表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
39/50

39 知らないままで


 それから毎日、父の部屋に通った。


 奥の部屋に連れていけないのは、忍びたちの護衛を緩めたくないから。それは、まだ安全ではないことを示していた。


 父の手を握り、その温もりに安心する。まだ、生きている。そう実感できた。


 大丈夫。まだ奇跡はある。そう信じ始めたある日のこと。

 父は、呼吸を止めた。

 銃撃から2週間後のことだった。




「おとうさま……っ」

 詩乃が泣いている。お面をつけたまま、子どものように。


 姉が鼻をすする音がする。涙は見えないが、それでも泣いているのだとわかった。


 雪は、呆然と立ち尽くしていた。いろんな感情が、頭の中も、心の中も、ぐちゃぐちゃに駆け巡る。


 何を言えばいいのか。「お父様」と呼びかければいいのか。もう返事はないとわかっているのに。「お疲れさまでした」とその人生を労わればいいのか。


「……ごめん、なさい」

 口から出たのは、そんな言葉だった。何に対しての謝罪だったのか、わからないまま。


 ぶわっと溢れた涙が、全身の力を吸い上げる。


「ごめんなさい」

 その場に座り、頭を畳みにこすりつける。

「ごめんなさい……!」


 父を死なせてはいけなかった。この家にとって、忍びたちにとって、何よりも大切な存在だったのに。

 外から突然入ってきた異物に過ぎない自分が、父を死なせてしまった。


 兄に。姉に。妹に。たくさんの忍びたちに。そして、この家に。謝りたかった。


「はくあ……」

 姉の声がした。いつも毅然として強かったその声は、弱く震えていた。鼻にかかった声で、その名を呼び、雪の体を起こす。


「はくあ……っ」

 姉は雪を責めなかった。泣きながら、抱きしめてくれた。


「ごめんなさい、お姉様。ごめんなさいっ」

 何度も、何度も謝りながら。


 姉は、雪の頭を抱え、何度も首を振ってくれた。あなたのせいじゃない、と。そう言葉にはならなかったが、伝わってきた。


 許されるとは思わなかった。許されなくていい。許されない方がいいと思った。


 殴られた方がよかった。大声でののしられた方が、はるかによかった。


 母に蹴られた時の痛みより、父を亡くした痛みの方が、大嫌いだった。




 父を庭に誘わなければよかった。

 散歩を断ればよかった。

 表に出なければよかった。

 知りたいと思わなければよかった。




 そうだ。知りたいという気持ちが、間違っていたのだ。

 知らないままでよかった。そこまでして知る必要なんて、なかったはずだ。

 この家のことも、忍びたちのことも。

 父と兄に教えられることだけを、知っていればよかったのだ。




 真っ黒に染まる葬式で、雪はただまっすぐ前だけを見つめた。


 昨日、あんなにあふれた涙は、もう今日は出てこなかった。


 ただ毅然と父の遺体を見送る娘。涙もなく、背筋を伸ばす。忍びたちには、どう見えるのだろう。


 もう、気にしない。忍びのことなんて、知ろうと思わない。


 霧崎の娘として立っていることこそ、その名前にふさわしい人間なのだ。


 父の遺体が火葬場に向かう。そこに同行できるのは、兄と数人の忍びだけ。


 行かないで、という言葉が、喉に引っかかった。

 引っかかってよかった。これは、きっと声にするべきではない。少なくとも、大勢の忍びの目がある、この場では。


 深く一礼をし、父を見送る。車が遠ざかり、頭を上げた時。さぁっと冷たい風が吹いた。


 あの時の父の温もりを、きっと一生忘れることはできないだろう。ひどく痛かっただろうに、最後の力で、力強く抱きしめてくれた。


 この冷たい風に吹かれるたびに、あの温もりを思い出しては、悲しくなるのだろう。

 それでいい。この家から当主を奪ってしまった痛みを、自分は引き受けるべきなのだ。




 式が終わり、雪はひとりで父の部屋を訪れた。先ほどまで遺体があったとは思えないほど、綺麗になっていた。


 その中央に座り、そっとお面を取る。ここは表。絶対に許されない。でも、今だけ。


「お父様」


 静かに語りかける。そこにはもういない父に。


「ごめんなさい」


 父は愛してくれた。実の娘でもないのに。そんな父に、返せるものなんてなかった。


 ひとつ、涙がこぼれる。


「お父様」


 返事を待つかのように、何度も呼んだ。


 ふたつ、雫が落ちた。


「叱ってくだされば、よかったのに」


 叱ってもよかったのに。わがままだと怒ってくれれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。


 もう父に届かない言葉を、ぽつぽつ並べていく。


「わたし、本当にお父様には感謝していたのですよ」


 直接伝えられればよかった。


「お父様にいただいた名前、大切にしますね」


 どちらかの名前を選べと言われたら、雪は進んで「白鴉」を取るだろう。父がつけてくれた名前には、いろんな気持ちが込められているだろうから。


「お父様」


 何度も、何度も、呼びかける。それでも、返事はない。


「……っ」

 あふれてきた涙を、止められなかった。


「お父様……っ」


 狐面には、不思議な効果があると思う。これをつけている間、雪は「白鴉」でいられる。でも、外している今、涙を止める理由がない。


「白鴉様」

 彼の声がしたのは、その時だった。


「こちらにいらっしゃったのですね」

 襖に手をかける音を、雪の耳は聞き逃さなかった。

「待ってください!」

 慌てて背を向け、お面をつける。紐を結ぼうと後ろに手を回す。


「まって……っ」

 指が震えているのか。紐が結べない。混乱からか、涙も止まらない。


「失礼いたします」

 そっと紐に添えられた手。

「見えていませんから」


 彼はそう言って、紐を結んでくれた。後ろにいる彼の位置から、きっと顔は見えていない。不自然に覗き込もうとするわけもなく、彼はそっと離れる。


「失礼いたしました」

「……ありがとう、ございます」


 彼のこの態度に、好感を持ったこともあった。好意に近いものだった。でも、それもまた、「霧崎の娘」には必要のない感情。


「影隼さん」

 ゆっくり振り返り、彼を見据える。


「わたしは、知ろうとすることをやめます」


 ゆっくり、言葉を紡ぐ。


「知らないままで、いいんです」


 自分自身に言い聞かせるように。


「これ以上、誰も失いたくないから」


 誰かを失うくらいなら、自分の感情に蓋をする。


「だから、もうわたしに声をかけないでください」


 友人のように過ごすのは、もうこれきり。


 雪が表に出る度に、なぜ彼がいたのか。なぜ彼と会っていたのか。


 今まで、知らないふりをしていた。気づかないふりをしていた。少し考えれば、わかることだ。


「お父様のご命令は、もう終わったのでしょう?」


 彼は、父に命じられた、雪の護衛だった。そう考えると、全てが腑に落ちた。


「かしこまりました」


 彼は、ただ静かに最敬礼をした。


「奥に戻ります」


 もう振り返らない。雪の方から、彼に背を向けた。


 雪がいた場所に、小さなしみができていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ