解体場通いの一週間
藁の匂いで目を覚ます。
さらには獣脂と、木の実の洗剤と、人の汗が混ざった空気が、喉の奥に薄い膜みたいに張り付いている。
寝返りを打つと、すぐ横でリゼがわずかに身じろぎする気配。
同じ藁山で抱き合って寝たのだから、距離が近いのは当然だ。
だが……腕はまだしも、足と足が絡んでいるのは何なのか?
この女騎士、本当に護衛をしているだけか?
疑念は強まるが、今は置いておく。リゼにそっちの気があるなら、俺としてはむしろ喜ばしいしな。
……などと考えつつ、今日も仕事だ。
しっかり稼がないと、貧乏人ロールプレイができなくなる。
そっと腕と足を外し、体を起こす。
「……あっ。おはようございます……リーネ」
「おはようリゼ。準備しようか」
いつもはしゃんとしているリゼだが、朝は弱いらしく寝ぼけまなこだ。
可愛いところがあると知れたのは素直に嬉しい。
自然と浮かぶ笑みを自覚しつつ、服の具合を確認し、髪をまとめ、部屋の扉を開ける。
朝の冷たさが一気に入り込んできた。
ギルドの朝は早い。
朝も早いというのに、少なくない冒険者たちがホールにいた。
掲示板の前であーだこーだと話し合う姿は、いかにもそれっぽい。
「おはようボルクさん」
受付台の向こうで作業をしているボルクに声を掛ける。
ボルクは振り返り、分厚い指で紙束を揃えながら声を飛ばしてくる。
「おう、おはようさん。で、今日も解体か?」
「ええ。空いているならお願いします」
「基本的には空いているさ。給金は悪くねえがキツい仕事だからな。駆け出しが一日か二日でやめるのもザラだ」
「それで技能習得できるの? 結構難しかったよ?」
「やり方だけ覚えて、あとは実地で上手くなるってケースが多い。魔獣を狩れるならそっちのほうが儲かるし、討伐証を剥ぎ取るのは簡単だ」
「そうしたくなる気持ちは分かるけどね。それでも私は地道にいくよ。親方に直接教えてもらえるのはありがたいからね」
アントン親方は見て覚えろ系じゃなく、丁寧に教えてくれる系の親方だった。昔の上司とはまるで別物だ。
「いい心掛けだ。今日も解体の仕事は大量にある。頑張ってこい」
そうして解体場への扉をくぐると、昨日と同じ空気が体に貼り付いた。
職人が集う仕事場の空気――彼らは準備を黙々と進めている。
「今日も来たか。ずいぶんやる気があるようだな」
解体台の前には、アントン親方が立っていた。
親方の視線が、俺とリゼを順に撫でる。
「教えてくれるって言ったでしょ? ならその言葉に甘えないとね」
「確かに言ったが、本気だったとはな……」
親方は顎髭を撫でながら、感心するように見つめてくる。
「なら、俺としても本気で嬢ちゃんに教えないと筋が通らねえ! 本職に劣る程度の腕前までだが、ちゃんと仕込んでやるよ」
「お願いします! 荷物はまたあの場所ですか?」
「おうさ! すぐに作業をするぞ! 遅れるな!」
「はい! 親方!」
元気に返事をする。
職人相手には、やる気を見せるのが一番いいからな。
「私は昨日と同じ配置でいいでしょうか?」
「それでいい。お前さんの話は聞いている。即戦力として働いてもらうぞ」
リゼが親方に確認を取れば、また別々の作業となるようだ。
休憩所に荷物を置き、現場に入る。ここからは別行動だ。
「今日もお願いします」
「おう。始めるとするか」
親方はいつもの調子で講釈を重ねる。
その声を聞きながらナイフを受け取り、柄の感触を確かめた。
こうして、今日の仕事が始まった。
気づけば、血の匂いが日常になっていた。
冒険者を名乗りながらも、とてもじゃないが冒険者っぽくない生活が続く。
最初の内は刃の入れ方を間違えて肉をぐちゃぐちゃにして、親方に「売り物を潰すな」と怒鳴られた。
慣れてくれば腱と筋の位置が少し読めるようになって、四日目には、皮を破りすぎずに剥げる回数が増えた。
手ひどい失敗をしたら、給金を減らされる。
普通の労働者なら気にしてしまうことだろうけど、金を持っている俺に対してはブレーキにならない。
挑戦して、失敗して、修正する。それが上達の近道だ。
精神操作を使い、ひたむきに仕事を続ければ、少ない期間でもそれなりの腕になる。
蒸し風呂や馬小屋宿にも慣れた。毎日使えばそれが普通になる。例え数日だとしてもだ。
そしてリゼに対する疑惑は、毎日抱き合って寝ていればさらに深まってくる。
俺を触る手がやたらとエロい。やっぱりリゼってガチレズなんじゃないの?
疑念は確信に近づいている。もし確信に至ったのなら……その時は、俺も遠慮はいらないだろう。
そうして、冒険者になって一週間が経過した。
「今日は、ここでの仕事を一区切りにしようと思ってます」
作業の合間、俺はナイフを拭いながら口を開いた。
「明日は森に入りたいんです。完璧とは言えないけど、それなりに解体できるようになりましたから」
親方の手が一拍だけ止まった。血に濡れた指先が、肉から離れる。
「ほう」
短い声。じろり、と俺を見てくる。
「たかが一週間だが、まあ……」
親方は俺の手元をもう一度眺めてから、鼻を鳴らした。
「随分と様になってきたのは確かだな。刃の入りも迷わねぇし、余計な傷も減った」
そう言ってから、にやりと口の端を上げる。
「あとは実地でやってみるのも手だ。森に出りゃ、ここみたいに台も道具も揃っちゃいねぇ。解体ナイフだって多くは持ち歩けない。そこで何を選んで、何を捨てて、何を持ち帰るか、自分で決めるってのが重要になるぞ」
「最初は失敗すると思います。でも、やってみますよ」
その返事に親方は満足そうに頷く。
「それでいい。最初から成功だけを積むなんて、どんな人間にもできねぇよ」
「肝に銘じます」
「よしっ! 最後の仕事になるが、だからって手を抜くなよ!」
「はい! 親方!」
親方の声で、場の空気がまた仕事の色に戻る。
俺はナイフを握り直し、最後の一頭に刃を入れた。
作業が終わり、その後片づけだ。
布で道具を拭き、台を洗い、血溜まりを掻き出す。
ここまでやって、ようやく一日が終わる。
「今日はここまでだな」
親方がそう言って、いつものように軽く顎を上げた。
休憩所へ移動すると、そこにはすでにリゼがいた。
二人で並んで椅子に座り、親方と向かい合う。
「たった一週間だが、濃密な一週間だったぜ。よく逃げずに通った」
親方の言葉に、救われるような気がした。
俺は思った以上に、ここで認められたかったらしい。
「ありがとうございます。森で魔獣を狩って、それをちゃんとお金に換えてみせますよ」
「金に換えるのも重要だが……死ぬなよ。死んだら、どんな上等な獲物を仕留めても大赤字だ」
「リーネは私が守ります。死なせはしません」
「油断があるってわけじゃないようだな? 嬢ちゃんのことは――いや」
親方はそこでいったん区切り、髭を撫で、笑いながら言った。
「リーネはリゼに任せておけば安心だな」
親方に初めて名前で呼ばれた。
ってことは――。
「私達の名前を憶える価値があったってことかな?」
「そういうことだ。それで今日の給金だが、最後ってことで少し色を付けておいた。頑張れよ」
親方は照れ臭そうにそう言って、最後の給金を払った。
貰った金額は……いつもより少し多かった。
解体場を出ると、冷たい空気がいっきに入ってくる。
血と脂の匂いが薄まっていくのが、少しだけ名残惜しい。
ギルドに戻ると、カウンターにいるボルクが俺たちに気づき、帳簿から顔を上げた。
「最後の解体作業はどうだった?」
「親方に名前を憶えてもらったよ」
そう答えると、ボルクは驚いたような声を出す。
「やるじゃねえか! アントン親方は親切丁寧だが、人に興味を持つタイプじゃねぇ。それなのに名前を覚えたってことは、認められたってことだな」
「それってすごいの?」
「新人が名前を覚えられるってのは珍しい。凄いと言ってもいいかもな」
仕事に関して言えばズルはしている。
でも、自分の意思で続けたというのも事実。ここは素直に喜ぶべきだろう。
「それは嬉しいね。これからも人に認めて貰えるように頑張るよ」
「冒険者をやっていくなら信用が大事だからな。その心意気を大切にしろよ」
「そうする。それでさ、明日から森に行くんだけど」
自分の口から言葉にしてみると、少しだけ実感が増す。
「森の間引きだな。女騎士――リゼはどう判断する?」
ボルクがリゼに問いかける。
「魔獣の種類は確認しています。浅い場所での間引きなら私の力だけでもリーネを守り切れるでしょう」
「それなら安心だな」
「ええ。それにリーネは私が鍛えました。森に入っても戦えます。私はその補佐をするだけです」
ボルクは小さく笑って、首を振った。
「冒険者になろうってんなら、そりゃ鍛えているよな。そんなら、必要な物資は揃えとけよ。森の中で自分を守れるのは自分だけだ」
「命がかかっているんだ、ケチりはしないよ」
挨拶を終えてギルドを出ると、空は赤く染まり始めていた。
西の端に沈みかけた太陽が、建物を夕日の色に染めている。
その中を、俺とリゼは宿まで並んで歩く。
「明日から森ですね。ここからが本番です。私は試験官でもあることを忘れないように」
珍しく、リゼのほうから口を開いた。
その声は静かで釘を刺すような内容だったけど、どこか高揚があるようにも聞こえる。
「そうだね。ようやくだ」
不安は当然あるけど、それ以上に楽しみでもある。
これまで鍛えてきた俺の力――果たしてそれが通用するのか?




