六話 旅路
それからの俺たちは、止まることなく旅を続けた。
王都を出たあの日から、俺たちはもう“守られる側”ではいられなかった。
寝床を得るにも、食事を口にするにも、明日の道を選ぶにも、すべてを自分たちで決めなければならない。
最初のうちは、それだけで精一杯だった。
街に辿り着けば、安宿の裏口で仕事を探した。
荷運び、倉庫整理、店先の呼び込み、家畜小屋の掃除、壊れた柵の修理、護衛の下働き――選んでいる余裕などない。日銭を得て、干し肉と硬いパンを買い、安い部屋を借りる。それだけで一日が終わることも珍しくなかった。
けれど、それでよかった。
俺たちにとって、働くこともまた修行だったからだ。
腕力がつけば、荷は軽く感じる。
足腰が鍛えられれば、長い道のりも苦ではなくなる。
知らない土地で人と関われば、相手の目や声色から危険を読む力も身についていく。
生きること、そのものが鍛錬だった。
昼は働き、夜は鍛える。
俺は街ごとに剣を学んだ。
王国式の正攻法を重んじる流派もあれば、傭兵上がりの荒々しい実戦剣術もあった。山岳地帯では足場の悪い斜面での戦い方を叩き込まれ、乾いた砂の国では、汗と砂塵にまみれながら短剣を交えた間合いの潰し合いを学んだ。
剣術と一口に言っても、その土地ごとにまるで別物だった。
重い一撃で鎧ごと叩き潰す技。
素早い踏み込みで喉元を奪う技。
相手の力を流し、崩し、最後に急所だけを穿つ技。
最初は戸惑った。
けれど、様々な剣に触れるほど、俺はようやく気づき始めていた。
剣に正解は一つじゃない。
大事なのは、己に合うものを見極めることだ。
一方、エリシアもまた、自分の道を進んでいた。
旅先の街に図書館があれば必ず立ち寄ったし、古書店があれば目の色を変えた。魔導書、呪文書、各地の伝承をまとめた写本、異端視された地方術式の断片――文字が読めるもので、魔の気配があるものなら、彼女は片っ端から読み漁った。
金がない時は、本屋や学舎の手伝いをして閲覧を許された。
掃除をし、帳簿を運び、書庫の整理をして、夜になると蝋燭の明かりの下で頁をめくる。
時には寝不足でふらつきながら、それでも彼女は読むことをやめなかった。
火、水、風、土といった基礎属性だけではない。
結界術、封印術、付与術、治癒の応用、土地に根ざした土着呪法、言霊に近い詠唱体系。学院にいた頃には“正統ではない”と片付けられていた術式にも、実際に触れてみれば確かな理があった。
エリシアのすごいところは、それを頭の中だけで終わらせないことだった。
読んだ術は、必ず自分の中で噛み砕く。
必要なら簡略化し、必要なら組み替え、今の自分に使える形まで落とし込む。
そうして彼女の魔法は、少しずつ、けれど確実に変わっていった。
王都にいた頃より、ずっと深く、ずっとしなやかに。
旅は楽なものではなかった。
盗賊まがいの連中に囲まれたこともある。
護衛依頼の最中に魔物の群れへ遭遇したこともある。
吹雪で山道に足止めされ、三日間、冷えた干し肉を齧りながら身を寄せ合って夜を越したこともあった。
それでも、俺たちは進んだ。
傷を負っても、金が尽きても、思うように強くなれない夜があっても、進むことだけはやめなかった。
追いつくために。
並び立つために。
そして、その先へ行くために。
そうして幾つもの国を巡った末、俺たちは海を渡った。
何日も揺れる船の上で潮風を浴び続け、ようやく辿り着いたその国は、今まで見てきたどの土地とも違っていた。
和の国。
そう呼ばれるその島国は、空気そのものが静かだった。
街並みは木と紙で作られ、屋根は緩やかに反り、風が吹くたびにどこからともなく乾いた葉擦れの音が響く。人々は腰に細身の剣を差し、言葉は丁寧で、けれど目の奥には油断のない鋭さを宿していた。
最初に目を奪われたのは、その剣だった。
王国の剣とは違う。
細く、反りがあり、無駄な飾りを削ぎ落とした美しい刃。
それは武器でありながら、どこか芸術品のようでもあった。
刀。
和の国では、そう呼ばれていた。
この国では、全く言葉が通じなかったが、エリシアの魔法で、普通に話せる様になった。
俺はその国で、サムライと呼ばれる者たちに剣を学ぶことになった。
最初は笑われた。
王国式の剣を握ってきた俺の構えは、この国の剣術から見れば重く、直線的で、隙が多かったのだろう。
「力みすぎだ」
「斬ろうとするな。断て」
「目で追うな。気配で読む」
言われることの半分も最初は理解できなかった。
だが、木刀を振り、足を運び、何度も何度も打ち据えられるうちに、少しずつわかってきた。
この国の剣は、速い。
いや、速いだけじゃない。
一歩に迷いがなく、一閃に淀みがない。
力で押し切るのではなく、間合いと呼吸と、ほんの一瞬の先を奪うための剣だった。
王国で学んだ剣が“受けて返す”ものだとすれば、この国の剣は“入る前に決まっている”ものだった。
その感覚は、驚くほど俺に馴染んだ。
いや、馴染んだのではない。
クロードに叩き込まれた“生き残るための剣”があったからこそ、この国の剣に潜む理を理解できたのかもしれなかった。
無駄を削ぎ、最小で生きる。
その芯は、どこか繋がっていた。
刀を初めて握った時の感触を、俺は今でも忘れない。
軽い。
なのに頼りないわけではない。
手に吸いつくような柄の感触と、振り抜いた時の軌道の美しさ。刃はまるで、自分の意思を先回りして走るみたいだった。
何より、その切れ味は異様だった。
試し斬りに用意された巻藁が、抵抗らしい抵抗もなく断ち切られていく。
最初は自分でも信じられず、斬った後の静けさに呆然としたほどだ。
「……すごいな、これ」
思わず漏らした俺に、年嵩のサムライが鼻を鳴らした。
「剣が良いのではない。扱い手が未熟なら、名刀もただの鉄だ」
そう言われて、悔しくて、俺はそれからなおさら稽古にのめり込んだ。
結局、俺たちは和の国に一年滞在した。
その一年は、長かった。
そして、短かった。
朝は木刀を振り、昼は働き、夜はまた鍛える。
働き口は港の荷運びだったり、茶屋の用心棒まがいだったり、旅籠の裏方だったりと様々だったが、この国の人々は働く者には案外温かかった。
黙々と汗を流していれば、少しずつ顔を覚えられ、いつの間にか居場所ができていた。
エリシアもまた、その一年で大きく変わった。
和の国には、学院魔術とは異なる独自の術体系が息づいていた。
法術。
呪術。
護符を用いて気を流し、文字に力を宿し、言葉そのものに意味を結びつける技。
火球を放つような派手さはない。
だが、静かで、深く、恐ろしく実用的だった。
穢れを払う符。
気配を乱す陣。
わずかな傷なら熱を伴わずに塞ぐ術。
相手の足を一瞬だけ縫い止める簡易の呪。
土地の気を読み、悪しきものの流れを避けるための結び。
エリシアはそれらを貪るように学んだ。
和の国の術者たちは最初、余所者の娘に警戒心を見せていた。けれど、彼女が真摯に頭を下げ、働き、学び、決して知識を軽んじないことを知ると、少しずつ扉を開いていった。
古い寺に通い、白髪の法師に教えを受けるエリシアの横顔は、王都にいた頃よりもずっと大人びて見えた。
彼女は夜になると、筆をとって紙に何度も術式を書き写した。
この国の文字は難しかったが、文句一つ言わずに覚えていく。失敗して紙を何枚も無駄にしても、彼女は諦めなかった。
そんな彼女を見ていると、俺も負けていられないと思った。
お互いが、お互いの背を押していた。
強くなっていた。
確かに、少しずつ。
それでも、まだ足りないことも知っていた。
だからこそ、俺たちは一年の終わりに、その国を発つことを決めた。
出立の朝、俺は世話になったサムライの一人から、一振りの刀を差し出された。
鞘は深い黒。
柄には使い込まれた風合いがあり、派手さはない。けれど、一目でわかる。これは良い剣だ。
「俺に?」
思わず聞き返すと、男は腕を組んだまま言った。
「お前はもう、王国の剣だけの男ではない」
低く、ぶっきらぼうな声だった。
「抜く時は、生きるために抜け」
その言葉が、胸の奥へ深く沈んだ。
俺は両手で刀を受け取る。
ずしりとした重みは、不思議と心地よかった。
「ありがとうございます」
深く頭を下げると、男はふっと鼻で笑った。
「礼なら、次に会う時まで腕を落とすな」
エリシアもまた、寺の法師や術者たちへ丁寧に礼を告げていた。
別れを惜しんでくれる声がいくつもある。
それだけ、この一年が俺たちにとって本物だったのだと、少し誇らしかった。
港へ向かう道すがら、刀の重みが腰に馴染むのを感じていた。
気に入っていた。
驚くほど手に合った。
王国の剣よりも、今の俺にはずっとしっくりくる。
隣を歩くエリシアの荷には、和綴じの書物が以前より増えていた。
法術書、呪の覚え書き、写させてもらった術式の束。どれも彼女にとっては宝物なのだろう。
海風が吹く。
俺たちは足を止めない。
一年を過ごした和の国が、少しずつ背の後ろへ遠ざかっていく。
けれど、そこで得たものは、もう失われない。
剣も。
術も。
生き方も。
全部、俺たちの中に残っている。
船着き場の先に広がる海を見つめながら、俺は静かに息を吐いた。
まだ足りない。
けれど、もう前みたいに何も持たないわけじゃない。
俺たちはさらに先へ進む。
追いつくために。
そして、いつか追い越すために。




