45 外か内か
姉がいない家で、姉の面影を探して歩いた。たどり着いたのは、姉の部屋だった。
広い和室になじむ洋風の家具たち。レトロなその室内は、変わらないまま。
「この部屋は、このまま残すつもりですよ」
声のした方を見る。膨らみ始めたお腹を庇うように手を置いた沙耶が、優しく笑っていた。
「綾乃さんが遊びにいらっしゃるかもしれませんから」
外から来た人間が奥に入ってはいけない。それは姉の信念だった。
もし里帰りをすることがあったとして、姉は奥へ来るのだろうか。あの渡り廊下を越えるのだろうか。
「あら、みんな考えることは同じですね」
そこに、詩乃も来る。その手には姉が使っていたティーポットがあった。
「よかったら、紅茶をいただきませんか?」
いつも通りの無邪気な笑みに、反対意見はなかった。
のどかな日本庭園を見ながらのお茶会。いつも通りでありながら、いつもよりも人が少ない。
大人な味の紅茶を飲む気にもなれず、そのカップに指を温めてもらいながら、庭を見つめる。
「お姉様は、今頃何をされているんでしょうね」
詩乃がそっと呟いた。
「寂しくて泣いていらっしゃったらどうしましょう」
おどけるようにそう笑ってみせる詩乃に、
「大丈夫ですよ。綾乃さんの強かさは、蒼梧様のお墨付きですから」
と沙耶が穏やかに返す。
「お姉様の小さい頃のお話をしましょうか」
詩乃が言い出した。
「お兄様とお姉様は、忍びの訓練を受けていらっしゃったんです。お兄様は後継者教育として。お姉様はひとつの躾として」
「躾?」
意外だった。幼い頃の姉は、そんな躾が必要なほどお転婆だったのだろうか。
「はい。奥で霧崎の娘として育てられたせいで、忍びへの扱いがひどかったんですって。このままではいけないってお母様が判断なさって、お父様のご判断で忍びたちと一緒に基礎訓練を受けさせよう、と」
そうか。家を大切にするあまり、そこに仕える忍びたちの存在を下に見てしまったのか。それは確かに、幼い子なら有り得そうだ。
「そこでお姉様は人付き合いに苦労されたそうですよ」
そういえば、いつだったか兄が言っていた。隠れて涙を流していたこともある、と。その時のことだろうか。
意地っ張りで、頑固で、それ故に信念を曲げない姉にも、大変だった時があったのだろう。
「詩乃は忍びの訓練には参加しなかったの?」
「必要ありませんでしたから」
詩乃は少し得意気に笑う。
「お姉様は、期待されていたのでしょうね。忍びのことを詳しく知ることで、何かの役に立てようとされていたのかもしれません」
両親に期待された存在。だからこその厳しい躾。そして、それを受けなかった詩乃。
「寂しい?」
だから、聞いてみた。期待されない悲しさを、雪は知っていたから。
「わたしにはわたしの役目があると心得ております。それがお姉様とは違った。ただそれだけのことでしょう」
強かなのは、詩乃も一緒。そうやってこの世界で生きる術を身につけてきたのだろう。
自分は何の役に立つのだろう。それがわからないから、姉や妹のように強くなれない。
「沙耶さん」
だから、聞いてみた。彼女なら、何か知っているかもしれない。
「お兄様の今のお困りごとは何か、ご存知ですか?」
兄の役に立ちたい。この家のために働きたい。今の雪の生きがいだった。
「わかりません」
沙耶は静かに首を振った。
「蒼梧様は、お仕事のことをお話されません。機密事項も多いでしょうから」
妻は夫の私生活を支えるべき。そんな沙耶の姿勢が示されていた。
「知りたいって思わないんですか?」
「わたしが知るべき情報は、蒼梧様が教えてくださるでしょうから。伝えられないことは、知らなくていいことです」
ここでは、「知りたい」という感情が、まるで無意味になってしまう。詩乃も沙耶も、「知らないでいること」を受け入れる。雪もきっとそうあるべきなのだろう。
もし、自分が後継者だったら。そんなありえない想像をする。きっと今の兄のように何でも知っている必要がある。それは、恵まれていると言えるのだろうか。
「詩乃、教えて」
だから、妹に聞いた。
「今のわたしにできることは何?」
その言葉に、詩乃は柔らかく笑った。
「忍びとなる子を産むこと。ただそれだけです」
返答に迷いはなかった。
「あぁ、でも、お姉様のように外に嫁ぐなら、また違いますね」
「どっちになると思う?」
政略結婚からはきっと逃げられない。今はそれでいいと思う。でも、外に出るか奥に留まるかでも、その進路は大きく異なるだろう。
「今の蒼梧様なら、きっと外には出されないと思いますよ」
沙耶が答えた。
「わたしも勉強しました。優秀な忍びに本家の人間が嫁ぐことで、忍びの忠誠心を高めるのだとか」
まだ可能性はある。兄の役に立てる日が来る。その言葉で、輝く未来を信じられた。




