37 青空を裂く
父の部屋に入り浸ることが増えた。父にあがってくる報告書を眺めたり、直接報告に来る忍びの話を聞いたり。
表に出るのはダメだという割に、父は叱らなかった。執務室に出入りするのも、報告書を覗き見るのも、ダメだとは言わなかった。だから、そんな父に甘えていた。
そんな雪の楽しみは、一日に一度、父と散歩をすること。なぜか父は雪が飽きてきたことをわかるらしく、そのタイミングで散歩をするようになった。
血のつながった実の親子のように。雪のつらい過去を埋めるように。父と娘は、静かな時間を過ごした。
仕事で忙しい父は、朝食が終わるとすぐに表に出る。でも、雪はそんなに急ぐ理由もない。のんびりお茶を飲んでから奥を出る。父の部屋に向かう途中、少し寄り道をして庭を見ることにした。
奥の庭のように手の込んだ庭も好きだが、この何もない庭というのも味気がある。なにより、空が近い。鮮やかな青が目の前に広がる。
本当なら、庭の中央に仰向けになってみたいところだ。そんなことをしたら、あとで姉から大目玉をくらいそうなので、やめておこう。
「冷えますよ」
「影隼さん」
彼は音もなく現れ、雪の前に膝をついて頭を下げる。
「おはようございます。今日もお会いしましたね」
「はい」
「お怪我、すっかり治ったみたいですね。よかったです」
ほとんど毎日会っているから、彼の腕から包帯が取れていたのは数日前に確認している。まだ痕が残っていたのかずっと隠していたが、今日は気にしていないようだ。
「痛みはありませんか?」
「任務に支障はありません」
そんな硬い言い方をするのも、忍びという仕事に全てを捧げる彼らしい。
「ポケット」
雪は、不自然に膨らむ彼のポケットを見た。
「何が入っているんですか?」
彼も不思議そうにポケットに手を入れ、そして顔をこわばらせる。どうやら普段ないものが入っていたらしい。
「見ても、いいですか?」
いったい何が。単純な好奇心だった。
ポケットから出てきた彼の手が握っていたのは、小型の拳銃だった。
「……どうして、これを?」
この国には銃刀法というものがある。本来これは、警察以外が持っていてはいけないものだ。
彼は答えなかった。じっと口を真一文字に結ぶ。まるで、言葉を選んでいるかのように。
「わたしには教えられないこと、ですか?」
ここでも出てくる、嫌いな言葉。お面をつけていても、明らかに声に出てしまう嫌悪感。
「撃ってみますか」
彼の言葉に、ハッとした。
「何を言っているのですか?」
「白鴉様のご命令があれば、撃てますよ」
本当に何を言っているのかわからない。そんなの、命令できるはずがないではないか。
「冗談です」
雪の困惑を感じ取り、彼はそう告げた。
「エアガンですよ。訓練用の模型です」
「あぁ……」
その言葉に、あからさまにホッとしてしまった。
なぜ拳銃の模型を訓練に用いるのか。その違和感に、雪はまだ気づけなかった。
「今日の報告は、これだけですか?」
父の部屋を訪れた雪は、父のそばに置かれた報告書の量を見て気づいた。報告件数が日に日に減っていることに。
「依頼件数が落ち着いていますから」
玄虎が答えてくれた。外の人間からの依頼を受け、情報を集めて、その依頼に応える。忍びの仕事は、情報を集めることだ。
思えば、影隼とよく会うのは、彼に任務がないからなのだろう。これでは忍びたちの仕事がなくなってしまうではないか。
そう思いながらも、
「では、今日は少し長くお父様とお散歩できますね」
仮面では隠せないくらい、声が弾んでしまう。依頼が減っているなんて、いいことではないはずなのに。
「あぁ」
父は静かにそう頷いただけだった。
しばらく父の部屋で過ごし、ふうっと息を吐いた時。父も持っていた書類を机に置く。
「白鴉、ついてきなさい」
ついに来た。お散歩の時間だ。
「はい!」
嬉しくてうわずる声を隠すこともなく、雪は父の後をついていく。
「寒くなってきましたね」
そんな他愛ない話をしながら、廊下を歩く。父からの返事はほとんどなく、雪が一方的に喋るだけ。それでも父と会話をしている気分になった。
たくさんの忍びたちと出会う。その全てが、父に頭を下げて道を開ける。自慢だった。
「お父様、お庭に行きませんか?」
雪が誘う。
「わたし、奥の庭も好きですが、表の庭も好きなんです」
「……そうか」
父は低く唸るようにそう言って、でも足は庭に向かってくれた。
先ほども見た、変わらない庭。下駄を履いた雪が、庭の中央に立つ。
「お父様、見てください」
大空の下、精一杯両手を広げて。
「わたし、世界がこんなに広いなんて、思いもしませんでした」
この家は完全に閉鎖された世界。でも、雪にとっては人生の途中で現れた新しい世界。14年間の価値観がわずか6年で全て塗り替えられた、全く知らない世界だ。
「お父様のおかげです」
父が引き取ってくれなければ。実父はもう死んだと突き放していれば。雪はこの世界を知ることはなかった。
「ほら、お父様」
雪が楽しそうにくるっと一回転した時だった。
パァンッと短い破裂音が、空気を裂く。
その瞬間、雪は温もりに包まれていた。
「座れ」
すぐそばで父の声がした。父に抱かれているのだとわかった。
父に言われるがまま、その場に座る。忍びたちが周囲を囲んでいる。何が起きたのだろう。さっきの音は何なのだろう。
音がない。風もない。父の腕の中で、父の温もり以外、感じられなかった。
「白鴉を、奥へ」
「はっ」
しばらくして、父が手を離す。その代わりに雪の肩をつかんだのは、影隼だった。
「お父様は?」
「処理をしてから戻る」
「……わかりました」
仕方がない。父には仕事がある。
「白鴉様、振り返ってはいけません。急いで」
影隼が珍しく焦っていた。軽く駆け足になりながら、庭から廊下へあがる。
「さっきの音は何ですか?」
「俺からは言えません。蒼刃様にお聞きください」
なぜ父ではなく兄の名前が出たのか。その小さな違和感を、雪は拭おうとしなかった。




