十四話 ガレス
白い空間の中央で、次のネームタグが強く光を帯びた。
ソフィアの残したぬくもりがまだ空間に漂っている。
その余韻を押し分けるように、今度の光はもっと力強く、もっと荒々しかった。
ガレスの名が刻まれたタグ。
それが熱を持ったみたいに明るくなり、眩い輪郭をかたどっていく。
見慣れた大剣こそないが、そこに立つだけで場の空気が変わるような存在感。
次の瞬間、その姿が完全に現れた。
「おう!」
第一声は、やっぱりガレスだった。
「なんだなんだ、久しぶりじゃねえか!」
あまりにもいつも通りの声で、俺は一瞬、言葉を失った。
エリシアも目を瞬かせている。
ソフィアの時とはまた別の意味で、現実感が追いついていない顔だった。
ガレスは豪快に笑いながら、こっちへずかずか歩いてくる。
そして当然みたいに俺の肩をばん、と叩こうとしたが、その手が透けて通り抜けた。
「ちっ、不便だなこれ」
いかにも面倒くさそうに顔をしかめる。
その仕草が妙にらしくて、俺は思わず、張り詰めていた息を少しだけ吐き出していた。
「ガレス」
「なんだ、その顔」
俺が名前を呼ぶと、ガレスはにやりと笑った。
「泣きすぎだぞ、アルト。エリシアも」
エリシアの目がまた潤みかける。
だが、ガレスはそれを見て、あえて軽く肩をすくめた。
「ほらほら、そういう顔すんな。俺まで調子狂うだろ」
言いながら、ふと俺たちの左手へ目をやる。
薬指の指輪。
そして、人差し指から消えた指輪の跡。
ガレスはそれを見て、一瞬だけ目を細めた。
次いで、満足そうに笑う。
「そっか」
短い一言だった。
けれど、そこに何を見たのかは、言われなくてもわかった。
俺は少しだけ気まずくなって視線を逸らす。
するとガレスは、からかうように片眉を上げた。
「なんだよ、照れてんのか?」
「うるせえ」
「ははっ、そういうとこは昔のまんまだな」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
昔のまま、か。
ガレスは笑いながらも、やがてその表情を少しだけやわらげた。
そして、俺とエリシアを順番に見る。
「お前らな」
口調はいつも通り、ぶっきらぼうだった。
「俺ぁ、ずっと弟と妹みてえなもんだと思ってたんだよ」
その言葉に、俺もエリシアも動きを止めた。
ガレスは照れるふうもなく続ける。
「アルト、お前は最初っから放っとけねえ弟みたいなやつだった。根性だけはあるくせに、危なっかしくて、見てるこっちが冷や冷やする」
「それ、褒めてねえだろ」
「半分は褒めてる」
即答だった。
エリシアの方を向く。
「お前は逆だな。出来すぎなんだよ、エリシア。しっかりしてるし、頭も回るし、気も利く。だからこそ、無理してる時に気づきにくい」
エリシアが、少しだけ目を伏せた。
ガレスは大げさにため息をつく。
「そんな弟と妹みてえな二人をよ、あの時そのまま連れていけるかって話だ」
その一言で、白い空間の空気が少し変わる。
軽口じゃない。
本音だった。
俺は言葉を返せなかった。
ガレスはどこか遠くを見るような目になる。
「あの追放の時な。正直、嬉しかったよ。死なせる事はなくなったってよ!」
短く、重い言葉だった。
胸の奥に、その一言が深く沈んだ。
知りたかった言葉だ。
でも、聞いてしまったら、今まで抱えてきた痛みの形が変わってしまいそうで、どこかで怖かった言葉でもある。
ガレスは俺の顔をじっと見た。
「お前が悔しがるのはわかってた。恨まれるのもわかってた。それでも、生きててほしかった」
俺は唇を噛む。
返したい言葉はたくさんあるはずなのに、喉が塞がって何も出てこない。
代わりに、エリシアが小さく呟いた。
「ガレス」
「エリシア」
ガレスは今度は彼女へ向き直る。
「お前にも悪いことしたと思ってる」
エリシアがはっと顔を上げる。
「本当は、アルトと一緒にきたかったんだろ?しかし、お前も大事な妹みてえなもんだったからな」
その言い方は、あまりにもガレスらしかった。
飾りも含みもない。
ただ真っ直ぐなだけだ。
「でも、お前はあの時、こいつの為に残っただろ」
ガレスが顎で俺を示す。
「良かったよ。連れてきたら死んでた」
エリシアの目から、静かに涙が零れた。
ガレスはそれを見ると、少しだけ困ったように頭をかく。
「だから泣くなって。俺、そういうの弱いんだよ」
そう言いながらも、その顔は優しかった。
「お前らがここまで来たのは、正直、驚いた」
ガレスは俺たち二人を見比べる。
「でも、納得もしてる。お前ら二人なら、まあ、来ちまうよな」
それから、少しだけ口元を吊り上げた。
「アルト、立派になったな」
その言葉に、俺は思わず顔を上げた。
「前みてえな、ただ噛みつくだけのガキじゃねえ」
ガレスの声には、はっきりとした誇らしさがあった。
「守りてえもん抱えた男の顔してる」
その一言が、ひどく熱かった。
俺は何か言おうとして、でもうまく言えない。
代わりに、拳を強く握るしかなかった。
ガレスはそんな俺に、にっと笑う。
「胸張れよ、弟」
その呼び方に、胸の奥で何かが震えた。
弟。
ただの仲間じゃない。
ただの後輩でもない。
そう思ってくれていたのかと、今さらのように実感してしまう。
そしてガレスは、エリシアにも同じように笑いかけた。
「お前もだ、妹」
エリシアが涙ぐんだまま、小さく頷く。
「無理しすぎんな。しっかりしてるやつほど、急に折れるからな」
「はい」
「あと、アルトが馬鹿やったらぶん殴れ」
「おい」
思わず口を挟むと、ガレスは腹を抱えて笑った。
「ガハハハ!」
ひとしきり笑ってから、ふと、その笑いが少しだけ静かになる。
ガレスは俺へ一歩近づいた。
透けた体なのに、そこに立つだけで圧がある。
「アルト」
「ああ」
「お前、これからもっと怖えもんを見るぞ」
その言葉に、自然と背筋が伸びる。
「力の差も、死ぬかもしれねえって感覚も、嫌ってほど味わう」
ガレスの目が細くなる。
「でもな、守りてえもんがある時の一歩ってのは、理屈じゃねえ」
それは、技術の話じゃなかった。
生き方の話だった。
「怖くても前に出ろ。足がすくんでも踏み込め。そういう時に出る力は、鍛錬だけじゃ出ねえ」
ガレスはゆっくりと拳を握る。
「お前はもう、一人じゃねえんだからよ」
俺は息を呑んだ。
その瞬間、ようやくわかった気がした。
ガレスが俺に見ていたものは、剣の技量だけじゃない。
どれだけ前に出られるか。
誰のために踏ん張れるか。
それをずっと見ていたのだと。
「ああ」
ようやく絞り出すように答える。
「わかってる」
「本当か?」
「今、やっとな」
そう返すと、ガレスは満足そうに笑った。
それから不意に、こちらへ拳を突き出すような仕草をする。
実際には触れられないのに、昔からそうしていたみたいな自然さだった。
「妹を泣かすんじゃねえぞ」
低く、力強い言葉だった。
その言葉が胸に落ちた瞬間、ガレスの輪郭が強く光った。
白い空間に、重い熱が満ちる。
思わず息を詰める。
ガレスの胸のあたりから、赤銅色の光が滲み出す。
それは炎みたいでもあり、血の熱みたいでもあった。
俺を見るその目が、最後まで兄貴分のそれだった。
「受け取れ」
次の瞬間、その光がまっすぐ俺の胸へ飛び込んできた。
全身が焼けるように熱い。
骨の内側へ、筋肉の奥へ、何かが叩き込まれていく。
ただの力じゃない。
前に出る時の重心。
踏み抜く足。
痛みを押し潰して一歩を通す感覚。
戦いのただ中で、何度も何度も立ち上がってきた男の、生きた力だった。
膝が折れそうになる。
だが、倒れはしない。
倒れる気がしなかった。
ガレスはそれを見て、にやりと笑う。
「そうだ。それでいい」
エリシアが俺の名を呼ぶ声が、少し遠くに聞こえる。
俺が顔を上げた時、ガレスの姿はもう淡くなり始めていた。
「ガレス!」
思わず叫ぶ。
ガレスは最後に、大きく笑った。
「泣くなよ、弟。妹もな」
その笑顔は、どこまでも豪快で、どこまでもあたたかかった。
「じゃあな!いい兄貴を持ってお前ら幸せもんだな!ガハハハ!」
そう言い残して、ガレスの姿は光となってネームタグへ溶けていく。
残されたタグが、一度だけ強く輝いた。
白い空間に、再び静けさが戻る。
俺は胸を押さえたまま、その場に立ち尽くす。
まだ熱が残っていた。
けれど、不思議と苦しくはなかった。
代わりに、奥の方から力が満ちてくる。
エリシアが駆け寄り、俺の顔を覗き込む。
「アルト、大丈夫?」
「ああ」
ゆっくり息を吐く。
胸の奥には、まだガレスの言葉が残っている。
白い空間の中央で、次のネームタグがゆっくりと光を帯び始めた。
重く、鋭く、静かな光だった。
クロードの名が、白の中に浮かび上がる。




