マインドブロウ
木剣を握る手に、じんわりと汗が滲んでいる。
屋敷の訓練場で、何度目か分からない素振りを繰り返していた。
「いいですよ。また来てください」
対面に立つリゼが、木剣を正眼に構える。
「行くよ」
腰を落として、息を整える。
アルベルトの『夢想魔剣』は、剣を振り下ろした瞬間に風を叩きつける技だった。
けれど俺が同じことをやっても、そよ風しか出せない。せいぜいスカートの裾が揺れる程度の残念仕様だ。
だから言われた通りにまるコピは諦めた。
使うのは風じゃなくて、火だ――通常の魔法なら、俺がもっとも得意な属性。
足を踏み込み、上段から振り下ろす。
その瞬間――剣先に意識を集中させ、魔力を押し出すイメージを重ねる。
「――はぁっ!」
気合とともに打ち出す一撃。同時に乾いた音が鳴る。
リゼの木剣に俺の一撃がぶつかった瞬間、触れ合ったところからオレンジ色の火花が弾け飛んだ。
「どうかな?」
「……火花が飛び散る程度ですが、対人戦には使えるのではないでしょうか」
リゼは木剣を軽く振ってから、真面目な声音で続ける。
「今のように鍔迫り合いの瞬間に発動させ、火花を顔に飛ばして目つぶしのように使うのがいいでしょう。冒険者が相対する可能性のある敵――盗賊や暴漢程度であれば、十分な牽制になるはずです」
「実剣ならバインドで使うのもいいかな? 防御の時に飛ばせれば、それも効果があるよね」
「いい発想です。攻防両用の技とすれば、より有効な局面を増やせるはずです」
速攻で風を諦めて火に切り替えてよかった。
そもそも俺は魔法が得意じゃない。あの疾風剣の真似を完コピできるわけがないんだ。
なら、せめて使える範囲で最大限やるしかない。火花一つで有利が取れるなら、それでいい。
「じゃあ、これでお父様に見せてみようか」
「そうですね。今日の出来なら、十分にお披露目に値します」
リゼはそう言って、小さく微笑んだ。
「――以上が、現在の『夢想魔剣』の成果です」
訓練場に再び立つ。今度の相手はリゼではなく、アルベルトだ。
木剣でなく真剣。実戦を想定して使えるかという結構厳しいテストだった。
「では、やってみせなさい」
アルベルトが短く告げる中で、砂地の外ではリゼが黙って見守っていた。
そちらに視線を向ければ、軽く頷いている。
……よし。やるか。
息を整え、足を開く。
剣を持ち、防御の姿勢を取るアルベルトに向けて、一気に踏み込んだ。
「――っ!」
剣を振り下ろす。
それをアルベルトが難なく防御するが、剣と剣が触れた瞬間――火花が、ぱっと散った。
眩しく散っていく火花の中で、特に大きいものがアルベルトの顔に向けて飛んでいく。
それをアルベルトは何でもないかのように顔で受けた。
普通なら反射的な反応をしてしまう。
というか、リゼでさえ無反応ではいられないのに……やっぱり凄く強いんじゃないの? このお父様。
「どうでしょうか?」
剣を下してそう尋ねる。
アルベルトも同様に剣を下し、左手で火花が散った自らの顔を確かめるように撫でる。
その後に、ゆっくりと頷いた。
「いいじゃないか」
「……本当に?」
思わず聞き返してしまう。
それに対して、アルベルトは笑顔を見せた。
「最初から大きな威力を求めず、今自分に扱える魔法で何ができるか工夫する。魔法使いとしても、戦士としても大切な心構えだ」
「では、これで――」
「認めよう」
言葉を遮るようにして、アルベルトはっきりと言い切った。
「冒険者としての活動を許可する」
「……はい!」
修行の期間としては三日ほど。
アルベルトに直接教えを受けたり、リゼとも相談したりしたけど、拍子抜けするほどあっさり終わった。
やはり、精神操作は有用すぎる。最高の結果をいつだって持ってくる。
「これからも精進を続けなさい。威力を私と同じにする必要はない。お前なりの『夢想魔剣』を作れば、それでいい」
その言葉と共に、最後のテストが終了した。
訓練場から屋敷へと戻る足並みは、思った以上に軽やかだった。
その日の夜。俺は自室のベッドに寝転んで、天蓋の布地をぼんやりと眺めていた。
「……ふう」
大きく息を吐いて、腕を頭の後ろで組む。
これで色々なことが片付いた。両親への説明と説得。冒険者としての正式な許可。そして――『夢想魔剣』の習得。
けれど、ひとつだけ誤魔化していることがある。
――今日使った『夢想魔剣』は、ある意味でダミーだ。
火花を飛ばす技そのものは確かに有用だ。
視界を奪い、動揺を誘える。アルベルトの言う通り、今の自分にできる工夫としては悪くない。
でも、俺が本当に得意なのは火じゃない。精神操作だ。
リゼとの稽古の途中で、ふと試してみたことがある。
火の代わりに、いつも通りの精神操作のイメージを剣に乗せてみたのだ。
そのイメージは恐怖。ゲームっぽく言うなら、『フィアー』とでも名付けようか。
やり方は単純――剣を振る瞬間、怖いと感じるイメージを相手の頭に直接叩き込むだけ。
稽古で木剣を交えていれば、たとえ訓練でも恐怖はある。その恐怖をほんの少し増幅する。
それだけのはずなのに――。
「……あれは、正直びっくりしたな」
振り下ろした木剣が、リゼの木剣とぶつかった瞬間。
リゼの体が、ぴたりと固まったのだ。受け止めはしたものの、いつものように受け流したり、いなしたりせず、ただ真正面で受けるしかできなくなっていた。
……あのリゼが、だ。
リゼ本人は「リーネお嬢様の気迫に押されました」とか言っていたけど、タネが分かっている俺からしたら、あれは完全に魔法の効果だ。
人間は、木剣が顔の前で振られても怖くない、なんてふうにはできちゃいない。訓練を積めば耐性はできるけど、完全には消えない。
恐怖によって身がすくめば動きは鈍るし、視野も狭くなる。反応速度だって落ちる。
「……剣筋そのものは、普段より雑だったのにな」
技としての精度よりも、精神の状態のほうが影響が大きい――。
それを、身をもって知ってしまった。
これは、たぶん俺の本当の意味での『夢想魔剣』になる。
リンデベルク家に伝わる近接戦闘用の魔法。
本来は自衛用の簡易魔法にすぎなかったそれを、父は風の斬撃に変えた。兄たちは二刀の魔法剣や不可視の刃とやらに変えたらしい。
なら――俺は心を折る剣に変えてしまえばいい。
「……にしても、これはさすがに言えないよなぁ」
父にも、母にも。もちろんリゼにも。
相手に恐怖を植えつける魔法を持っていますなんて、素直にカミングアウトできるタイプの能力じゃない。
もとより、精神操作魔法自体が禁忌の魔法なんだ。誰にも話すことはできない。
逆に言えば、最高のワイルドカード――俺だけの奥の手になる。
「名前はどうしようかな」
天井を眺めながら、ぼそりと呟く。
ちょっとだけ考えて、思いついたものを口の中で転がしてみる。
「……『マインドブロウ』とか、どうだ?」
相手の心を殴る魔法。相手の思考にブローを入れるイメージ。
別に恐怖に限定されるわけじゃない。なら、この名前のほうがしっくりくる。
表向きの『夢想魔剣』は火花を出す魔法。
本命の『夢想魔剣』はマインドブロウ。
一見して地味な魔法の裏に、クリティカルな一撃を与えるギミックが隠されている。
――騙し討ちや化かしあい……実に俺好みだ。
「いい魔法を手に入れたもんだ」
もっとも、ここまでできたのは、日頃から精神操作を常用してきた結果でもある。
自分の感情を操作し、リゼを相手に対人操作を学んだからこそ、精神操作を刃に乗せるなんて芸当ができるわけだ。
継続は力なり――怪しげな方向に伸びてしまっている気もするが……まあ、今さらだな。
明日は、グレインフォールに向かう。
今度こそ正式な冒険者として。
「――俺の冒険は、これからだ!」
思わず天井に向かって宣言してみる。
言ってから、苦笑いがこみ上げた。
「……いや、これ打ち切りエンドの締め台詞じゃねえか。縁起でもない」
漫画でよく見る――かどうかは分からない。ネットミームみたいなもんだからな。
でも、よくよく考えたら、打ち切りエンドの方がよくないか?
波乱万丈な人生なんて俺は望んじゃいない。程よく冒険があれば、あとは平和が一番。
大事件も、大戦争も、大規模な魔王討伐も必要ない。
小さな依頼をこなして、そこそこの稼ぎで、そこそこの幸せがあればいい。
「……それが一番、安心できるんだけどな」
そう呟いて、目を閉じる。
まぶたの裏に、グレインフォールの街並みが浮かんだ。
低い城壁。三羽雀亭。ギルドのカウンター。蒸し風呂の湯気。
そして、俺の隣に立つリゼと、少し後ろからついてくるトビーの姿。
波乱なんて来なくていい。
けれど――もし来るとしても、そのときはそのときだ。
俺には夢想魔剣があり、精神操作があり、マインドブロウがある。
あとは、明日からの毎日を、一歩ずつ踏みしめるだけだ。
そんなことを考えているあいだに、柔らかな眠気が身体を包み込んでいった。




