高校選手権個人戦A級決勝 光輝VS.目黒クイーン① 暗記時間中~決勝戦開始2分前
暗記時間中、光輝はいつものように足を楽にしつつ、札の配列を俯瞰して見るが、いつもと違うのは右腕を庇うように腕を組みながら暗記を行っている点だ。
人によっては少し考えこんでいる、無意識な仕草に見えることだろう。いつもはあぐらを組みながら、後ろに手をつくリラックスした様子だが、今回は勝手が違うと強張った感じに映る。
特に光輝のかるたをよく知り、ケガをしていることも知っている結姫はもちろん、千里も違和感のようなものは感じていたようだ。
「花山さん、なんか四条くん、いつも以上に緊張してません?」
「あら、わかっちゃったかしら。実はさっきの試合で……」
千里はひそひそ声で話し、結姫も千里の耳元に口を近づけて、準決勝の最後に光輝が倒れこみながら出札を取った際に右腕を強く打ち付けて、ケガをしたことを打ち明けた。
「ええっ!? マジなんですか、それ」
「だから、緊張してるというよりは考え事や不安の方が大きいのかも……」
暗記時間はただ札の配列を覚える時間ではない。狙い札や送り札、空札も含めて様々なシミュレーションを考える時間でもある。しかし、今の光輝にそんな余裕があるのか。当の光輝はというと、
(やべぇ…………けっこう痛むなぁ)
一時的かと思っていた痛みがまったく引く様子がない。むしろ、痛みは増すばかりな気がするほどだ。
ただ、腕はなんとか動く。だが、どこまで動くかが問題だ。そう考えながらも札の配置などは頭に入れていき、暗記時間開始から5分ほど経ったところで、
「失礼します」
一つ礼をして、光輝が立ち上がった。おそらく、控室に戻ってスマホをポチポチする時間に充てるのだろう、と思いきや、光輝は隅に置いてあった小荷物のところに行き、中に入れているスポーツドリンクをぐいーっと飲むだけだった。いつもの様子と違う光輝のもとに結姫と千里の二人が駆け寄る。
「ねぇ、みーくん、やっぱり痛む?」
(みーくん? 四条くんのこと?)
結姫がいつもの呼び名で光輝に問いかける様子を見て、千里が少しひっかかりを覚えた。
「うーん……何とも言えない……」
二人には煮え切らない返事で返してしまう。少なくともいい状態ではないのは明らかだろう。
「四条くん、さっきの試合で痛めたって……」
「いや、千里のせいじゃないよ。俺がドジッただけだ」
沈痛な面持ちの千里に対し、責任を背負わせないようにと自嘲気味な口調で光輝が言う。
「たとえ、相手が誰であろうと、何があろうと、相手がいる以上は席につかないとな…………自分の腕が動く以上は最善を尽くすだけだよ。たとえ、どんな結果になってもな」
そう言い残し、光輝は自分の席である目黒クイーンの前に再び座りこんだ。ここからは試合中のシチュエーションをイメージしての暗記作業に入った。ここはいつもと同じルーティンだ。
「なんて、強いんだろう……」
千里がふと呟く。それはかるたの強さではない。かるたの試合に臨む心意気がそもそも違う。千里は光輝の強さの根幹を見たのだった。
「2分前です!」
運営の人から、暗記時間終了2分前の合図が出た。光輝はいつも通り、立ち上がって、カッターシャツの胸ポケットに忍ばせている水色のお守りを握りこみ、「大丈夫、味方だから、大丈夫……」と念じるように繰り返し、つぶやく。
ルーティンを終えた後、座り込んで素振りを行う。様子見も兼ねて、いつもよりもゆっくりとした動きで払いや突きの動作をしてみる。自陣右側、相手陣の右側、そして、自陣の左側、こちらも問題ない。相手陣の左側、光輝側から見て利き腕方向に手を伸ばしてみると、
「つぅ…………っ!!」
こちらには痛みが走った。内側に手を伸ばす動作を入れると痛むようだ。まったく手が伸びない、払えないということはないようだが、トップスピードで払うには支障が出る。これが多少、取りこぼしのある粗い相手やスピード勝負をしないような相手なら多少は誤魔化しも効くかもしれない。
だが、相手は精密機械ともいえるほどの速さと正確性を兼ね備える目黒クイーン。
(相手の左は多少、捨てないと厳しいか……?)
また、相手陣から自陣への戻り手の動きにも痛みが生じる。無理な動きはやはりできそうにない。
そうやって、考えを巡らせてる間も目黒クイーンは素振りなどはせず、ただ、札の配列を淡々と目で追っているだけだ。おそらく、彼女なりに札を取る感覚や試合のシミュレーションは頭に入っているのだろう。これまでの試合やクイーン戦の配信でも2分前に素振りをする様子はないようなので、これが正常運転なのだろう。
「時間です! それでは決勝戦を始めます! 決勝の読手は楠本典之専任読手です」
今、決勝の合図を行ったのは大会の競技委員長を務める新条愁。20歳で名人位を獲得すると、つい最近まで10連覇を果たした絶対王者という存在だった永世名人だ。その後、10連覇を区切りに名人戦を辞退し、現在は後進の育成や裏方のサポートに回ってかるたの発展に務めている。
その新条の決勝開始の合図とともに浦安の間で試合をするA級とB1、B2級の決勝3組の選手がそれぞれ、相手をする選手、読手に対して挨拶をする。
「なにわずに~、さくやこのはな、ふゆごもり~」
(この男が四条元名人の息子か。聞くところによると、花山結姫の秘蔵っ子と聞く。目黒クイーン相手じゃ、厳しいかもしれないが、先ほどの準決勝では独特な感じを見せる一色千里相手に互角の取りを見せていた。今日がA級デビュー戦と聞いていたが、そこらのA級選手よりも取りは非凡に見える。せっかくの機会だ。ここから、じっくりと拝ませてもらおうか)
楠本専任読手が序歌を詠み始めてから、手前で試合をする近くの椅子に座りつつ、新条永世名人はA級の決勝戦の舞台に座る二人に視線を送るのだった。




