十七話 カイル
白い空間の中央で、最後のネームタグが静かに光を帯びていた。
カイル
刻まれたその名は、他の誰よりも重く見えた。
セレス、ソフィア、ガレス、クロード。
四人の光を受け継ぐように、最後のタグはゆっくり、けれど確かな強さで輝きを増していく。
白の中に、金にも銀にも見える光の粒が舞い始めた。
それはやがて一点へ集まり、人の輪郭を形作る。
俺は無意識に息を止めていた。
現れたのは、兜をかぶっていないカイルだった。
あの象徴だった赤い二本線の兜はない。
代わりに、額からこめかみにかけて乾いた血の跡が残り、短く整えられた髪の間から、疲労と、それでも折れていない意志だけが滲んでいた。
鎧もところどころ破損している。
肩当てには深い裂け目があり、胸甲には抉れたような傷が走っていた。
それでも、立っているだけで空気が変わる。
それこそ勇者。
俺が追い続け、憎み、憧れた背中が、そこに立っていた。
カイルはしばらく何も言わず、俺たち二人を見た。
視線は優しかった。
「来たのか」
低い声だった。
それだけの一言で、喉の奥がひりつく。
エリシアが息を詰める。
俺も、言葉がうまく出てこない。
しかし、何を聞きたいのかは、自分でもわかっていた。
追放のことだ。
「俺は、あんた達と一緒に行きたかった」
少しだけカイルは沈黙した。
「すまなかった」
カイルは、自然と頭を下げた。
俺は、その姿をみて口を閉ざす。
カイルはまっすぐ俺を見る。
白い空間が、しんと静まる。
エリシアも何も言わない。
ただ、カイルの顔を見つめている。
やがてカイルは、ほんのわずかに視線を落とし、俺の左手へ目をやった。
「そうか...結婚したのか」
「はい」
短い一言だった。
カイルはそこで初めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
暫くカイルは考えている様だったが、口を開く。
「アルト。今のお前は、何のために剣を握る」
答えは一つだった。
「守るものが出来ました」
「そうか、いい面構えになったな」
その一言が、胸に深く沈んだ。
認められたのだと、言葉にしなくてもわかる。
剣の腕をではない。
エリシアが、小さく息をつくのが聞こえた。
その時、彼女がそっと口を開く。
「カイル様」
「なんだ」
「勇者って、何なんでしょうか?」
白い空間に、その問いだけが澄んで響いた。
カイルはすぐには答えなかった。
視線を少し遠くへ投げる。
そこにあるのは白だけなのに、彼の目にはきっと別の景色が見えているのだろう。
「勇者か」
ゆっくりと、その言葉を噛みしめるように繰り返す。
「特別な力を持つ者のことじゃない」
声は低い。
「祭り上げられた者でも、勝つと決まっている者でもない」
白い空間の中央に、淡い光の膜が浮かび上がる。
今までと同じ、記憶の幕だ。
だが、そこに映る景色は、これまでとは少し違っていた。
崩れた魔王城の内部、砕けた柱、血の跡、焼け焦げた石、そして、その最奥へ続く、巨大な黒い扉。
扉の前には、カイルが立っていた。
記憶の中のカイルは、今目の前にいる姿よりさらに傷ついていた。
肩で息をし、鎧は割れ、兜は失っている。
それでも剣だけは落としていない。
門の向こうからは、見えないのに圧だけが伝わってくる。
此処に魔王が?
少なくとも、ここまでの魔貴族とは比べものにならない“何か”が、その先にいるのだとわかった。
「勇者とは」
現実のカイルが、記憶を見つめたまま言う。
「只の希望だ」
記憶の中で、背後に倒れた仲間たちの気配があるが、はっきりとは映らない。
カイルは振り返らなかった。
「何ものも恐れない者ではなく、誰よりも臆病、それが勇者かもな」
低い声が、白い空間に重く落ちる。
「誰かの願いや希望を体現する者、恐れを抱き、誰よりも臆病、それでも、前に進む姿を見せる者こそが勇者」
カイルは、俺を真正面から見る。
「お前の中にも、すでにある筈だ」
その時、記憶の幕が切り替わった。
映ったのは、追放された時。
あの日の俺だった。
屋敷の門前で泣き崩れている姿。
その横を、まるで俺などいないかのように、前だけ見つめて通り過ぎて行くカイル。
その映像を見た時、込み上げてくるものがあった。
「あの時の君だ」
カイルの声が響く。
エリシアは、複雑な心境なのだろう。
俯いている。
俺は、黙っていたが、不意に口が動く。
「俺は、この時、何も怖いものはなかった」
驚いた。
自分の意思とは関係なく話しだしたからだ。
カイルは、黙って聞いているが、エリシアは、顔を上げ俺を見た。
「死ぬ事も、エリシアが死ぬ事も恐れてなかったのかもしれない」
映像は、続いている。
泣き崩れている俺の横をカイルが通り過ぎて行く。
その光景が繰り返されている。
一度口に出したからか,俺の口が止まらない。
「あんた達に付いて行きたかった。それで、死んでもいいと...あんた達と一緒に死にたいと思っていた。だけど今は」
俺は、その場で崩れ、頬を熱いものが伝っている事を感じた時、記憶の中のカイルが足を止めた。
「俺が死ねば、エリシアが泣く。エリシアが泣くのを想像したら、死ぬのが怖くて仕方がない。エリシアが死ぬのが怖くて、死なせたくない。エリシアと一緒にこの先を歩きたい」
エリシアは、黙ったまま、涙を拭う。
その時、記憶の中のカイルが、膝を折り、記憶の中の俺の肩に手を掛けた時、映像が消える。
いつの間にか、カイルが俺の肩に手を置いていた。
そして、一言だけ。
「それでいい」
たった一言だけだった。
俺は、涙が止まらなかった。
暫く、俺が泣き止むのを待つ様に、カイルとエリシアは、黙っていた。
俺が泣き止むとカイルが言った。
「アルト、成長したな」
その言葉を聞いた時、また泣きそうになった。
「なんだ?また泣くのか?」
カイルは、意地悪そうな顔で言うとエリシアは、小さく笑う。
俺は、照れ臭かったが、少し笑った。
俺はゆっくりと立ち上がった。
膝は震えていない。
呼吸も、驚くほど静かだった。
カイルはそれを見て、満足したように小さく息を吐く。
「いい顔になった」
その一言が、ひどく重かった。
俺は何か言おうとして、でもうまく言葉にならない。
代わりに、ただ深く頭を下げた。
カイルはそれを受け止めるように、しばらく黙っていた。
やがて、視線をエリシアへ向ける。
「エリシア」
「はい」
「本来なら、君は女の子だ、こんな場所に立つべきじゃない」
エリシアはすぐに言い返した。
「セレス先生もソフィア様も、女の子です」
するとカイルは、ごくわずかに口元を緩めた。
「あの二人は、もう半分オッサンみたいなものだろう」
その答えに、エリシアと俺は笑った。
その時、セレスとソフィアのネームタグが激しく揺れた。
カイルと三人でもう一度笑い合った。
カイルは、満足したように目を細めた。
そして最後に、もう一度俺を見る。
「アルト」
「はい」
「勇者になれとは言わん」
その言葉に、俺はわずかに息を詰めた。
「エリシアからすれば、お前は、もうすでに勇者だろう。どうだ?エリシア」
「はい!」
カイルの輪郭が、少しずつ薄れ始めていた。
別れの時間だと、すぐにわかった。
カイルは最後に、ほんの一瞬だけ笑った。
勇者の顔ではない。
一人の男としての、ごく小さな笑みだった。
「アルト、エリシア、お前達の事は、最後まで仲間だった」
次の瞬間、その姿は白金の光となって崩れ、ネームタグへ静かに吸い込まれていく。
最後に残ったタグが、一度だけ強く瞬いた。
結局、カイルに追放された恨み節を投げつけ、八つ当たりする事が出来なかった。
俺とエリシアは、その場に立ち尽くしたまま、見つめ合っていた。
胸の奥には、まだ重さがある。
だがその重さは、押し潰すものではなかった。
立たせる重さだった。
エリシアがそっと俺の手に触れる。
俺もまた、何も言わずにその手を握り返した。
白い空間の端から、小さく軋む音がした。
時間だ。
この空間は、もう長く持たない。
俺たちは同時に顔を上げる。
目の前の白が、少しずつ現実の色を取り戻し始めていた。
ネームタグが光ると、
セレスとソフィアのネームタグがエリシアに吸いこれていく。
カイル、ガレス、クロードのネームタグがアルトに、
そして、声が響く。
エリシア、私の全てを貴女に、
私も、お幸せに。名前つけるんですよ
がははは、お別れだな!俺の力は授けた、弟よ!
我が剣を授けた。我が顔に泥を塗るでないぞ?
アルト、エリシア、私達の全てを預ける。いつか返しに来い。人生を歩き切ったあとにな。
アルトとエリシアは、カイル達の力が流れ込んでくるのがわかる。
そして、空間が割れる。
魔王城の広間に戻ると、魔貴族が驚いた表情で見ると、また、術式を展開し始めていた。




