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26 渡り廊下の先


 また渡り廊下の扉を潜った。毎日のように表に出ているが、父も兄も何も言わない。止められないのなら、とさらに張り切る。


 そうして今日は、いつもと違うところに来てみた。表の庭の片隅にある道場のようなところ。明らかに簡単には入れない佇まいから、遠くから眺めるだけだった場所。今なら、ここも入れる気がして。


「1、2、3」

 何やら声がする。扉を少しだけ開けて、室内を覗いてみた。


 一瞬、ダンスかと思った。しかし、何かが違う。あぁ、そうか。空手だ。

 やはりこうした体術も学ぶのか。任務で使うことも、全くないわけではないのかもしれない。


 生徒の年齢層は幅広い。まだ小学生くらいの子どもから、雪と同じくらいの成人間近の人も。完全な成人のように見える人もいる。


 これは、基礎訓練だろうか。入門して半年以下の人たち。どうして忍びになろうと思ったのか聞いてみたいところだ。


「そこまで!」

 その時、講師が生徒たちを止めた。

 どうしたのだろう、と見つめていた雪の方に、講師が歩いてくる。


「白鴉様」

 見つかってしまった。


「ごめんなさい。邪魔をするつもりはありません。どうぞ続けてください」

「はっ」

 そう伝えると、彼は再び講師としての位置に戻る。


「続き!」

 そうして再び始まる訓練を、雪は室内の片隅で見ることにした。どうせ見つかってしまったし、今さら隠れる必要もない。


「なぁ、ほんとに動くんだな」

 それは、後方の男の子たちの会話だった。近かったため聞こえてしまったが、彼らはきっとこっそり喋っているつもりである。

「遠くからしか見たことなかったけど、人形だと思ってた!」

「何言ってんだよ。歩いてるところ、見たことあるだろ」

「いや、ほとんど見えてなかったじゃん」


 懐かしいな、と思う。小学生の時、こうして先生にバレないようにお喋りをしては、見つかって叱られていたっけ。


「狐面って怖いよな」

「おい、聞こえたらどうするんだよ」

「大丈夫だって」


 怖い、と見えるのか。客観的な意見は、そうそう聞けない。確かに表情は見えないし、思考も読み取れないし、傍から見れば不気味か。


 それでは、ここにいると威圧的に感じられるかもしれない。それは違う、と雪はすぐに道場を出た。


 やっぱり、当主の娘という立場は、なかなか難しい。この屋敷で立ち入れないところなどないが、それには相応の責任が伴う。威圧するつもりがなくても怯えられてしまうし、気楽にお喋りしたいだけなのに敬う姿勢をされてしまう。


 どうしたらいいだろう。姉に聞いてみようか。そう考えながら、雪は奥に戻った。




「雪」

 それは、その日の夕食の席でのことだった。食後、一息ついていると、父から呼ばれた。

「はい」

 持っていた湯呑をそばに置き、姿勢を正す。


「ほどほどにしなさい」

 何のことを言われているかわかった。さすがにやりすぎたか。

「はい」


 でも、この際だ。聞いてしまおう。

「お父様、どうしたら、怖がらせずにお話を聞けますか?」


 どうせ父には知られている。この家の中のことで、父が知らないことなんて絶対にない。今さら隠すことでもないだろう。


「雪、まだ続ける気?」

 兄に呆れられてしまった。


「知らないことが多いんです。全部知ったとは思えません」

「知らなくてもいいことなんだよ。無理に全部を知る必要もない」

「わたしが知りたいんです」


 好奇心や知識欲は、雪の原動力だった。思えば、霧崎家に来た当初も、「知りたい」と言ってから全てが変わった。この感情を、なかったことにはしたくなかった。


「白鴉である限り、不可能に近いことだ」

 父が静かに答えた。その重く低い声に、思わず沈みそうになる。


「雪が狐面をしている限り、この家のどこにいても霧崎の娘だとわかる。雇い主の娘だとわかっている人に、雇い主に言えないことを話す人はいないだろう?」


 兄の言葉はもっともだった。逃れられない立場。ここでもし「じゃあお面を外したら」なんて言おうものなら、きっと姉からとんでもなく叱られてしまう。霧崎の娘として、それは絶対にやってはいけない。


「雪」

 姉の静かな声が響いた。


「表でのあなたの言動は、全てお父様の代理となることを、わかっておきなさい」


 忍びと話すことも、訓練生の様子を見に行くことも。全て、当主である父の代理としか見られない。ただ、雪がそうしたいだけなのに。


 姉がむやみに表に出ない理由も、きっとそれなのだろう。奥で妹たちとお喋りしている方が、「自分」を見られていると実感できる。


「……それでも」

 雪は諦められなかった。

「お父様の顔に泥を塗るようなことはしません。ただ、ほんの少しだけ、忍びの方々を見てみたいだけです」


 その言葉に、父も兄も黙ってしまった。もう限界かもしれない。これまで自由にさせてもらったのだから、これ以上は求められないのだ。


「家業のことを知るのは、悪いことではないわ」

 そう言ったのは、姉だった。


「もちろん、限度はわきまえて。お父様とお兄様のお邪魔にならないようにね」

「綾乃……」

 雪の背中を押す綾乃を、兄が止めようとする。


「お兄様も、忍びたちが何を考え何を思って任務にあたるか気になると、以前おっしゃっていたではありませんか」


 しかし、そう返されては、何も言い返せないようだ。


「お父様、よろしいですか?」

 兄が納得したって、最終決定権は父にしかない。

 じっと父の目を見つめ、視線を逸らさない。表情は変えず、真っ直ぐに。


「……好きにしなさい」

 やがて父が折れてくれた。


「ありがとうございます」

 少し大げさに礼をしてみせると、小さなため息が聞こえた気がした。


 困らせたかもしれない。そんな思いと一緒に、「少しくらいなら」とも思ってしまう。世間一般的な家庭のように。少しくらい、娘が父に甘えたって、いいじゃないか、と。


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