ハルトとエステル
「……頭いてー」
最初に出た言葉がそれだった。
目を開ける前から、額の奥がずきずき主張している。口の中は乾いていて、喉の奥からアルコール臭が漂っている。
ゆっくりまぶたを上げる。三羽雀亭のいつもの天井。木目。染み。
いつもの朝の光景ではあるが、体はいつも通りじゃなかった。
昨夜――グレイマウル討伐が成功したことで、宴会が催された。
レオンお墨付きだという酒場に行き、そこで出せるだけの料理が並び、樽から直接エールが注がれる。
酔っぱらった誰かが適当に歌い出して、それに誰かがハモって、気づけばテーブルの上で踊ってる奴までいた。
レオンたち『街道の守護剣』はもちろん、他の冒険者たちへも祝い酒ということで無分別に振舞う。
そんなことをすれば、討伐の主役として祭り上げられた俺も、潰れるまで飲まされたというわけだ。
昨日のあの恐怖を、酒で薄めてやろうって気分だったのもある。半分やけ酒だったからな。
――で、今がこれだ。
「……うぇ」
上体を起こした瞬間、胃のあたりが抗議してきた。
窓から差し込む朝の光が、妙に眩しい。ちょっとした拷問だ。
「おはようございます、リーネ」
きっちりした声が、部屋の隅から飛んできた。
いつもは俺の方が先に目覚めるのに、今日はリゼの方が先だったらしい。
視線を向けると、リゼは椅子に腰かけていた。着替えも済ませて、もう出かけるだけの状態だ。
「……すまん、飲み過ぎたようだ」
「そういう日があってもいいでしょう。今日は休日なのですから」
「でも……俺と同じくらい飲んでなかったか?」
「そうですね……リーネより若干多く飲まされたかと。ただ、私はお酒に強いほうなのでなんとかなっていますが」
鋼鉄の肝臓ってやつ?
たまにいるんだよな、そういうザルみたいなの。
「どうやら俺は酒はあんまり強くないらしい……次からは気を付ける」
「それがいいでしょう。水はそこに用意してあります。ゆっくり飲んでください。今日は大事な顔合わせが控えていますからね」
顔合わせ。
ぼんやりしていた頭が、そこだけくっきり輪郭を取り戻す。
そうだ。今日はレオンたちが鍛えている新人との、初めての顔合わせの日だ。
「……行かないって選択肢はないな。体調の悪そうな面をして顔合わせってのは、気にかかるけど」
「レオンが仲介するのです、事情を話しているのでは? 大丈夫ですよ」
「なら、いいんだけどな……」
頭痛を我慢しつつ、寝床からずるりと抜け出した。
そうして水差しを抱えて喉に流し込む。
冷たい水が食道を落ちていく感覚だけが、今は心地いい。
体の不調を精神操作で消すのは……やめておこう。
あまりに体の信号を無視しすぎると危ないからな。
我慢できるなら、使わないほうがいい。
「……リゼ。準備ができた」
「なら、行きますか。リーネの歩調に合わせますよ」
「……じゃあ、のんびり行こう。走ったら確実に吐く」
そう宣言して、俺たちは三羽雀亭を出た。
街はもう動き始めていた。
荷車を押す商人、店先を掃く店主、井戸の前で集まっている女たち。
ただ、よく見ると、何人かは俺と同じように、微妙な足取りで歩いている。
――あれは、昨夜一緒に飲んでた奴らだな。
仲間がいることに安心するけど、それでも気休めに過ぎない。
ギルドまでの道が今日はやけに長く感じる。
「俺……あ、いや。私の顔はどう?」
「事情が説明されていれば、失礼には当たらないでしょう。ですが……言葉使いは注意しなくてはなりませんね」
「素の私を出すわけにはいかないよね……そこは意識するよ」
「頑張ってくださいね」
そんなことを話していると、ギルドの建物が見えてきた。
重たい扉を押して中に入ると、いつもの獣脂と酒の匂いが迎えてくれる。
カウンターには、見慣れた顔が二つ並んでいた。
「来たか」
ボルクと、その横でカウンターに肘をついているレオンだ。
レオンはいつもの調子で笑おうとして、途中で顔をしかめた。
「……レオンさん。顔色悪いね」
「お前にだけは言われたくねえ」
ボルクが俺達を見て笑う。
「他の『街道の守護剣』の連中は全滅だってよ。ずいぶんと飲んだみたいじゃねーか」
「久々に楽しい宴会ではしゃぎ過ぎたぜ……」
レオンが自分のこめかみを指で押さえながら言う。
「リーダーとして、約束すっぽかすわけにもいかねえからな。這ってでも来たってわけだ」
「それは……ありがとう」
「人を紹介するってのに、その紹介人がいないなんて沽券に関わるからな」
そんな軽口を一つ交わしたあと、レオンは指でギルドの奥を示した。
「で、本題だ。例の新人はすでに待たせてある。ギルドから部屋を借りてな」
「そこで話すってことだね」
「おう。どうだ、会えるか?」
「話はできるよ。顔色についてはレオンさんが説明してよ。しこたま飲まされたってね」
「そりゃそうだが。リーネも自分から飲みまくっていたじゃないか」
席を立ち、雑談をしながらギルドの奥へ向かった。
案内されたのは、簡素な控え室だった。
椅子とテーブルがあるだけの、小さな部屋。
その中に、すでに二人の姿があった。
一人は栗色の髪の少年。
年は俺より少し上くらいだろう。
短く刈られた髪に、焼けた肌。視線は落ち着かないが、背筋はまっすぐだ。
もう一人は、杖を膝に置いて座る少女。
淡い色のローブをまとい、金色の髪を肩口で切りそろえている。
柔和な目の少女で、こっちは俺の少し下くらいの年齢かな?
髪の色は違う。
けど、兄妹と言われれば納得の顔立ちをしていた。
「紹介する」
レオンが前に出る。
「こいつらが、ハルトとエステル。槍使いと支援術士だ。俺たちがここしばらく面倒を見てきた」
少年が椅子から立ち上がった。
「ハルトです。槍についてはレオンさんから仕込まれています! 攻撃というよりも守りの戦いが得意です。よろしくお願いします!」
言葉が少し噛み気味なのが、いかにも新人だ。
「エステルです。補助の術を使います。私はミレイさんに教えて貰っていますが、まだまだ未熟です。ですが、疲労軽減については自信があります。よろしくお願いします」
こちらは落ち着いている。
しかし、それでも緊張感を隠せていない。
「で、こっちが」
レオンが俺たちの方へ顎をしゃくる。
「リーネとリゼ。見ての通り剣士だな。昨日、グレイマウルを一緒に倒してきたばかりだ」
「リーネ・リンデベルク。貴族ってのは気にしないで。今は冒険者だからね。よろしく」
「リゼ・アイゼンヴァルトです。どうぞ、よろしくお願いいたします」
ハルトとエステルが、一瞬だけ目を見開く。
「貴族……それにグレイマウルって……本当に?」
ハルトが驚いているが、それにレオンが「おう」と短く答える。
「貴族については俺も詳しくは知らん。だが、俺達『街道の守護剣』とリーネたちでグレイマウルを討伐したのは本当だ。それで昨日は宴会をしていたんでな、こんな酒臭い面を見せているわけだが、そこは配慮を頼むぜ」
「それはいいですけど……まさかこんな子が……」
俺を見ながら半信半疑な表情を向けるハルト。
エステルについても、それは同じようだ。
レオンはそんな彼らを見て、話し出した。
「リゼについては疑問はないようだな? そんでリーネについては半信半疑、と。まあ、気持ちは分からなくはないが、こいつはグレイマウルに飛び掛かる度胸を持っている。その動きに俺達も助けられた。それだけは真実だ」
レオンの言葉を聞いて、さらに驚くハルトとエステル。
グレイマウルってのはかなりヤバイらしいが……冒険者歴の浅い俺にはよく分からん。
「ともあれ、だ」
レオンが話を本筋に戻す。
「俺の見立てじゃ、お前ら四人が組めば、それなりにバランスのいいパーティーになる。剣が二人に槍と支援……悪くない」
俺達を見回しながら、レオンが続ける。
「今日のところは顔合わせだが、お互いを見てどう思う? まずは一緒に討伐に出るってのがいいと思うがな」
「見るだけじゃ分からないから、まずは一緒に戦ってみたい。リゼはどう?」
「――それなりにできるように見えますね。それに、不安なら鍛えれば済むこと。槍にも多少の心得がありますから、指導は可能です」
それが俺とリゼの見解だった。
ハルトとエステルは――。
「レオンさんに従います。俺はまだ判断できるほどの実力がありません。ただ、レオンさんが言うように相性が本当にいいのかを知りたいです」
「私も兄と同感です。まずは一緒に森に入ってみるのがいいのではないでしょうか?」
というのが、この兄妹の結論だった。
一緒に戦ってみないと分からないってのが、共通見解だな。
「よし。明日は討伐依頼を受けてみろ。浅いところで構わん。お互いの動き方を見るのが目的だ」
レオンがそう言うと、ハルトとエステルが真剣な顔で頷く。
「分かりました。明日は一緒に討伐に出るということで、お願いします」
二人を代表してハルトが言った。
返事としては、こちらも同じ。
「じゃあ、明日だね。それなら今日はゆっくり宿で休むよ。酒を抜かないとね」
「それがいい」
レオンが苦笑する。
「お互い万全な体調でな。俺は相性がいいとは思っているが、最後は当人同士で決めるんだ。決して俺の言いなりになるんじゃないぞ」
「分かってるよ、レオンさん。ハルトとエステルだったね? 明日はよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして顔合わせは終わった。
パーティーの重要性はグレイマウル討伐で痛感しているから、今後は四人以上で森に潜りたい。
そのためにも、この兄妹との相性を確かめる必要がある。
――明日は万全の体調で挑まないとな。




