レーベン村
夕暮れ前に、レーベン村に到着した。
どこにでもある農村――のはずだが、今はそうは見えない。
踏み荒らされた畝。中途半端に倒れた穂。齧られた根菜が泥の上に転がり、少し乾いた糞が筋を引いている。
夕日の色と混ざって、一面が薄汚れたように見えた。
村の手前で一度足を止めて、その光景を眺める。
「……これは洒落になってないな」
思わずそう呟く。
リンデベルク家の管轄村を回った経験がある。だから、この荒れ方がどれだけ異常かは分かる。
これが全部魔獣の仕業だとしたら――今年の食い扶持どころか、来年の種籾までやられる。
「思った以上にひどい状況だな。ミル村は大丈夫か?」
「心配ではあるけど……掲示板の依頼にミル村のものはなかったから、たぶん大丈夫だよ……」
ハルトとエステルが、表情を曇らせながら畑を見ていた。
二人の故郷――ミル村は隣村らしいからな、気にならないはずがない。
「行きましょう。まずは話を聞かなければなりません」
リゼの言葉に頷き、俺たちは荒らされた畑を横目に村の中央部へと向かった。
村長の家は、他の家より少しだけ大きい。
茅葺きの屋根はよく手入れされ、土と木で固められた壁はしっかりしている。納屋が二つ。庭には干し網と、使い込まれた鍬や鋤が立てかけられていた。
通された座敷で、俺たちは膝をそろえて座っていた。
向かいに座る初老の男――レーベン村の村長、マティアスだ。
ずんぐりした体格に擦り切れた上着。目元には皺が刻まれているが、その奥の眼光は弱くない。
「遠路ご苦労さまです、冒険者殿」
「グレインフォールから来ました、『鍛鉄の剣鉈』です。依頼の内容はギルドで確認してきましたが、詳しい状況を教えてもらえますか?」
代表してそう告げると、マティアスは頷いた。
背後には村の若者らしき男が二人控えている。片方は腕に包帯を巻いていた。
「被害が始まったのは、春の終わり頃です。最初は畑の端を少し齧られる程度でしたが……ここ半月ほどは、毎晩のようにやられております」
「毎晩……」
ハルトが眉をひそめる。
マティアスは淡々と続けた。
「狙われているのは、穂の出た麦や根菜類。芋、蕪、それから干してある葉ものまで。夜のうちに入り込み、まだ育ち切っていないものを食い荒らしていきます」
「森狩りは?」
リゼが口を挟む。
村長は苦い顔をした。
「男衆総出で森を回りました。ですが、人を恐れる素振りがない……慣れたのでしょうな。それに、かなりの数の魔獣が森にいるようで、気が大きくなっているのかと」
「グナウヴァーミットとスティングスタッグですよね」
依頼書にあった名を確認すると、マティアスは頷いた。
「ええ。グナウヴァーミットはなんとかなります。しかしスティングスタッグの方が問題でしてな。幸い死者は出ていませんが、森狩りのたびに怪我人が出る始末です。森狩りで無理をすれば、畑より先に村の方が持ちません」
「……それで、ギルドに」
エステルがぽつりとつぶやく。
マティアスは、ちらと彼女とハルトに視線を向け、少しだけ表情を和らげた。
「ミル村のハルトとエステルだな。まさか本当に冒険者になるとは思わなかった。よくご両親が許可を出したものだ」
その言葉に、ハルトとエステルはバツの悪そうな顔になった。
ハルトが言いづらそうに口を開く。
「反対されましたが、無理やり出てきました。どうせ兄貴が家を継ぐし、それなら俺は自分の力を試したいと思って……」
「私は兄が心配で無理やり付いてきました。一応、導師様には許可を取ってます。見聞を広げるため、ってことになっていて……」
「そうなのか? ……では何も見なかったことにしよう。我が村としては、この状況をどうにかしてもらえればそれで良いのだからな」
どうやら、ハルトは家出息子らしい。
部屋住みのスペアってやつだな。
農村には農村の事情がある。下手な詮索しないほうがいい。
「ハルトとエステルに関しては、ただの冒険者ということでお願いします。それで、討伐か追い払うかという依頼ですが、何か要望はありますか?」
「……こちらとしては、被害が止まるならどちらでも構いません。ですが、ただ畑に出てきた魔獣を追い払うだけなら、我々が行う対処と変わりがありません。森の中に入り、そこでの討伐を希望します」
自分たちでできることなら、自分たちでやる。
そう考えるなら、森の中をなんとかしないと冒険者を呼んだ意味がない。
「承知しました。では、今日のところは準備に使い、明日森へ入ります」
俺が頷いたところで、マティアスはゆっくりと立ち上がる。
「では、村番を呼びましょう。荒事については騎士殿の口から聞いてもらった方が早い」
ほどなくして、扉が静かに開いた。入ってきたのは、背の高い老人だ。
白髪混じりの髪を後ろで束ね、上等とは言えないが、よく手入れされた鎧を身に着けている。
年は取っているが、背筋は真っ直ぐ。何より目が鋭い。俺たち四人を順に見て、視線だけで測ってくる。
「グライフェンマルク領、第三従士隊、退役騎士ヘルマンだ。今はここレーベン村の村番を仰せつかっておる」
そう名乗って、老人は軽く会釈した。
村長が補足を入れる。
「領主様に長く仕えられ、今はこの村を見ていただいております。荒事や諍いの裁定も、ヘルマン殿に頼っておる次第でしてな」
「リーネ・リンデベルクです。こちらは――」
簡単にメンバーを紹介する。
ヘルマンはリンデベルクとアイゼンヴァルトの姓に、僅かに目を細めた。
だが、それ以上の感情は表に出さず追及もない。
「ギルドへ依頼を出したのは知っておる。この老骨一人では、魔獣を打ち払うことなどできんからな。それで、確認しておきたいことが一つ――」
ヘルマンは村長から羊皮紙を受け取り、指先で軽く叩いた。
「本当に魔獣と戦う力があるかどうかだ。それなりの武芸の腕前があることは見て取れる。しかし、それがこの村を荒らす魔獣に通じるかは、戦ってみないと分からん」
まあ、女が三人に男が一人。しかもリーダーは女だ。
俺とリゼが騎士家出身でも、いきなり信用しろという方が無理だろう。
「懸念は理解できます。ただし、ギルドが私たちを派遣した意味をご理解いただきたい。我々としても、魔獣を討伐できるという自負があるからこそ、この村に参上したのですから」
「ほう? ……言いよるわ。それなら森に入り、スティングスタッグと戦ってみせよ」
「元より、そのつもりでございますれば。それが冒険者としての仕事でございましょう?」
「うむ。では現状の説明をしよう。これが村の地図だが――」
騎士相手だ。いつもの口調は引っ込め、礼節を意識した話し方に切り替える。
ハルトとエステルが、普段の俺とのギャップに「誰?」みたいな視線を送ってきたが、俺の来歴を忘れているのか?
まあ、それはそれとして。明日の作戦会議が始まった。
村に被害を出さずに、森の中へ入って魔獣を討伐する。
途中までの案内や、ある程度の物資は村持ちで出してくれるという。
そんな内容をパーティーのみんなで共有し、細部を詰めていく。
ひととおり話がまとまったところで、村長宅で簡素な食事が振る舞われ、そのまま客間で休むことになった。
おそらく、冒険者を呼んだ時に泊めるための部屋だろう。小さな部屋に、無理やりベッドを六台押し込んだ造りだ。
快適とは言えないが、寝るには十分だし文句を言う理由もない。
「作戦っていうほど大したもんでもなかったけど、寝る前に確認しようか」
灯りはまだ点いたまま。
ベッドに腰かけた状態で、最後の話し合いだ。
「森に入ってスティングスタッグと戦う。おそらく複数でまとまって出てくるから注意が必要。要点はそれだけ。ほかに気になることは?」
「あまり深く考え込んでも害になるだけです。いつもの陣形で警戒しながら進む。しかし森の奥深くには入らず、すぐに撤退できるようにする。こんなところでどうでしょうか?」
「リゼの案を採用かな。リゼはともかく、それ以外はスティングスタッグと戦ったことがないんだからね。まずはどんな相手か知らないと――って、私の顔になにかついてる?」
ハルトとエステルが、じろじろと俺を見ていた。
「いや……いつものリーネと、さっきのリーネは雰囲気が別物だと思ってな。なぁ、エステル?」
「そうね。……まるで貴族とか騎士みたいな話し方だったよ」
「えぇ……私が代官家出身だって知ってるでしょ? 何その反応?」
まさか半信半疑だったのか?
ちゃんと説明してたつもりなんだけどな。
「だってさ、そんな素振り、これまで見たことなかったし。リゼは分かるよ? もともとピシっとしてるから」
「それと比べてリーネは緩いでしょ? だから今日の会話を聞いてやっぱり貴族なんだなぁ……って」
言いたいことは分かる。普段は意識してかなりラフな話し方だし。
礼節については教養として叩き込まれてるし、中身は日本人のおじさんだ。言葉遣いを使い分けるのは普通のスキルに過ぎない。
けれど……この世界の一般人はそうでもない。階級ごとに話し方がまるで違うなんてザラだからな。
「リーネのことをさらに知れた、ということでいいのではないでしょうか? これ以上は無駄な雑談となります。早く休みましょう」
「そうだね。ということで、灯りを消すよ? じゃあ……おやすみ」
ランプの火を落として、ベッドに潜り込む。
明日が討伐だってのに、なんだか肩の力が抜けてしまった。
まあ、変に気張って体が硬くなるよりは、マシかもしれないけどね。




