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リーネの冒険~異世界の女の子と入れ替わった俺のTS娘生活~  作者: RCAS


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スティングスタッグ

 翌朝。

 村長マティアスの家で簡単な朝食を済ませ、装備を整えて庭に出る。

 そこには、すでにヘルマンが立っていた。


「支度はできておるか」


 短い問いかけに、俺たちは順に頷いた。

 ヘルマンはそれ以上は何も言わず、くるりと踵を返す。


「まずは村をひと回りする。ついてこい」


 それが、この日の仕事の始まりだった。

 村長宅を出て、村の外れへ向かう。朝のレーベン村は静かで、そのくせ忙しない。

 畦道を、鍬や鋤を担いだ村人たちが行き来していた。壊れた畝を起こし、倒れた麦を戻し、踏み荒らされた跡を埋めようとしている。


「……やっぱり、ひどいな」


 思わず漏れた俺の声に、ヘルマンがちらりとこちらを見る。


「被害の数を紙に並べても、実感は湧かん」


 そう言って、踏み荒らされた畝を指先で示した。


「こうして目で見ると分かるだろう。農村にとって麦とは命そのものだ。それが、ぐちゃぐちゃに踏みにじられておる」


 倒れた穂。根こそぎ掘られた土。齧られて転がる根菜。

 魔獣の被害は、こうやってはっきり目に見える。

 普通の農村に、いつでも動ける騎士や戦士を常駐させるなんてできない。だからこそ、冒険者が呼ばれるわけだ。


「村の被害はおおよそ見てもらった。次は用水路だ」


 麦畑を抜け、用水路沿いの細い道に出る。

 水は澄んでいるが、水際の泥には蹄と小さな爪跡がいくつも重なっていた。


「スティングスタッグにとっての水場となっているのだろう。こうして夜に水を飲みに来る。あの蹄がそうだ」


 ヘルマンの指先の先に、深く沈んだ蹄の跡があった。

 周囲の土が盛り上がり、重みのかかり方がはっきりと残っている。


「かなりの重さですね」


 リゼがしゃがみ込み、手のひらをかざして大きさを測る。


「それって、巨体ってことだよね?」

「はい。普通の鹿の二回り上ではないでしょうか? そこに鋭い角による突進が加われば、一撃の重さは相当なものです。支援を掛けたハルト以外では受け止められませんね」


 横目でハルトとエステルを見ると、二人とも表情を引き締めていた。

 責任重大って自覚が出てきたらしい。

 そんなことを考えながら、俺たちは村の縁へと向かっていった。


 畑が途切れ、放牧地の草が薄くなる。やがて低木が増え、その先に森があった。

 鬱蒼――とまではいかない。けれど木々は幹を寄せ合い、枝と葉が重なり合って、日差しを削っている。

 土の匂いと湿った葉の匂いが、違う世界への境界線をはっきりと描き出していた。


「この木を見よ」


 ヘルマンが一本の木を軽く叩いた。

 幹の中ほどに、角で擦ったような斜めの傷が何本も走っている。

 樹皮は剥がれ、その下の白木がむき出しだ。


「スティングスタッグの角研ぎだ。奴らなりの戦支度というところだろうな」


 今度は地面を指さす。


「そして、この蹄の数――ここは奴らにとっての前哨基地だ。ここで集合を掛けてから、群れで村に踏み込む」


 さっきの水場とは比べ物にならない数の足跡だ。

 ここに集まり、村に入り、食い荒らしたあとに、まとまって帰る。

 これでは――。


「まるで盗賊か何かですね」


 思わずそう口にすると、ヘルマンは小さく頷いた。


「それが害獣と魔獣の違いであろうな。ただの獣にはない意思のまとまりが奴らにはある。特に人を狩るのではなく、作物を狙う魔獣にはそれが多い」


 その視線の先、森の奥は薄暗く、静かすぎた。

 前哨がここなら、その奥は本拠地か。

 統率のとれた群れがいるとすれば、危険なんて言葉じゃ足りないだろう。


「できうることなら、群れとしてまとまれぬほどの討伐を行いたいが……それは現実的ではない」


 ヘルマンがこちらを振り向く。


「今、畑を荒らしている群れは森の奥深くというより、この先しばらくの一帯を根城にしているとわしは見ておる。ゆえに、その群れを減らすことができれば、被害は治まるだろう」


 現実的なラインってやつだな。

 森に何十、何百といるかも分からないスティングスタッグを全部狩れなんて言われたら、報酬倍でも割に合わない。


「リゼはどう思う?」

「スティングスタッグは巣を作る魔獣ではありません。一帯を支配して自由に動き回るという生態です。ですから、ヘルマン殿の推測は妥当かと」


 当初の予定通り、森の際の浅い範囲でまず一当て。

 そこで手応えを見て、次を考える。それでいい。


「森の中に入るなら、そこから先はお前たちが全てを判断せねばならぬ」


 ヘルマンの声が、少しだけ低くなる。


「無理に戦うことを良しとせず、退くと決めたら退け」

「もちろん、そのつもりです。ただ、ヘルマン殿からそう言われるとは思いませんでした。できうる限り叩け、と言われるものかと」

「お前たちに被害が出るのは、村にとっても損失だ。下手に怪我をされれば治療は村持ちだし、討伐が失敗すれば、次の冒険者を呼ぶまでまた待たねばならん。その余裕は、レーベン村にはない」


 要するに、ここで失敗されると困るってことだ。


「森の中で、お前らを咎める者などおらん。不利になったら逃げろ。それで構わん」


 ヘルマンの目つきは厳しいが、冒険者を使い捨てようという意思は感じられない。

 若い冒険者を案じ、無事に帰って来ることを望む目だった。


「分かりました。では注意しながら森の中に入ってみます。ここから先は任せてください」

「うむ。期待する――とまでは言えん。が、期待する成果を持ち帰ることを望む」


 ヘルマンはここで待機。

 ここから先は、俺達『鍛鉄の剣鉈』の出番だ。


「昨日話したとおり、先頭はハルトでいつもの陣形」

「おうよ! 任せとけ!」


 ハルトを前衛に据え、その左右に俺とリゼ。後方にエステル。

 グレインフォールの森で散々試してきた基本形だ。


「戦闘指揮はいつものようにリゼ。何か気を付けることは?」

「ハルトが突進を受け止められるかどうかが全てです。ハルトは防御に専念。エステルは指示があれば即座に支援魔法を」

「分かった。即時発動態勢だね」


 エステルの魔法運用も随分洗練されてきた。

 今日の戦いは、ハルトとエステルこそが要と言える。


「よし、行くぞ」


 ヘルマンの視線を背に受けながら、俺たちは森へ足を踏み入れる。

 数歩進むと、足元の土の感触が変わる。少し柔らかく、わずかに湿っている。

 木々の間を抜ける風も、村の空気より冷たい。


「……」


 一同、無言で進む。

 まだ入口が見える位置だが、森の気配は急に濃くなった。

 どこかで何かがこちらを見ているような、あの嫌な感覚。


 緊張は切らない。

 けれど、張り詰めすぎて足がもつれない程度には余裕を持つ。

 先頭のハルトが、一歩ごとに慎重さを増した、その時――。


 枝の折れる乾いた音が響く。

 何かが、こちら側へ踏み込んでくる。


「来る! エステル!」


 ハルトが低く叫び、槍を構えて半歩前に出た。

 森の暗がりの奥で、白い何かが茂みの向こうに浮かぶ。

 あれは――角だ。

 

 次の瞬間――巨体が飛び出してきた。


 地面を抉り取るような低い突進。土が爆ぜ、小枝が宙を舞う。

 ハルトが踏み込み、槍の穂先を突き出した。

 同時にエステルの支援魔法がハルトに乗ったのが分かった。


 石突で地面を支える迎撃態勢――刺突ではなく、防御のための槍術だ。

 だからこそ支えきった。槍によってスティングスタッグの頭を捉えて止めている。

 だが、頭蓋骨を貫通することはなく、角の生え際あたりで止まっているようだった。


 しかし、突進を止めたことで優位が取れた。

 そう思った瞬間、さらに後方からスティングスタッグが突進してくる。

 陣形の側面に向けての攻撃――狙いはリゼか!


「リーネは攻撃を! 私に構わず!」


 リゼの声に、体が先に動いた。

 リゼは大丈夫。なら俺は――ハルトが止めている一体を仕留める!

 スティングスタッグの側面に出て、前脚を狙って剣を振り下ろす。


 だが――切り裂く感触はない。

 剣を振り下ろすと同時に、スティングスタッグの胴がわずかに横へ流れていた。

 躱された! これは偶然じゃない!


 俺を視界に入れた瞬間、距離を取るように横へ逃げたんだ。

 剣を持った人間を脅威に感じているのか? 不利な体勢を嫌い距離を取ったんだ。


 リゼの方へ、視線だけ走らせる。二頭目は、リゼと距離を離していた。

 目を離していた時間の差からして、おそらく突進を止めて身を翻したんだ。

 グレイマウルとは違い、リゼの剣技ならカウンターでの一撃必殺が可能だったはず。


 ――おそらくそれも察知して、攻撃を中止した。


「なっ……!」


 ハルトの口から、短い声が漏れる。

 二頭のスティングスタッグは森の奥へ引いていく。

 葉が大きく揺れ、枝が弾かれる音が続く。蹄の音が、あっという間に遠のいていく。


 沈黙が満ちる。戦いの交錯は一瞬で、双方に大きな被害はなし。


「なるほど……これでは、村の男衆を集めただけでは無理でしょうね」


 リゼが剣を鞘に納め、俺の隣にやってきた。


「人間を恐れずに攻撃しておきながら、危険だと知ればすぐに引く。厄介な盗賊を相手にしている気分ですよ」

「それはまた……嫌な魔獣だ」


 俺がそう言うと、ハルトが低く唸った。


「ってことはさ……自分たちが勝てると思う数がそろったら、今度は最後までやり合うってことじゃないのか?」


 エステルが唇を噛み、小さく頷く。


「勝てると思わせないと、ずっとああやって逃げるってことだよね……」

「それはありえますね。確実に勝てる、と奴らが判断した時こそ、本気で殺しに来るでしょう」


 それを聞いて、俺は小さく息を吐いた。


「厄介な敵、って言葉しか出てこないね……」


 誰も反論はない。森の中に静寂だけが満ちる。

 その静けさが、さっきまで目の前にいた魔獣の賢さと凶暴さを、いやにくっきりと浮かび上がらせていた。

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