38 白くなる
その日の夜のことだった。
「雪、表に行くわよ」
もう寝る準備をしようとしていた時、姉が部屋に入ってきた。
「こんな時間に?」
「いいから」
姉の声が硬かった。父から大切な話があるのだろうか。幸いまだ部屋着ではないし、狐面だけを持って部屋を出る。
渡り廊下でお面をつけて待っていると、詩乃も来た。
「何かあったのですか?」
何も知らないらしい詩乃も、そこにいた沙耶に尋ねる。
「わかりません。参りましょう」
沙耶は短くそう答え、4人で扉を潜った。
ピッピッと規則的な機械音。たくさんの管。そして、その中央に横たわる、父。
部屋にいた兄が何やら話す声がする。しかし、頭に入ってこない。
目を閉じていて、顔色は悪い。まるで、死んでいるかのように。
「……なん、で……?」
ようやく零れた声が、弱く震えていた。
「何が、あったのですか……」
どうして父が眠っているのだろう。ドラマでしか見たことのないような、たくさんの医療器具に囲まれていた。
「銃撃された」
兄の声が、頭にはっきり響いた。
銃撃。銃。あぁ、そうか。あの音は、銃声だったのか。
「あの後、銃声はしなかったはずです」
同じ音は聞こえなかった。たった一発。父は「処理をする」と言っていた。あの時まで、確かに意識はあったのに。
「……まさか……」
結論に行きついてしまった。
「あの、とき……」
声が震えた。
もし父が、自分を庇ったせいで怪我をしてしまったのだとしたら。
「白鴉」
兄の静かな声が聞こえた。
「落ち着いて」
否定はされなかった。
「あ……」
全身から力が抜ける。ぺたんと力なくその場に座り込む。
涙は出なかった。どうして気づかなかったのだろう。あの時、父は動いていなかった。立ち上がる姿さえ、見なかった。振り返るなと言われたから。
忍びたちは、父が撃たれたのを見ていて、それを雪に勘づかせないために。
全ての音が遠ざかった。父の命を保つ機械音も、家族の声も。全てが真っ白になった。
誰か、父を助けて。そう願った。
「叔父様は?」
声が出た。
「叔父様は、お父様を助けてくれるって言ったんです。ちょっとした怪我ならオレが治すって」
「ちょっとした怪我なら、な」
部屋の隅にいた叔父から返事が返ってきた。気配を消していたのか。
「ちょっとしたってレベルじゃないだろ、これは」
「……そんなの」
心の中に沸き起こるのは、怒り。
「そんなの、病院に連れて行かないとわからないじゃないですか」
そうだ。ここは病院じゃない。
「連れて行ってもいいけど、お前らは会えないぞ。それでいいのか?」
「……っ、お父様が、帰って、くるなら……」
「そうだな。無事に帰せる可能性があるなら、その選択肢もあった」
医者が助からないと判断した。病院の設備でも、それは変わらない、と。だから、最後まで家族がそばにいられるここで、ということなのだろう。
苦しい。悔しい。この怒りを、どこにぶつければいいのだろう。
「叔父上には、できる限りの延命措置をお願いしている。だが、時間の問題だ」
やめて。聞きたくない。耳を覆いたくなる。
「今後、当主の業務は僕が引き継ぐ。奥に戻れないことも増えるだろうから、青燕と紅霞で協力して」
「かしこまりました」
「白鴉と橙鶯もよく言うことを聞くんだよ」
「はい、お兄様」
返事ができたのは、妹だけだった。
「白鴉」
口が動かない。息を漏らしたくない。この息を吐いた瞬間、全てが溢れてきそう。
「白鴉、奥に戻りましょう」
姉がそう言って立ち上がる。でも、雪は動かない。動けなかった。今堰き止めているものは、あまりにも脆い。ほんの少しの反動で、全てがこぼれてしまう。
「白鴉姉様」
妹が支えてくれようとしたが、それでも動けない。
「いいよ。僕が見ておくから」
兄の返事を聞いて、姉妹が部屋を出ていく。
「白鴉」
兄の手が、雪の手に添えられた。
「父上は、まだ生きているよ」
兄の手の温もりさえも、どこか遠いものだった。手袋を何枚もつけているかのように。
「落ち着いて」
とん、とん、と。優しくリズムを刻む。鼓動と同じ速度で。
少しずつ、呼吸の感覚が戻ってくる。深く呼吸はできなくても、自分が息をしていることがわかる。
「大丈夫。大丈夫だよ」
もう希望はないと聞いたばかりなのに。兄のその言葉だけを信じたくなる。
まだ、希望を捨てたくない。わずかな可能性にかけてでも。奇跡を信じたい。
「……すみません、お兄様」
「うん」
「戻ります」
「うん。お疲れ様」
ようやく身体が動いた。涙は出なかった。




