報告と今後の展望
目を開けた瞬間、天井が違うと分かった。
木の板にささくれが少なくて、藁の埃っぽい匂いがない。干した布と、ほのかな石鹸の匂いがする。
――そういや、宿を取ったんだ。
「……色々あったな」
思わず口から漏れる。
初めての討伐依頼、冒険者の救助と戦い。その後のリゼの説教に、冒険者としてやっていく覚悟。そして本心の開示。
極めつけにベッドの中であれこれ。イベント詰め込みすぎだろ、一日で。
隣から布が擦れる音がした。横を向けば、今まさにリゼが目覚めるところだった。
「……おはようございます、リーネ」
寝起きなのに声だけはいつもどおりだ。
ただ、その顔は普段の無表情とは違い、ゆるゆるだった。
こうして見ると、リゼも可愛い女の子にしか見えないな。
「おはよう、リゼ。今日はギルドへの報告だったかな?」
「ええ。ボルク殿が対応してくれるという話です」
腕を失った青年と、足を失った青年を救助した件だ。
昨日は疲労もあって、詳しい話は今日に回すと言われている。新規の依頼を受けるにしても、まずはそれを済ませてからだ。
ベッドを抜け出し、準備を始める。
身体をひねると、あちこちが鈍く痛んだ。
これは筋肉痛だ。動けないほどじゃないが、無理をしないほうがいい。
――精神操作は、今日は封印だな。痛みをごまかすと、後でツケが来る。
本気になれば痛みも感情も殺して動ける。
だけどそれは肉体の限界を軽々しく超える行為だ。緊急時以外でやるものじゃない。
屋敷での稽古で、そのあたりの見極めはだいぶ研究した。今日はゆったり過ごすのが吉だ。
身支度を整え、軽く関節を回す。依頼を受けるには体の痛みが気になるが、剣の稽古なら問題ないだろう。
支度金を使うと決めたんだ。無理に金を稼ぐ必要もない。
「よし、行くか。話し方も外では変えるからそのつもりでいてくれ」
「分かりました。その話し方は……二人だけのときに」
二人だけ――その言い方をするときのリゼは、どこか嬉しそうだった。
俺としても嬉しい。リゼが俺を意識してくれるなら、躊躇う理由はない。
とはいえ、それは今夜から。まずは報告とやらを終わらせないとな。
二人で部屋を出て、階段を降りる。
食堂にはマルタがいた。他の客の姿はない。背中をこちらに向け、鍋をかき回している。
麦粥の匂いがいい具合に漂っていた。
「よく眠れたかい」
振り向いたマルタが、こちらを見る。
「ぐっすり眠れたよ。それに、お腹が空いた」
「そりゃあ結構なことだ。食べたら行くんだろ? 冷めないうちに食べな」
木の椀に注がれた麦粥。素朴な塩味。
ご機嫌な朝飯だ! と、叫ぶには質素だが、胃に流し込むにはこれくらいがちょうどいい。
無心に匙を動かしているうちに、椀は空になった。
「これからはこの宿を取るのかな?」
「そのつもりです。手続きは私がやっておきますので、リーネはギルドに向かう準備をしてください」
ここが当面の拠点になる、そういう話だ。
部屋に戻って荷物をまとめる。長期で部屋を借りる前提なので、持っていくものは最低限でいい。
リゼの分も一緒にまとめて一階に降りると、手続きはすでに終わっていた。
「ではマルタ。あとはお願いします」
「任せな。今は客も少なくて暇をしてたからね、長期滞在は歓迎だよ。いってらっしゃいな」
マルタの言葉に背中を押されるようにして、宿を出た。
春とはいえ、朝は肌寒い。日が高くなれば暖かくなるが、それにはもう少し時間が要る。
大通りに出てギルドへ向かう。荷馬車の軋む音、屋台を準備する声。街はいつも通りだ。
変化があるのは、こっちの心のほうだな。
「少し、緊張しているようですね」
隣を歩くリゼが、不意に尋ねてくる。
「少しね。……報告って言ってもさ、それでどんな顔をされるのか」
「ギルドとしては悪い反応にはならないと思います。むしろ高評価となるはずです。ボルク殿も、昨日は感心したような顔をしていました」
昨日の受付に寄ったときのボルクの顔か。
正直、あまり覚えていない。気疲れしすぎていて、細かいところは霞んでいる。
「ならいいけどね」
そんな会話をしているうちに、ギルドの建物が見えてきた。
「行こうか」
「ええ」
一呼吸おいて気を引き締め、それから扉を押した。
中の空気が、一瞬だけ固まったのが分かった。
ざわめきが止まる。誰かの笑い声がぷつりと切れ、椅子の軋む音も消える。
すぐにざわめきは戻った。ただし、昨日までと同じではない。
「……見られてるね」
小声でつぶやくと、リゼが頷いた。
「悪い視線ではないようです。気にせず受付に向かいましょう」
「そうだね」
カウンターへ向かう。
丸太みたいな腕をした、こわもての受付――ボルクは最初からこちらを見ていた。
「来たか」
野太い低い声。けれど、いつもと空気が違う。
俺が口を開く前に、ボルクが続けた。
「まずは確認だ。足をやられたほうと、腕を落としたほう。どっちも生きてる。昨日の今日だが、予後は良好だ」
「……本当に?」
「本当だ。しばらく寝たきりで、冒険者としての復帰は絶望的だがな」
「喜ぶべきか、悲しむべきか、どう反応するべきかな?」
生きているのは、いい。
けれど、食い扶持を稼ぐ手段がなくなるという意味では、未来は昏い。
「喜んでいいだろう。片腕片足がなくとも、できる仕事はないわけじゃない。……ただ、夢破れたって意味では、悲劇に見えるかもしれんがな」
「彼らは、夢を持って冒険者になったってこと?」
「……余計なことを言っちまったか。忘れてくれ」
冒険者の個人情報をべらべら喋るのは褒められた行いじゃない。
それでも口を滑らせたあたり、ボルクなりに感傷があるのだろう。
「分かったよ。それで、報告はここでするの? それとも前に話した部屋かな?」
「あの部屋だ。付いてきてくれ」
立ち話ではなく、冒険者登録をした時と同じ部屋に通される。
そこで昨日の出来事を順に話していき、ギルドとしての評価が告げられた。
「ギルドとして評価を改める。厄介な貴族のお客さん、っていう汚名は返上だ」
「分かってはいたけど、そんな評価だったんだね。それで、どうなるの?」
「リゼの実力が騎士級だと『街道の守護剣』から確認が取れた。それに嬢ちゃんもだ。大幅に実力に対する評価が上方修正された」
自分でもそれなりの活躍をした自覚はある。そういう意味では納得の評価だ。
「その評価が適正なら嬉しいね。それで、これから私たちはどうなるの?」
「次の仕事から試しで荷役士を付ける許可が下りた」
「荷役士……何それ?」
聞き慣れない単語だ。
「言葉どおりだよ。ギルドと専属契約をしている荷運び人だ。魔獣の間引きはできても獲物を持ち運べない、そういう冒険者に付ける仕組みだ」
「それは分かるけど……だから冒険者は剥ぎ取りが大事って話だったんじゃないの? 親方から金になる部位は教わってるよ?」
「そりゃあ駆け出しの話だ。嬢ちゃんたちの力なら、本腰入れて奥で間引いて、獲物は別口で運ばせたほうが稼ぎがいい」
それはそうだ。丸ごと運んでくれれば楽だし、剥ぎ取りも数をこなせる。収入が伸びるのは目に見えている。
俺がそこまで理解したのを見て、ボルクは話を続ける。
「森の奥で獲物を捌くのは、三流――せいぜい二流に昇格したばかりのやり方だ。あんたらの腕なら、もっと先まで行けるし、そのぶん素材も運べる。だからギルドは荷役士を付ける許可を出した」
「冒険者になってまだ一週間とそこらだってのに、すでに二流扱いってのはどうなの? あまりに早すぎる気もするけど」
「同業者を助けて、自分は怪我なく帰還しただろう? 自分だけの懐じゃなくて、ギルド全体の利益を見て動ける。そう評価されたってことだ。信用ってのは普通は積み上げるもんだが、そこに命が絡めば話は別だ。一足飛びの評価をすることだってある」
冒険者の命は軽い。
だからこそ、命を賭けた行動には評価が乗る――そういうことか。
「リゼはどう思う? 荷役士が付くってことは、森の中にさらに入ることを求められるってことだけど」
「良いのではないでしょうか。いざとなれば荷を捨てて逃げればいい。ボルク殿、その荷役士は動けますか?」
「予定している奴も荷役士としては新人だが、かなり動けるほうだな。逃げ足は期待していい」
いざとなれば、そいつも一緒に逃げられるってことか。
リゼを見れば、軽く頷いている。
「荷役士と一緒にやってみるよ。今の自分がどれだけ稼げるか、その限界を知りたい」
そう告げると、ボルクの口元に笑みが浮かんだ。
「言うと思った。それでこそ期待する価値があるってもんだぜ」
短くそう言ってから、帳面に何かを書き込む。
「あんたらに付ける荷役士、そいつはトビーって小僧だ」
「トビーね。でも小僧って……子供ってこと?」
「嬢ちゃんより年下だが、荷役士としての腕は確かだ。ただしクソガキでもある。相性が悪いと思ったら使わなくていい。まずは一緒に間引きに出て、試してみろ」
クソガキと来たか。
可愛げのある子供ならいいが、その呼び方だとあまり期待をしないほうが良さそうだ。
けど腕がいいなら、チャンスなのは間違いない。
「今日のところは休養日として、明日また間引きに出るってことでいいかな? トビーとの顔合わせは、その時に」
「おう、いいぜ。それで予定を組んでおこう」
そうして、ギルドでの報告と今後の方針についての話し合いが終わった。
明日顔を合わせることになる荷役士――トビー。
いったいどんな奴なのか。今のところの印象は半分不安で、半分楽しみだ。




