援軍と生還
クリフと名乗った男に肩を貸し、森の中を進む。
リゼは足をやられた男を背負い先を進む。戦争映画に出てくる衛生兵って、きっとああいう絵面なんだろうなと思う。
背後からは、ずっと魔獣の気配がついてきている。
あくまで気配ってだけで、その距離は定かでない。まだ姿が見えないってのが、逆に恐怖だな……。
このまま姿を現さずに街まで逃げ切れるかと言われると……かなり怪しい気がする。
「いざとなったら俺達を置いて逃げろ……君たちをこれ以上巻き込むわけには……」
クリフが、うめくように言った。
「そのときはそうさせてもらうさ。でも、最後まで諦めるな」
肩を貸したまま、短く返す。
弱った心に、そっと手を添えるみたいに精神操作をひと押しだけ掛ける。
それにより勇気を増幅させるが、初めて使う他人への精神操作だ。実験なしに無茶はできない。この程度が限度だろう。
「……すまない」
「生き残れたら、そのときゆっくり礼でもしてよ」
クリフは肘のあたりから先を失っている。
バランスが崩れているのか、体重の預け方が不自然だ。
そのぶん、支える俺の腰にも足にも負担が掛かる。
自分の『身体強化』を維持しながら、怪我人の歩みに手を貸す。
正直、かなりきつい。魔力が切れたら、本当に見捨てる選択を取らざるを得なくなるかもしれない。
――でも、そんな選択は、できるなら取りたくない。
そう心の中で言い切ったところで、背後から枝の折れる音が聞こえた。
ぱき、ぱき、と短く続く。
背中の皮膚がざわつく。足音も重くなる。ひとつやふたつじゃない。おそらくは群れ。
前を行くリゼの背中が、わずかに前のめりになる。
彼女も気づいているが、出せる速度は限界に近い。
それでも大の男を背負ったまま歩幅を乱さないのは、騎士としての実力か、それとも意地なのか。
俺の横で歩くクリフは、口元を歯で噛みしめていた。
顔色は悪く、呼吸も荒い。それでもさっきみたいな虚ろな目はしていない。ちゃんと、自分の足で地面を踏みしめている。
ここまでくれば精神操作は要らないかもしれない。一人で歩かせても大丈夫だろう。
なら――殿を務めるのは、俺だ。
全員を生かすと決めたのなら、覚悟を決めるしかない。
その決意に合わせるみたいに、前方が少し明るくなった。
木々の隙間から、白い光が覗く。あの先は開けた土地だ。出口は近い。
だが、それが合図だったみたいに、背後の唸り声が一段と大きくなった。
「……くそ」
思わず悪態が漏れる。
同時に大きな枝が折れる音がして、とっさに振り返る。
グリムパップが五匹、木々の影から飛び出してきた。
さっき斬った二匹より、一回り大きい。
子犬サイズの体に、血走った目。涎と血で汚れた口元。剥き出しの牙は、笑っているみたいに見える。
あと数秒もしないうちに、奴らは飛びかかってくる。
対処できるのは――俺だけだ!
「クリフはそのまま行け! リゼもだ! 森の外に負傷者を連れ出してから戻ってきてくれればいい!」
クリフの肩を外す。ちゃんと自分の足で立てるのを確認してから、剣を抜いた。
同時に、一匹が先陣を切って跳ぶ。
咄嗟に剣を突き上げ、顔面に向かって迎撃する。
手応えあり! 悲鳴もなく、グリムパップはその場でくたりと崩れ落ちる。
「――くそが!」
だが、問題が発生する!
骨と肉に剣が絡めとられたのか、抜くことができない。
このまま剣に気を取られていたら、残り四匹にまとめて噛み砕かれる。
獣たちが低く吠え、一斉に地面を蹴った。
獣の影が地を這うみたいに、地面すれすれをこちらへ走ってくる。
剣を諦め、咄嗟に腰の剥ぎ取り用ナイフを抜いた。
攻撃用じゃない。分かっている。分かっているけど、何も持たないよりはましだ。
絶体絶命。そんな言葉が頭に浮かびかけた、その瞬間――。
「伏せろ!」
聞き慣れない怒鳴り声が、後ろから飛んできた。
反射的に腰を落とす。
次の瞬間、視界の端を何かが駆け抜けた。
長い影。金属の鈍い光――槍だ。
槍の穂先が、先頭のグリムパップの肩に突き刺さる。
そのまま地面へ叩きつけられ、土と血が跳ねた。短い悲鳴が潰れる。
さらに一本、矢が飛ぶ。
さきほど別方向から飛びかかろうとしていた個体の目の周りに突き刺さり、その足がもつれる。
残った二匹は速度を落とし、距離を取って唸り声を上げた。
「マレナ! 前に出て、抑えろ!」
「お嬢ちゃん! 森の外に逃げな!」
別の声が続く。
森の縁から、二人、三人と人影が飛び出してきた。
小さなラウンドシールドと片手剣を構えた女戦士が、俺とグリムパップの群れの間に割り込む。盾を前に押し出し、低く構えて牽制する。
群れの足が止まり、膠着状態になった。
「走れ! 森から出ろ! ここは俺達が引き受ける!」
言われるとおりに森の外へ向き直る。
そのとき、視界の隅にリゼが入った。
さっきまで背負っていた男を地面に下ろし、剣を抜いてこちらへ踏み出そうとしていたところだった。
援軍を見て、ぎりぎりで足を止めたのだろう。
一瞬だけ、目が合う。
そこには、はっきりとした非難の色がある。
けれど、今は負傷者を森の外に運ぶべきだという判断もそこにあった。
リゼはすぐに剣を鞘に納め、負傷者を担ぎ直すと、無言で森の外へ歩き出した。
俺もクリフに追いつき、再び肩を貸す。
あとは、彼らに任せるしかない。
――助かった。
援軍が入った事実を認識したところで、ようやくそう思えた。
気が緩みそうになるが、まだ森から出てはいない。緩めすぎるのは早い。
背後では、槍と獣のぶつかる音が続いている。
金属の響き、肉を裂く鈍い音、獣の唸り、人間の荒い息遣い。
全部がごちゃ混ぜになって、森の中で渦を巻いていた。
振り向きたくなる衝動に駆られるが、敵が抜けてこない以上、今やるべきことは一つだ。
歩みを止めないこと。今考えるのはそれだけでいい。
木々の影が薄くなっていく。
幹と幹のあいだに、白い空が広がる。
――あと数歩。
リゼの足が、森の縁を越えた。俺とクリフもそれに続く。
踏みしめる土の感触が変わる。
湿り気のある黒土から、踏み固められた明るい地面へ。
音が変わった。
背後で鳴っていた葉擦れと唸り声が、一枚の薄い膜の向こうに行ったみたいに遠のく。
代わりに、風の音がはっきり聞こえた。街のほうから吹いてくる、少し乾いた風だ。
顔を上げると、グレインフォールの街並みが遠くに見えた。
低い城壁が帯のようにのび、その内側に屋根がいくつも重なっている。煙突から上がる白い煙。石畳の道の線。全部が、やけに眩しく見えた。
――なんとか、なったな……。
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れそうになった。
膝が抜けそうになるのを、なんとか踏ん張る。ここで倒れたら笑い話にもならない。
そのとき、隣で嗚咽が聞こえた。
「……す、すまねえ……」
クリフがしゃくり上げる。
涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。必死で堪えようとしているのに、顔の筋肉が言うことを聞かないのか、ぐしゃぐしゃのまま謝罪の言葉だけが漏れてきた。
「……気にするな。生きて戻っただけで、十分だよ」
そう言って、意識を森に向ける。
援軍に入ってくれた彼らが誰か知らないけど、おそらく同業者。
その助けに向かわなくては。
そう思って視界の中に映るリゼを見れば、彼女はすでに男を地面に預け、剣を抜いて森の方角を見据えていた。
俺の隣まで歩いてくると、頭からつま先までをざっと確認するように視線を走らせ、一つ頷いた。
それから、厳しい表情のまま口を開く。
「今夜はお説教をしないといけないですね」
穏やかな声だった。怒鳴り声でも、叱責でもない。
だけど、強い感情が込められているのは理解できる。その想いに俺は答える必要があるが――。
「……覚悟しとく。でも、まずは加勢だ」
「ええ。行きますよ」
森の中からは、まだ戦う音が続いている。
誰かは分からないが、あの人たちがいなければ、無事に森の外に出ることは難しかっただろう。
だから次に援軍に向かうのは、俺達の番だ。
剣の柄を握り直し、リゼと並んで、もう一度森の中に入っていった。




