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31 秋の香りと闇の兆し


「雪姉様、見てください」

 詩乃が枝を持ってくる。


「ほら、金木犀がもう少しで咲きそうです」

「本当だ。楽しみだね」

 なんて笑い合って。ごく普通の日常だった。


「今年も香り袋を作るの?」

「はい! 雪姉様、手伝っていただけますか?」

「もちろん」


 毎年秋になると、大量の香り袋を作り出しては、仕事で忙しい父と兄に配って癒して回る。それが自分の役目だとでも言わんばかりに。


 そんな無邪気な子どもらしい詩乃も、今年の冬には18歳。外でのお仕事もできる年齢になる。

「……早いね」

 ぽつりとこぼす。


「何がですか?」

 詩乃がきょとんと首をかしげる。


「だって、出会った時は12歳だった詩乃が、もう18歳だよ。時が過ぎるのは早いなって」

「それを言うなら、雪姉様だって。出会った時は14歳、まだまだ子どもでしたのに、年が明けると20歳、大人ですよ」

「あ、ほんとだ」

 もうそんなになるのか。


 14歳。この世は地獄だと、全てを諦めていた頃。「逃げて」の一言で、こんなにも人生が変わるなんて。今は離れてしまったが、彼には感謝している。雪の世界を広げてくれたのは、間違いなく彼なのだから。


 くすくすと笑い合っていると、ざわっと風が吹いた。ハッと顔を上げる。


「雪姉様?」

 なんのことはない、普通の風。しかし、夏の残り香のような湿気を含んだ、嫌な風だった。

「なんでもない」


 そう笑ってみせて、またお喋りに花を咲かせていると、

「雪さん! 詩乃さん!」

 沙耶が駆け寄ってきた。いつも静かな彼女が走るなんて珍しい。


「沙耶さん、どうしたのですか?」

「地下に行ってください」

「え?」

「さ、早く。綾乃さんも呼んで参ります」


 何の説明もないまま、沙耶はまた走っていく。


「どうしたのかな」

「わかりません。参りましょう、雪姉様」

 詩乃の表情が、固まっていた。




 霧崎の心臓部分といわれる地下は、表だけではなく奥からでも行けるようになっている。巨大な情報保管庫の中で、雪はろうそくに火をつけた。


「お父様とお兄様がいらっしゃるわけではないんだね」

 地下に入るくらいなのだから、父か兄からの呼び出しだと思ったのに。


「詩乃、寒くない?」

「地下ですから。涼しいのは当たり前ですよ」


 そばの椅子に座り、ホッと息をつく。ろうそくのゆらゆら揺れる不安定な灯が、さらに不安をあおる。


「白鴉、橙鶯」

 そこに、綾乃と沙耶も入ってきた。

「お面をつけなさい」


 姉は2人の分のお面も持ってきてくれた。地下とはいえ、表にも出入り口がある。万が一忍びが入った時のことを考えているのだろう。


「お姉様、何があったのですか?」

「わからないわ」

 姉にもわからない状況。全てが不自然すぎて、怖い。そして、恐怖と同時に存在する、わずかな興奮。


「沙耶さんは、何かご存知ですか?」

「わたしも、蒼刃様から地下に入るようにとご指示いただいただけなので……。ただ、危険だから、と」

「危険?」


 この場所は安全ではないのか。それも、表ではなく奥なのに。

「とにかく、お父様かお兄様の指示があるまで、ここから出てはいけないわ」

 ざわっと胸が騒ぐ。


『この場所は、敵に攻め入られた時、絶対に立ち入りを許してはいけない』

 そう教わったのは、いつだったか。あの時の兄の真面目な顔が、頭をよぎる。

『この屋敷が落ちる時、この場所には火をつける』


 まさか、本当にその時が来てしまったのか。少しずつ膨らみ始める恐怖の感情を抑えるように、胸のあたりでぎゅっと両手を組む。


「白鴉姉様」

 その手を、詩乃が包んだ。

「大丈夫です」

 その声には、芯があって。お面で見えないのに、優しく微笑んでいるのがわかる。




 どれだけそうしていただろう。地下は地上の光が入らないから、時間もわからない。

「みんな、大丈夫?」

 表の方の階段から降りてきたのは、兄だった。


「お兄様」

 その顔は、いつものように優しくて。ホッと気が緩むのを感じながら、ゆっくりその場に立つ。


「もう大丈夫。安全が確認されたから、戻っていいよ」

「安全って……、お兄様、何があったのですか?」


 危険とは聞いたものの、その理由を知らない。なぜ地下に入らなければならなかったのか。その説明を求めたが、

「明日にしよう。もう夜なんだ。疲れただろうから、ゆっくり休んでね」

 妹たちを安心させるためなのか、柔らかく微笑みながら。


「沙耶、奥は頼んだよ」

「はい」

 妻に後を任せて、兄はまた表へ戻っていく。仕事が終わったわけではないらしい。


「戻りましょう」

 沙耶に促され、雪は地上へ出る。もう日が沈み、夜になっていた。


 闇を認めないと言わんばかりに煌々と輝く真っ白な月が、不気味に思えた。


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