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追放された雑用係、如何にして最強に至ったのか?  作者: 藤原 智


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十一話 セレス

 最初に感じたのは、焼けた石の匂いだった。

 次に、血の匂い。

 それから、肺を刺すような熱気。

 白い空間を抜けた瞬間、俺たちの視界は、まるで別の時間へ叩き込まれるように切り替わった。

 そこは魔王城の外郭だった。


 崩れた門。

 抉れた地面。

 砕け散った石壁。

 そして、なおも立ち上る黒煙。


 すでに戦いは始まっていた。

 いや、始まっていたどころではない。ここに辿り着くまでに、どれほどの戦いを重ねてきたのかが、景色そのものに刻み込まれていた。


 そして、その光景の中心に、勇者一行はいた。

 カイルが剣を振るっている。

 あの赤い二本線の入った兜はまだ砕けていない。

 全身の鎧は血と煤に塗れていたが、それでも立ち姿は崩れていなかった。剣を振るうたびに一歩、また一歩と前へ出る。その背中には、退くという選択肢そのものが存在していないようだった。


 ガレスは、まさしく暴風だった。

 大剣が振り下ろされるたび、魔族の身体がまとめて吹き飛ぶ。肩で息をしている。腕も足も傷だらけだ。それでも笑っていた。いつもの豪快な笑い方ではない。歯を剥き出しにした、獣みたいな笑みだった。


 ソフィアは後方で祈りの言葉を紡いでいる。

 血に濡れた法衣の裾を引きずりながら、それでも一歩も下がらない。回復だけじゃない。結界を張り、呪を弾き、前線へ加護を送り続けていた。彼女がいなければ、あの場はとっくに崩れていたはずだ。


 クロードは、静かだった。

 誰より派手なことはしていない。

 だが、彼の剣が通った場所だけ、異様なほど鮮やかに敵が倒れていく。無駄がない。迷いがない。呼吸の一つ、歩幅の半分すら削ぎ落とされたような剣だった。


 そして、セレス。

 目の前にいる“彼女”は、俺たちが知っているセレスだった。

 ただし、それは教室で微笑む教師ではない。

 魔法使いとして、戦場に立つ者の顔だった。

 長い詠唱を必要とする術ではない。

 もっと短く、鋭く、殺すために最適化された魔法を、間断なく放っている。


 炎が奔る。

 雷が裂ける。

 風が刃となって魔族の首を薙ぎ払う。

 それでも、敵は多かった。


「右から来るわ!」


 セレスの声が飛ぶ。

 それに反応してガレスが身体ごと向きを変え、横合いから飛び込んできた獣型の魔族を大剣で叩き潰した。

 直後、カイルが前方の群れへ突っ込む。


「前を開ける!」

「無茶しないでください!」


 ソフィアが叫ぶ。

 だがカイルは止まらない。

 止まれないのだろう。

 眼前には、広間へ続く巨大な破砕門があった。

 その向こうに、この場を支配している気配がいる。

 そして一行は、そこへ向かっていた。

 魔王を討つために。


 その途中に立ちはだかるものを、ただ斬って、焼いて、砕きながら。

 記憶の中のセレスが、そこで小さく息を吸った。


 その一瞬で、俺にはわかった。

 彼女はもう、この戦いが“楽観できるものではない”と理解している。

 敵の数が多いからではない。

 消耗が激しいからでもない。

 もっと別の何かが、この城の奥にいる。

 それを、彼女だけが少し早く感じ取っていた。

 広間へ踏み込んだ瞬間、その気配の正体は明らかになった。


 そこは、かつて玉座の間へ続く前庭だったのかもしれない。

 だが今は半ば崩れ、天井は落ち、床は抉れ、巨大な柱の何本かは途中で折れていた。

 その中央に、一人の魔族が立っていた。

 俺たちが今まさに相対している、あの魔貴族だった。


 記憶の中の魔貴族は、俺たちの時と同じように、まず笑った。


「人間か」


 その声は低く、どこまでも他人事めいていた。


「ここまで届いたことだけは褒めてやる。だがここまでだ」


 カイルが剣を構える。


「退く気はない」

「鬱陶しい虫共が」


 その言葉と同時に、周囲の瓦礫の陰から、さらに多くの魔族が現れた。

 まるで最初から、ここで迎え撃つために配置されていたような動きだった。

 クロードが一歩前へ出る。


「カイル。行け」


 短い声。

 それだけで、カイルは頷いた。

 ガレスも笑う。


「おうよ!」


 次の瞬間、戦線が二つに割れた。

 カイルが魔貴族へ向かう。

 それを通すために、残る四人が壁になる。

 ガレスが左を押し返し、クロードが右を断つ。

 ソフィアが結界を広げ、セレスが火線を走らせる。

 あまりにも息が合っていた。


 長い旅路の果てに、何度も死線を越えてきた者たちの連携だった。

 だから、最初は押していた。

 カイルの剣は魔貴族へ届き、ガレスの大剣は敵陣を砕き、クロードは誰にも止められない。

 ソフィアの祈りが全体を支え、セレスの魔法が一瞬一瞬の隙を埋める。


 もし敵がただ強いだけなら、このまま勝てたのかもしれない。

 だが、魔貴族は違った。

 そいつは一度、カイルの剣を避けながら、ほんのわずかに目を細めた。


「中々やるではないか」


 カイルは、その言葉に反応する事なく剣を振るう

 カイルの剣が魔貴族の肩口を浅く裂いた。

 黒い血が飛ぶ。

 魔貴族はそこで初めて、ほんの少しだけ表情を変えた。

 愉快げな笑みが、冷えた怒りへ変わる。


「なるほど。少しは楽しめる」


 次の瞬間、空気が変わった。

 セレスがはっと顔を上げる。


「まずい!」


 叫ぶと同時に、魔貴族の足元に巨大な術式が展開した。

 床一面を覆う幾何学模様。

 重なり合う魔力の流れ。

 見ただけでわかる。

 高位の術だ。

 しかも、ただ高位というだけではない。

 危険の質そのものが違う。


「カイル! 一度下がって!」


 セレスが声を張り上げる。

 だが、カイルは一瞬迷っただけで、その場に踏みとどまった。


「今引けば、立て直される!」

「それでも!」


 セレスはすでに別の詠唱へ入っていた。

 打ち消しの術だ。

 だが、その途中で、ソフィアが苦鳴を漏らす。

 結界に亀裂が走ったのだ。

 側面から殺到した魔族の群れが、ついに押し込んできていた。

 ガレスが吼える。


「まだだ、ソフィア!」


 大剣を横薙ぎに振るい、三体まとめて薙ぎ倒す。

 クロードは無言のまま前へ詰め、最短の軌道で急所だけを潰していく。

 それでも、数が多すぎる。


 セレスは術式と戦場の両方を見ていた。

 だからこそわかったのだろう。

 止めきれない。

 打ち消しは間に合わない。

 カイル一人では斬り切れない。

 あの術が完成すれば、終わる。


 その瞬間だった。

 記憶の中のセレスが、ほんの一瞬だけ、皆の姿を見渡す。


 俺はそこで理解する。

 この人は、この時すでに決めていたのだ。

 もし自分たちがここで終わるなら。

 せめて、何かを残すと。


 セレスが呟く。

 短い詠唱。

 それは戦場のただ中では誰にも気づかれないほど小さな術だった。

 全員の体が少し発光すると、床に小さな魔方陣が現れ、全員の光がそこに吸い込まれ、魔方陣は消えた。


 カイルが魔貴族へ斬りかかる。

 ガレスが血を吐きながらも笑う。

 ソフィアが祈る。

 クロードが敵を斬り伏せる。


 その全てを見ながら、セレスはネームタグがこの場に来た時のトリガーを仕込んでいた。


 同時に、魔貴族の詠唱は完成へ近づく。


「時間よ!止ま」


 低い声が広間に響く。

 セレスが打ち消しの魔法を放つ。

 だが、ぶつかった瞬間に弾かれる。


 セレスはその一瞬で、自分の術が通らないと理解した。


「カイル!」


 カイルが振り返る。

 ほんの刹那。

 それだけで、二人の間には言葉以上のものが通ったのだと思う。


 退け。

 いや、無理だ。


 その短い沈黙の中で、セレスは決定的に悟ったのだろう。


 もう、ここで終わると、彼女の目がほんのわずかに揺れた。

 怖かったのだと思う。


 死ぬことも。

 負けることも。

 何も残さない事も。


 それでも、次の瞬間にはもう顔が戻っていた。

 セレスは最後に、叫んだ。


「カイル!ソフィア!ガレス!クロード!私達は、ここで終わる!あの子達は、必ず此処へ!私達の全てをあの子達に託すわ!」


 その言葉が、記憶越しの俺たちの胸まで貫いた。

 エリシアが隣で息を呑むのがわかる。


 カイルが頷く。


 その直後だった。

 魔貴族の詠唱が完成した。

 広間全体を圧し潰すような魔力が炸裂する。

 光でも闇でもない、透明な圧力の波が空間を走り抜けた。


 世界が、止まる。

 いや、止まりきる寸前に、記憶はそこで大きく揺らいだ。


 景色が歪み、広間の輪郭が波に飲まれたみたいに滲んでいく。

 俺たちは、最後の瞬間までは見せられなかった。

 あるいは、それはセレスがあえて残さなかったのかもしれない。

 自分がどう死んだかではなく、何を残したかだけを見せるために。


 次の瞬間、俺たちは再び白い空間へ引き戻されていた。

 息が苦しい。

 足元が揺れる。

 だが、それ以上に胸が重かった。

 エリシアはその場に膝をつき、肩を震わせていた。


「先生」


 涙が止まらないのだろう。

 俺も、息を吐こうとしてうまく吐けなかった。

 セレスは、最期までセレスだった。

 怖くても立っていた。


 白い空間の中央では、セレスのタグが、今やほとんど光を失いかけていた。

 だが、完全には消えない。


 代わりに、その隣に浮かぶ別のタグが、かすかに脈打ち始める。


 ソフィアの名が刻まれたタグだった。

 エリシアが涙に濡れた顔のまま、それを見上げる。


 白い空間の中央で、ソフィアのタグが、ゆっくりと光を増していく。

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