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追放された雑用係、如何にして最強に至ったのか?  作者: 藤原 智


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十三話 ソフィア

 ソフィアとエリシアが戻ってきた時、エリシアの目元はまだ少し赤かった。

 けれど、不思議と表情は少しだけ穏やかになっていた。

 泣いたあとの脆さではなく、何かを胸にしまってきた者の静けさだった。

 俺は思わず二人の顔を見比べる。


「何を話してたんだ」


 できるだけ何でもないように聞いたつもりだったが、声が少し硬かったのは自分でもわかった。

 ソフィアはくすっと笑う。


「女同士の内緒話です」

「気になるんだけど」

「でしょうね」


 からかうような口調だった。

 だが、その笑みはすぐにやわらかなものへ戻る。

 そしてソフィアは、今度はまっすぐ俺を見た。


「アルト」

「何だ?」

「貴方、エリシアを愛している?」


 唐突な問いだった。

 けれど、不思議と迷いはなかった。

 俺は照れもしなかったし、言葉を探しもしなかった。

 胸の中にあるものを、そのまま口にすればいいとわかっていた。


「ああ、愛してる」


 自分でも驚くほど、声はまっすぐだった。

 隣で、エリシアがぴくりと肩を揺らす。

 けれど何も言わない。

 ただ俯いたまま、静かにその言葉を受け止めていた。

 ソフィアは俺の答えを聞くと、満足そうに小さく頷いた。


「そう」


 その一言には、安堵が滲んでいた。


「復讐したい気持ちはわかるわ」


 ソフィアの声音は、優しかった。

 責めるでもなく、諭すでもなく、ただ本当に理解している者の声だった。


「奪われたものを思えば、忘れられるはずがないものね。怒りも、悲しみも、消えないわ」


 俺は黙って聞いていた。

 ソフィアは少しだけ目を細める。


「今、大事にするべきものを、大事にしなさい」


 その言葉が、胸の奥へ静かに落ちた。

 今、大事にするべきもの。

 その言葉を頭の中で反芻した瞬間、妙に視界が開けるような感覚があった。


 復讐


 その言葉が、自分の中でどんな重さを持っていたか、俺はよく知っている。

 昔は、それが風化していくことが怖かった。

 怒りが薄れることが怖かった。

 悲しみが和らぐことが怖かった。

 村を焼かれた日のことを、家族を失った日のことを、いつか自分が痛みとして感じられなくなるんじゃないかと思うと、たまらなく恐ろしかった。


 だから俺は、何度も何度も復讐を思い返してきた。

 忘れないために。

 鈍らないために。

 心の傷をわざと抉るみたいに、あの日の光景へしがみついてきた。


 今、自分の中にあるその復讐心が、確かに以前より弱くなっていることを、俺は知っていた。

 それなのに、不思議と怖くなかった。

 なぜだ?

 その問いが胸に浮かんだ瞬間、視線が隣へ向く。

 エリシアがいた。


 ずっと隣にいて、泣いて、笑って、怒って、それでも離れずにここまで来た。

 俺はしばらく何も言えなかった。

 ただ、その横顔を見ていた。

 ソフィアは何も急かさない。

 白い空間の静けさだけが、妙にやさしかった。

 やがて、俺はゆっくりと口を開く。

 喉が少しだけ掠れた。


「復讐の気持ちが消えてしまうのが、怖かった」


 エリシアが顔を上げる気配がする。


「だけど今、俺の中にその復讐心は、もう」


 そこで言葉が止まる。

 消えた、と言うのが怖かったのかもしれない。

 それとも、もう消えていたのだと認めるのが怖かったのか。

 けれど、ソフィアはそこで、ふふっと笑った。


「そう」


 それだけだった。

 責めるでもなく、驚くでもなく。

 まるで、ようやくそこへ辿り着いた子どもを見るみたいな笑顔だった。


 エリシアが、じっと俺を見つめている。

 その視線は責めていない。

 ただ、息を潜めるように、俺の次の言葉を待っていた。

 その時、ソフィアの目がふと俺たちの手元へ向いた。


 左手。


 人差し指と薬指にある指輪を、彼女は順番に見つめる。

 復讐を誓った指輪。

 そして、結婚の指輪。

 ソフィアは、ふふっと小さく笑った。


「結婚したのね」


 俺とエリシアは一瞬だけ顔を見合わせ、それから小さく頷いた。


「ああ」

「はい」


 ソフィアはとても嬉しそうに目を細めた。


「そう。よかった」


 そして、薬指の指輪へ優しく視線を落とす。


「その指輪、大事にしなさい」


 そう言われると、さすがに少し照れくさかった。

 俺がわずかに視線を逸らすと、隣でエリシアがすっと息を吸った。

 何かを決めたような気配だった。


「アルト」


 その声に、俺は彼女を見る。

 エリシアはまっすぐ俺を見ていた。

 泣いたあとの瞳なのに、不思議なくらい強い光がある。


「私は、今までずっと、あなたについてきた」


 静かだった。

 けれど、一つ一つの言葉がはっきりしていた。


「いつも、あなたが私を導いていた」


 俺は何も言えない。


「今まで歩いてきた道は、間違っていたのかもしれない。しかし、後悔はしてない」


 エリシアは首を横に振ると、


「あなたと一緒に歩めたことは、間違いじゃなかった。私は、そう思ってる」


 その一言に、胸の奥がひどく熱くなる。

 エリシアは、そこで、一歩だけ俺に近づいた。


「今度は、私があなたを導く」


 思わず目を見開く。

 そんなふうに言われるなんて、思ってもみなかった。


 エリシアは静かに、自分の左手へ視線を落とした。

 そして人差し指にはめていた、あの指輪へ触れる。


 家族の名が刻まれた、復讐の指輪。


 俺は息を止めた。

 エリシアは迷わなかった。

 すっと指輪を外す。


「復讐と愛、どっちを選ぶ?」


 白い空間が、しんと静まる。

 笑顔で、俺を見つめている。


「私は」


 次の瞬間、エリシアは手の中の指輪を遠くへ投げ捨て、


「あなたを選ぶ」


 白い空間のどこかへ、音もなく吸い込まれていく。

 ソフィアは何も言わず、その光景を優しく見つめていた。


 俺の頭の中で、いくつもの景色が一気に巡る。

 焼け落ちた村、王都、貴金属店、人通りのない路地裏、指輪を人差し指にはめて、必ず敵を討つと誓い合った日、追放、旅、喧嘩、口づけ、結婚の指輪、そして、今。


 俺はずっと、復讐だけを見てきた。

 だが、その道を歩く間、エリシアを見ていなかった。

 俺の復讐に付き合う事に疲れていたんだ。

 いつか喧嘩した日、エリシアの言葉を思いだす。

 「復讐だけの人生は嫌」

 エリシアの中では、復讐心が薄れていたのかもしれない。

 復讐の為だけに歩いている事に疲れていたのだろう。

 それでも、俺の隣に立ち続けてくれた。

 それなのに俺は、自分の怒りと悲しみにばかり固執して、彼女の苦しさにちゃんと気づいてやれなかった。


 無性に腹が立った。

 魔族にではない!

 自分自身にだ!

 どうしてもっと早く気づけなかったのか?

 何故、エリシアを苦しめたままだったのか!


 そう思った、その時だった。


 胸の奥で、ふっと何かがほどける感覚がした。

 あぁ...もう、なくなっていたのか...

 復讐心はもう...


 なくなっていたのに、それを認めるのが怖くて、ずっとしがみついていただけだった。

 今の俺の中で、エリシアの存在は、あの怒りよりずっと大きくなっていた。


 俺は震える指で、自分の人差し指の指輪へ触れる。

 そして、ゆっくりとそれを外した。


「悪かった」


 声が震えた。

 エリシアが目を見開く。


「お前を、ずっと振り回して」


 指輪を掌に握りしめながら言う。

 エリシアはすぐに首を横に振った。


「そんなことない」


 その声はやわらかかった。


「昔、私もあなたと同じ気持ちだった」


 エリシアの瞳には、責める色は一つもない。

 ただ、同じ痛みを知る者の静かな優しさだけがあった。

 そのことが、余計に胸へ沁みる。

 俺は小さく息を吐く。

 そして、掌の中の指輪を見た。


 家族の名。

 復讐の誓い。

 忘れたくなかったもの。

 失いたくなかったもの。


 俺は腕を振るった。

 指輪は白い空間へ弧を描き、エリシアの投げたものと同じように、音もなく消えた。


 誓いの指輪は、足枷となっていたのかもしれない。

 過去に縛られていた。

 今、その過去から解放された気がした。

 あの日の事は、忘れる事は出来ない。

 しかし、過去に囚われてはいけない。

 今、ようやく俺とエリシアは未来に向かって歩き始めた、そんな気がした。


 俺は、エリシアを抱きしめ泣いた。

 エリシアは、黙って俺の背に手を回し抱きしめてくれていた。

 ソフィアが、満足そうに目を細めた。


「よかった」


 その声は、祝福のようだった。

 俺とエリシアが彼女を見る。

 ソフィアの輪郭が、先ほどよりずっと淡くなっていた。

 時間だと、すぐにわかった。


「ソフィア様」


 エリシアが声を震わせる。

 ソフィアはいつものように、少しだけ困ったように笑った。


「時間だわ」


 そして、最後までソフィアらしい、やわらかな声音で言う。


「二人とも、子どもができて、女の子だったら、ソフィアって名付けてもいいわよ」


 一瞬、ぽかんとしてしまった。

 次の瞬間、エリシアが泣き笑いみたいな顔になり、俺も思わず息を詰まらせる。


「はい」


 エリシアが頷く。

 ソフィアは満足そうに微笑んだ。


「約束ね」


 その笑顔は、あまりにも穏やかだった。

 そして次の瞬間、彼女の姿は淡い光へとほどけていく。


「ソフィア様!」


 エリシアが手を伸ばす。

 だが、その指先は届かない。

 ソフィアの輪郭は、最後まで微笑んだまま、静かにネームタグへ溶けるように消えていった。


 残されたタグが、一度だけ優しく瞬く。

 白い空間に、また静けさが戻る。


 俺とエリシアは、その場に立ったまま、しばらく動けなかった。


 けれど、もう、さっきまでとは違っていた。

 人差し指から消えた指輪の感触が、今も指先に残っている。

 今まで、この人差し指は、過去を差していた。しかし、今は未来を差している、そんな気がした。

 俺達の旅が、終わった気がした。

 そして同時に、始まったと思えた。


 白い空間の中央で、次のネームタグが、ゆっくりと光を帯び始める。



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