十五話 クロード
白い空間の中央で、クロードのネームタグが静かに光を帯びる。
冷たく、鋭い光だった。
それが徐々に強まり、輪郭を結ぼうとした、その時だった。
白い空間のどこからともなく、三つの声が重なる。
『力を貸すわ』
『私もよ』
『おう、行けるだろ、クロード!』
消えたはずの三人の声が、確かに響いた。
次の瞬間、宙に浮かぶ三つのネームタグが同時に光り、そこから解き放たれた淡い輝きが、まっすぐクロードのタグへと流れ込む。
白い空間が一瞬だけ明滅した。
光が集まり、圧が増す。
そして、今までとは明らかに違う密度を持って、一つの人影がそこに立ち上がった。
クロードだった。
今までの残留思念より、ずっと輪郭が濃い。
今この場に、ほとんど実体を伴って立っているように見えた。
そして、彼の足元へ、音を立てて二本の木剣が転がった。
からん、と乾いた音が白い空間に広がる。
俺は息を呑む。
クロードは何も言わない。
ただ、足元の木剣へ一度だけ視線を落とした。
それだけで意味はわかった。
話す前に、確かめるのだと。
言葉ではなく、剣で。
クロードが木剣を拾い上げる。
俺も、ゆっくりともう一本を手に取った。
手に馴染む感触。
久しく触れていなかったはずの重みなのに、不思議なくらい違和感がない。
エリシアが一歩、後ろへ下がる気配がした。
けれど俺は、視線をクロードから外せなかった。
「来い」
それだけだった。
短く、低い声。
昔と同じだ。
俺は息を整える。
そして、一歩、踏み込んだ。
最初の打ち込みは、ただの挨拶みたいなものだった。
上段から振り下ろす。
クロードは片手で受け流す。
返しが来る。
それを半歩外して躱し、脇腹を狙う。
だが、そこにはもういない。
打ち合いの音が、白い空間に乾いて響いた。
速い。
昔なら、何が起きたかもわからなかったはずだ。
受けたと思った瞬間には崩され、構えたと思った瞬間には床へ転がされていた。
だが今は違う。
見える、読める、追える。
クロードの剣は今も速く鋭い。
無駄もない。
けれど、その理が少しだけわかるようになっていた。
右から来る。
流して下を狙う。
いや、その誘いだ。
重心を残して、真正面から押し切る。
木剣がぶつかる。
鈍い衝撃が腕を走る。
クロードの眉が、ほんの僅かに動いた。
驚いたのだと、わかった。
俺はそこで初めて、自分でも笑いそうになった。
嬉しかった。
ようやく、ここまで来たのだと実感できたからだ。
さらに踏み込み、受ける。
流し、打つ、そして返す。
俺たちは白い空間の中で、何度も木剣を交えた。
ただ速いだけじゃない。
ただ強いだけでもない。
互いの呼吸を読み、間合いを奪い、崩す。
そのすべてが、昔とは比べものにならなかった。
そして、ある瞬間。
クロードの口元が、ほんの僅かに緩んだ。
笑ったわけじゃない。
だが、喜んでいるのだとわかった。
同時に、驚いてもいた。
かつて道場の隅で、誰にも相手にされず、必死に木剣を振っていた俺が、今こうして自分とまともに打ち合っていることに。
胸の奥が熱くなる。
もう一太刀。
踏み込もうとした、その時だった。
クロードの気配が変わった。
剣筋が、わずかに逸れる。
俺へ向かっていたはずの木剣が、不意に角度を変えた。
向かった先は、エリシア。
思考より先に体が動いていた。
俺は地を蹴る。
クロードとエリシアの間へ、割り込む。
木剣を横へ出す暇はなかった。
庇うように身を入れた、その瞬間。
ごっ、と鈍い音がして、クロードの木剣が俺の肩口を強打した。
激痛が走り、息が詰まる。
だが倒れはしなかった。
「てめえ!」
思わず怒りが噴き出した。
目の前が熱くなる。
エリシアを狙った。
そう思った瞬間、理屈より先に怒りが立っていた。
木剣を握り直し、俺はクロードを睨みつける。
クロードはその怒気を、正面から受け止めていた。
その時、エリシアが間に入る。
「クロード様、あなたとの約束果たしました」
クロードが、真っ直ぐな目でエリシアを見る。
その一言で、クロードは、理解したようだった。
守る剣を持たせる。
復讐心だけの剣ではなく、誰かを生かすための剣を。
あの日、追放の前後でその約束は、交わされた。
エリシアは、俺の左手を掴むと、俺の薬指、そして、自分の薬指をクロードに見せる。
クロードは、とても優しく目になった。
俺は、初めてみた。
クロードのあんなに、優しい目を。
「そうか。アルト、もう簡単に死ぬ事は出来ないぞ」
短い一言だった。
胸の奥が、大きく揺れた。
「守るための剣を持ったか」
その問いに、俺はすぐには答えられなかった。
胸が熱くなるのを感じていた。
エリシアを攻撃した事を忘れていた。
「はい」
握る木剣に、少しだけ力が入る。
クロードは無言で頷いた。
それだけで、十分だった。
たぶん俺たちは、昔からこうだった。
長々と言葉を交わす間柄ではなかった。
そういう関係だった。
エリシアが、後ろで小さく息を吐くのが聞こえた。
安堵したのだろう。
あるいは、ようやくここまで来たのだと感じたのかもしれない。
クロードは木剣を一度、静かに下ろした。
クロードは手の中の木剣を見下ろし、それから俺を見た。
「お前に教える時がきたか」
白い空間の空気が、そこでまた静かに張り詰めた。
「奥義を」
クロードの奥義。
道場で名前も呼ばれなかった頃、憧れだけで見上げていた高み。
そこへ、今から手が届くのだと、ようやく理解した。
クロードは木剣を握り直す。
その輪郭が、わずかに光を帯びる。
「構えろ、アルト」
俺も木剣を構えた。
肩の痛みはまだ残っている。
けれど、不思議とそれすら遠く感じた。
今だけは、何も見落としたくなかった。
この一瞬を、全部刻み込みたかった。
白い空間の中央で、クロードの足元から淡い光が立ち上る。
それは剣筋の形をなぞるように、細く鋭く、静かに広がっていった。




