ひとり親家庭の女の子。
『猫の恩返し(2002年ジブリ)』を思い返して、あの家庭には父親の影がなかったなと、ふと考えた。原作を読んでいないために断言はできない。でも、キルト作家らしいお母さんの姿しかなかった。主人公のハルちゃんは中学生かな? ここで彼女が「お母さんの代わりに家事をするスーパー中学生」だったら、ストーリーは始まらなかったかもしれない。
もちろん、彼女も何もできないわけではないだろう。少しくらいお手伝いもしている……と、いいなぁ。作品のラストでは、ちょっぴり成長した彼女が、日曜の朝なのに早起きして朝食を作っている。目玉焼きとサラダ、それにバロンの真似をして淹れたブレンド茶だったかな。新聞も読んでいたし(ただし、これから友達と観る映画情報だったのかもしれないが)。
家庭の都合で部活に入れなかったり、友達と遊びに行けないこどもというのは、特に少女マンガには良く出てきている気がする。どこか特別感があるのだろうな、と思う。少女向けというからには、小学生の高学年から中学生を対象にしているのだと思う。あのくらいの年齢の少女はお姉さんぶりたいもので、「早起きしてお弁当を作る」「お母さんの代わりに料理をする」といった行動に憧れるものだ、と思う。おままごとの延長かな。
ひとり親家庭の場合だと、これが憧れからではなく、いっそ義務のようにつきまとう場合がある。私はこれをネグレクトだとは思わないし、アダルトチルドレンだとも思わない。それらはもっと深刻だ。家庭には様々な事情があるし、そういうのは助け合いの範囲じゃないだろうか。ただ、周りのこどもに比べて心の成長は早い気がする。老成と言い換えてもいいかもしれない。大人にならざるを得ないのだ。
女の子だから、という理由ではないが、実際にこういう家庭の取りまとめに関しては女の子がやる方が上手く行く。母親も自分がかつて経験したお手伝いから、娘に教えることができるからだ。ただ、喜んで家事をして、「ありがとう」の言葉で満足するのは中学生までじゃないだろうか。
高校生になればバイトもできるし、まとまったお金が手に入ったら友達にカレシにと、遊びに行くのに忙しく家庭を顧みなくなる。「私は自分のことをするから、お母さんも好きにドウゾ」というやつだ。反抗期と言うか、自立の時期である。
ただ、これが男親と娘である場合は異なってくる。もはや父親と擬似の夫婦関係を築いて家庭の女主人となるのだ。これは……娘が支配者的性格だと怖い。父親の再婚すら邪魔されてしまう場合がある。女というものは流動的に自分の居場所を見出すものだと私は思うが、これで固定されてしまうと、本当に女主人の座から動かなくなって終いには嫁にも行かなくなる。
もちろん、父親が娘に頼りきりで、それがある日いきなり娘が「結婚するから」と出て行く場合もある。そのとき、父親はどうするのだろうか。巣の乗り捨てにあったような気分だろうか。いずれにせよ、男性だって突発的な身の回りの変化には弱い。一気に老けて、心を病んでしまうかもしれない。依存の関係になる前に、ちょっと心の距離を置いて、自分自身を見直して見る必要があるのかもしれないと思う。
ちなみに、高校生になって遊びまわっていたのが私の親友(おばと父親と暮らしていた)で、父親の再婚をぶち壊したのは私の相方さんの妹である。すごいよね。私も言われました、「兄との結婚、考え直す気はない?」って。「あなたはまだ若いし」って。若いからこそ結婚するんじゃないんですかねぇ。年齢がいってからの結婚は財産や親の遺産のこともあって、踏み切りにくいと思ってるよ、私は。ああ、怖い怖い!!!