21 赤と青
結婚式から1カ月が過ぎた日、計画を実行する時が来た。
ターゲットは姉。協力者は妹。仕事で忙しい父と兄まで巻き込むのは申し訳なかったため、この3人で完結することにした。
「詩乃、準備はいい?」
「はい、雪姉様。いつでも大丈夫です!」
姉の部屋の前で覚悟を決め、
「お姉様、雪です。入ってもよろしいですか?」
と姉の部屋を訪れる。
「どうしたの?」
しばらく訪れていなかったせいか、姉は不思議そうだった。
「お姉様!」
そこに、詩乃がパッと飛び出して、姉の手を掴んだ。
「お散歩に行きましょう!」
「散歩?」
「はい!」
その間に、雪が姉の狐面を取る。
「ちょっと待って。ただの散歩なのに、どうしてあなたたちは狐面を持っているの」
「まぁまぁ」
なんてあしらいながら、姉を連れ出した。雨の間に続く廊下の途中で、詩乃がお面をつけた。
「お姉様もつけてください」
「嫌よ」
ここまで来れば、さすがに姉も気づいてくる。不機嫌そうに顔を背ける姉に、
「お願いします、お姉様!」
と詩乃は引き下がらない。
「お姉様」
雪は、静かに訴える。
「お願いします」
その真面目な顔に、姉は渋々ながらお面をつけた。雪もお面をつけ、
「行きましょう」
と姉の背中を押す。詩乃が手を引き、姉を引っ張った。
「青燕さん、よろしいですか?」
「どうぞ」
詩乃の挨拶に、青燕が答える。まだオリジナリティのないシンプルな和室で、彼女は畳の上に座っていた。上座が開けられているのは、きっと彼女なりの意識を表明しているのだろう。
「紅霞様」
綺麗に揃った指を、膝の前に添えている。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
一礼する姿は、まさに時代劇のようで。
「お姉様」
返事のない姉を急かすように、詩乃が促す。
「わたしは、用はないのだけれど」
雪が感じるのは、青燕からではない、姉から青燕への敵意。
「用があるのは、わたしの方ですわ」
それは、詩乃の声。
「お姉様と青燕さんに、仲良くなっていただきたくて」
この無垢な子どものような声は、毒気を抜かれるはず。
「仲良く、なんて……」
一瞬、姉の声が硬くなる。
「そんな世話を焼かなくても、喧嘩するつもりはないわ」
喧嘩はしない。大人だから。でも、喧嘩をしないのと仲良くするのは、イコールではない。
「よかったら」
青燕がそう口を開いた。
「お茶でも、いかがですか? 実家からお気に入りの茶葉を持ってきましたの」
紅茶が好きな姉が、ハッと目を見張る。
「ま、まぁ……お茶くらいなら」
こういうところはまだかわいらしい。
「ただし、上座に座るのは青燕さんでお願いしますわ。後継者の妻と後継者の妹では、立場が違いますので」
そこは姉のこだわりポイントなのか。
「では、こちらで」
青燕は席次を気にする必要のない部屋の中央を指す。ひとつのテーブルを4人で囲む形で座った。
火鉢で沸かしたお湯でティーカップに紅茶を注ぐ。和室には合わない洋の香りに、お面の下で微笑む。
「どうぞ。お口に合うとよろしいのですが」
狐面をつけたまま、どうやって飲むのだろう。外のパーティーに参加した時は、飲食を全くしなかった。
姉を見ると、お面を持ち上げて少しだけ浮かせ、その隙間でティーカップに口をつける。器用だな、と思った。
その真似をして飲んでみる。少しだけ苦かった。
「……大人の味ですね」
詩乃もそう思ったのか、静かに息を吐く。
「あら、失礼しました。砂糖をお持ちしましょうか」
「砂糖よりも……」
雪もそんなに詳しいわけではない。ただ、この紅茶は
「ミルクの方が、合うと思います」
ミルクティーで飲みたいと思った。
「厨房にないかしら。持ってこさせましょうか」
詩乃が伝書猫を呼ぶために部屋を出ていく。
「……美味しいわ」
姉が呟いた。ホッと暖かい息を吐くように。
「お姉様は大人ですね」
雪が微笑む。紅茶と聞いて敵意を忘れるくらいには子供で、でも苦味を良いと思えるくらいには大人。
「これはどちらのお店ですか? 普段取り寄せている店ではない味がします」
「あぁ、それは……」
紅茶のお店のことなんて、わからない。でも、姉と義理の姉が会話しているのは、嬉しい。その様子を眺めていると、詩乃が戻ってきた。
「これで美味しく飲めますわ」
こちらはまだまだ子供のような言動。でも、それが詩乃らしい。ティーカップにミルクを注ぎ、砂糖をいくつか入れる。それに口をつけて、
「うん、美味しいです」
と答えた。ようやく妹も飲める味になったか。
「青燕さん、ご実家とは連絡をとっていらっしゃるのですか?」
さっそく投下された特大爆弾。詩乃は無邪気に聞いただけだろうが、姉が固まるのがわかった。
「まさか。もう縁は切ったものと思っております」
青燕は顔色ひとつ変えることなく、あっさり言い放った。
「縁を切った、だなんて……。大事なご両親でしょう?」
「どうでしょう。女はいつか嫁に行くからと、兄よりも少し雑に育てられましたので」
それを根に持ってのこと? そんな単純な話では無い気がする。以前2人だけで話した時の言葉を覚えていたから。
「もし」
姉が口を開いた。
「ここに、敵が攻めてきたら、どうしますか?」
これは試験なのだろうか。嫁として相応しいのかどうか、姉なりに測っているのだろうか。
「その時の立場によりますが、今なら盾になります」
青燕の言葉は、迷いがなかった。
「戦うことは、本家の人間の仕事ではありません。この家を守ること。ご当主様や蒼刃様を守ること。それを第一に考えるべきです」
敵と刺し違えてでも死ぬ、なんて言葉は、きっと姉の中では相応しくない。家のために生きるという一貫した姉の主張を、青燕は理解していた。
「紅霞様は、どうなさるのですか?」
それは、普通の会話のように続いた。
「火をつけます」
姉が一言だけ答える。家を守るために、家に火をつける。それは、矛盾していない。
「それと」
そして、続けた。
「紅霞ではなく、綾乃と」
ハッとした。
「奥でその名前を呼ばれるのは、慣れていませんので」
素直になれない姉らしい言葉に、驚いていた雪もくすりと笑う。
「なんですか。笑うところではないでしょう」
雪と詩乃のくすくすとした笑い声が混ざり合う。
「では、わたしのことも、沙耶とお呼びください」
本名を教え合う。本名を隠す忍びの世界において、それは重要な儀式のようだった。
「まぁ、素敵。では、沙耶さん、わたしのことも詩乃とお呼びください」
詩乃までそれに乗っかる。
「わたしは、……どちらでも」
雪も名乗ろうとして、一瞬ためらった。
「雪も、白鴉も、大好きな名前ですので」
白鴉の名前を与えられた時、嬉しかった。やっと自分にも意味のある名前を与えられたと。
でも、家族に「雪」と呼ばれることが嫌なわけではない。むしろ彼らのおかげで、その名前にも自信が持てた。
だから、どちらでもよかった。
「改めて」
青燕こと沙耶が、姿勢を正す。三つ指をつくことはなく、簡易的なお辞儀で
「よろしくお願いいたします」
と。彼女が家族と受け入れられた瞬間だった。




