはやはり良くないな。
歩いて観察するだけでも、成果があるんだから。
萎えていた空気はかなり払拭できた。
緊張感も戻って来たし、今なら戦える。
あとは、接敵できるかどうかだ。
そう思って探索を続けていると、茂みが揺れた。
全員が口を閉じ、その方向を見る――姿を現したのは、スティングスタッグだ。
「……突っ込んできませんね」
リゼが小さい声で言う。
一頭のスティングスタッグは舐めるようにこちらを見ているが、攻撃してくる気配はない。
ハルトとエステルは臨戦態勢だが、このままでは空振りに終わるだろう。
――でもそれは、俺がこの場にいなければの話だ。
魔力を集中し、スティングスタッグへと意識を伸ばす。
届いているのかどうか、定かじゃない。自分にかける時や、リゼに使った時みたいな手応えを感じないからだ。
それでも、奴は逃げない。じっとこちらを見据えたままだ。いや、それだけじゃない。鼻息が荒くなっている?
――作用しているのか? 相手に対して怒りを誘発し、増幅させる俺の精神操作が。
名付けるなら『挑発』。まんまだが、これ以上の名称はないだろう。
この『挑発』による魔法の手応えはいまだない。
しかし、目に見える手応えはある――そう思った瞬間だった。
スティングスタッグが、身を震わせるような声を上げ、前脚を振り上げる。
あれは逃げるためか? ――いや、違う。
「ハルト! 迎撃態勢! エステルは支援!」
『挑発』を切らさないよう気を張ったまま、パーティーに指示を飛ばす。
エステルが杖をハルトへ向け、ハルトが槍を構えた。
その刹那――スティングスタッグが突っ込んできた。
「うおぉぉぉぉ!?」
いきなりの突撃にハルトは悲鳴を上げるが、それでも槍を下げはしない。
なんとか突進を止めて、膠着状態を作り出すことに成功する。
「今だ!」
俺とリゼは左右に散り、それぞれ側面へ回り込む。
まずは動きを奪うため、俺は前脚を狙って剣を振り下ろした。
――手応え有り!
骨を断つ感触が、腕に伝わる。
反対側では、リゼの剣が後脚を断ち切っていた。
「暴れる頭と角に気を付けろ! 前と後ろの脚は取った。あとはとどめを刺すだけだ!」
悲鳴を上げ、スティングスタッグがのたうつ。
動きを見極めるために、いったん距離を取る。
首を振り回すだけで、人を簡単に殺せるだけの破壊力があるから、油断はできない。
――それなら、もう一つ実験してやる。
精神操作をさらに飛ばす。こいつは『諦念』とでも呼んでみようか。
全てを諦めさせる精神操作だ。絶望感や無力感で生存を諦めさせることを狙う。
しかし、効果は薄いだろう。なぜなら俺はそんな感情を知らないからだ。
でも、それなりに長い人生で無力感なら大量に味わっているぜ。そのイメージを丸ごとぶつけてやる!
スティングスタッグは、なんとか残った脚で踏ん張り、逃げようとする。
やはり俺の『諦念』は弱いのか? 劇的な変化はない。
それでも、少しずつ動きが鈍くなっていく。
威嚇するように首を振り回していたのが、やがて止まり――ついには、全く動かなくなった。
「リゼ……とどめを刺して。不意打ちを警戒するなら、リゼにしか頼めない」
「分かりました。では……いきますよ」
リゼがゆっくりとスティングスタッグに近づく。
剣の射程に入った瞬間――流れるような動きで剣が振るわれる。
首が、するりと落ちた。
首を失った身体がびくりと痙攣し、断面から噴水みたいに血が噴いた。
それも、しばらくすると細くなり、やがて止まる。
「……やった、の?」
エステルの声が、目の前の現実をそっと確かめるように零れた。
「うん。仕留めたね」
首を落としたんだから当然だ。
だけど、さっきまで討伐は難しいと言っていた相手だ。
その落差に、全員が戸惑っている。
「それはいいんだが……なんでこいつは向かってきたんだ?」
ハルトが、倒れたスティングスタッグを見下ろしながら言う。
「さっきのやつらなら、戦いなんてせずに逃げたはずだよな? 最初に俺たちを見てた時も、そんな雰囲気だったのにさ」
「群れからはぐれた個体……とか?」
エステルが、恐る恐る首をかしげる。
「若い個体で、判断が甘かった。もしくは先ほど遭遇した二頭が特殊で、杞憂だったかですね……」
自分で言いながらも、リゼは半信半疑の顔をしていた。
無理もない……精神操作のことを知らないんだからな。
でも、これで確信した。
――心がある奴には効く。それが、俺の精神操作だ。
まあ、それを口に出すつもりはないけどな。
「とりあえず、仕留めたことには違いないよ」
俺は、わざと肩の力を抜いた声で言った。
「一頭とはいえ討伐は成功。獲物を持って帰れば金になる。エステルの支援魔法を使えば、三人でならなんとか運べるはずだよ」
「範囲で使うと効果が薄れるから、注意して運んでね」
俺たち三人で『身体強化』を使い、スティングスタッグを持ち上げる。
トビーなら一人で肩に担ぐんだろうが、俺たちの『身体強化』は戦闘用。長くはもたない。
そこにエステルが杖を向け、俺たちに『強靭』を掛けた。
うん――これならなんとか運べそうだ。
エステルは疲労を抑える支援が得意だし、村に戻るくらいなら持つだろう。
スティングスタッグの討伐――成功だ。
「――というわけで、スティングスタッグを一頭、討伐しました」
森の外で待っていたヘルマンに運搬を手伝ってもらい、村長宅へと獲物を持ち込んだ。
解体は村人に任せ、俺たちは部屋で今日の経緯を報告する。
テーブルにはヘルマンとマティアスが並び。俺たちはその正面に座っていた。
「いきなり一頭を仕留めるとは……正直、驚いた」
ヘルマンの低い声には、感嘆が混じっていた。
隣で聞いていたマティアスも、大きく息を吐く。
「本当に……やってくださったか。正直なところ、今日は様子見だけで終わるものとばかり……」
「群れそのものには、まだ手が届いていません。ですが、森の縁の様子と通り道の位置は、ある程度掴めました」
複数あった角研ぎの場所や蹄跡について、分かる範囲で説明する。
村で把握していたものもあれば、そうでないものもあった。
やはり現地を歩くことは、何よりの情報になる。
ヘルマンは頷きながら、「ふむ」と鼻を鳴らした。
「――今日のところは、それで十分だ」
続いてマティアスが、深々と頭を下げる。
「討伐された魔獣については、村で解体させてください。皮剥ぎ、骨抜き、内臓の処理も必要ですからな」
「お願いします。自分たちでも解体はできますが、討伐に来てそれで疲れ切っていては意味がないですからね」
「はい。あなた方には討伐に専念して貰いたい。売り物になる部位――角や良質な革、腱など、換金性の高い部位は加工が終わり次第そのままお渡しします。残った肉などは村で食べましょう。余るようなら干し肉にでもいたします」
「いいですね。では今日の夕食には、ぜひ良い部位を。明日の活力になります」
そんな感じで話し合いは締めくくられた。
依頼初日で、一頭とはいえ討伐成功。
上出来と言っていい。
俺は心の中で小さく笑う。
……使える。やはり精神操作は最高だ。
明日はもっと、この『挑発』で討伐を進めよう。




