36 父を護る娘
『どうせ表にいるなら、当主を守るくらいの気概は見せろよ』
それは、叔父からの言葉だった。忍びたちの怪我の経過観察なのか、よく見るようになった。
よくわからないまま、雪は父の執務室を訪れる。
「お父様を護衛しにきました」
雪の言葉に、父は少しだけ目を見開いて。しかし、何か言うこともなく、
「そうか」
と答えた。
「くくっ」
それを見て、楽しそうに笑う男。父の側近で、玄虎といったか。
「玄虎さん、どうして笑うのですか?」
「これは失礼いたしました。ご当主様の嬉しそうなご様子、微笑ましいと思いまして」
嬉しそう、なのか? もう一度父を見てみても、やっぱり表情からはわからない。
「お父様、ここにいてもいいですか?」
「好きにしなさい」
父の返答を受け、雪は執務室の隅に座る。部屋の様子、父の様子、全てを観察した。
最低限の家具と、書庫のような本や書類の数。和紙ではない印刷された報告書だ。読めるかもしれないと思ったが、遠すぎて小さな文字は読めない。
近くに行っても叱られないかもしれない。そう思って、父の隣に座ってみる。やっぱり父は叱らなかった。
父のそばに置かれた書類を手に取り、目を通してみる。正直、わからなかった。
雪の知識は中学生程度で止まっている。それまでも、家庭環境からまともに勉強する機会にも乏しかった。基本的な漢字はわかるが、報告書のような難しい言い回しが多い書類は、全く頭に入ってこなかった。
すぐに飽きて、また部屋を観察する。
「お父様の周りは、いつもこんなに忍びが多いのですか?」
目に見えるだけではない。感覚的に、なんとなく気配を感じるものもあわせると、結構な数がいる。
「常時というわけではありませんよ」
答えてくれたのは玄虎だった。
「今は騒がしいので、少し増やしています」
外が危険だからか。はっきりそう言われたわけではないが、さすがに雪でもわかる言い方だった。
「ご当主様に倒れられては困りますから」
忍びたちを束ねる父がいなくなったら、忍びたちが困る。それは雪にもわかる。
「お父様がご病気になったら、どうなるのですか?」
それは単純な疑問だった。
「今なら、蒼刃様がいらっしゃいますね。ご当主様が信頼されているので、私共も安心して信頼できます」
兄も立派な大人だ。この家を継ぐべく、幼い時から勉強していると聞いている。父が信頼するのも頷けるくらいには、兄の偉大さも知っていた。
でも、この家を支えるのが父じゃないというのは、やっぱり少し不安で。
父の着物の袖を、そっと掴んだ。
「玄虎」
父の低い声がした。
「これは失礼いたしました。ご不安にさせてしまいましたね」
「いえ」
短く答え、雪は首を振る。
「お父様、長生きしてくださいね」
雪の言葉に、父は無言で頷いた。
「兄上、朧狐です」
叔父の声がした。
「入れ」
父が答え、襖が開く。
「お、なんだ。おまけつきか」
おまけ、とは。相変わらず子ども扱いの叔父に、べーっと舌を出してみる。狐面で見られないのだから、叱られることも嫌がられることもない。
「今日の診察分」
玄虎が受け取り、父に渡す。隣から覗き込んでみると、たくさんの影名が。怪我をした部位や怪我の度合いも細かく書かれている。
父は視線だけで玄虎に合図をする。すると、玄虎が封筒を出した。
「報酬です。朧狐様、お疲れさまでございます」
「様はやめろって言ってるだろ。もう本家の人間じゃないんだ」
「あなた様が影名を名乗られる時は、私が敬うべきお方です」
朧狐か。なんとなく堅苦しい印象を受ける。
「叔父様は忍びではないのに、影名を持っているのですね」
自然と言葉が出た。
「まぁ、一応出身はここだからな。実務訓練まで受けてるし」
報酬を確認しながら、叔父がさらっと答える。ちゃんと忍びになるべく訓練を受けた人だった。
「どうしてお医者様に?」
「んー、忍びになりたくなかったからじゃないか?」
あっさり教えてくれた。
「影で生きるなんて、ガラじゃねぇんだ。医者としてちやほやされた方が、オレには向いてる」
この場所で生きていても、本家の人間ならちやほやされるのではないか。少なくとも雪は、忍びたちにちやほやされていると感じる。それが快か不快かは置いておいて。
「お医者様の時は、本名を名乗っているのですか?」
「おぉ、ズバズバ聞くなぁ」
「あ……」
無意識だった。知りたいという感情が、強く出すぎていた。
「医者の時は医者の時の偽名。本名は別にあるけど、もう使わねぇだろうな。奥に入らない限り」
「偽名、ですか」
「霧崎の人間が、霧崎を名乗ったまま外に出るわけにはいかないからな。高槻っていうんだ。高槻理一。かっこいいだろ?」
霧崎と全く関係ない名前。本名を名乗れないというのは、どんな気持ちなのだろう。そこはデリケートな気がして、口に出せなかった。
「んで、そのお姫様は、なんでここにいるんだ? 蒼刃がいるなら、後継ぎの勉強ってわけでもねぇだろ?」
「お父様をお護りしてるんです」
なんとなく馬鹿にされたような気がして、思わずムッとしてしまう。
「お護り、ねぇ」
彼はニヤニヤと笑ってみせて。
「まぁ、いいことではあるんじゃないか?」
と言った。
「自分の身を盾にして守れよ。霧崎の当主は、何があっても死ねないんだ」
「しね、ない?」
「当たり前だろ。当主が死ねば忍びを束ねる人間がいなくなる。ちゃんと後継者にその座を譲るまで、何があろうと死んではいけない。家族を犠牲にしてでも、生き残らなきゃいけないんだ」
怖い言葉だった。父はそんな重圧の中に生きているのか。
だから、忍びたちが大勢集まってでも父を守ろうとするのか。先日も、先頭に立って指示をしていたのが兄というのは、父が出ていけないからなのか。
「ま、心配するな。ちょっとした怪我なら、オレが治すからな」
「ご当主様に怪我を負わせるようなら、私共は死んでますね」
叔父の力強い言葉に、玄虎が張り合う。怪我さえ負わせない。そんな玄虎の気持ちが伝わってきた。




