第32話 ―予定調和と水の泡
―立て!立つんだジ○ー!
完膚なきまでに叩きのめされた俺達は、何故だかボクシングの控室のような場所でしばらく待機する事になった。俺はもはや自分でグローブさえ脱げないような状態になり、原型を留めていない顔は白いタオルでそっと隠されている。
ナジーム爺も相当堪えたようで、俺の腕を握りながら……。
「すまぬ……わしがもう少し……もう少し早くこのタオルを投げておれば、こんな無様な姿にはならなかった……」
言うな爺さん。
全ては俺の準備不足から起きた事。
でも、やっぱり真っ白な灰にされる前に止めて欲しかったぜ……。
「まったく! 何してんのさ!」
その一言で現実へと引き戻される。それにしても、ホラレイゾン……本当に憎たらしくて嫌なやつだった。おかげで理不尽に上司に怒鳴られまくる新入社員の気持ちが大いに分かった気がした。そのうち、その社員が何故か殺し屋に転職して狙撃されたとしても何ら不思議ではない。
「……前言撤回じゃ、わし、あの男がだいっきらいじゃわ」
「同感だよ。なんだよありゃ? これで俺の考えたことが全て白紙になっちまったじゃねぇかよおおお!!!」
否決だから、当然出資の話もパァ。
あれだけのダメ出しを食らって、今さらどれだけいい顔をしようが、最早完全に下に見られて、結局足元を掬われるだけだ。あのホラレイゾンのせいで、俺達が優位に立てる条件は完全に断たれてしまった……。
「何言ってるんだい!! あれで良かったんだよ!!」
カメリアが何か叫んでいる。
そりゃアンタは気持ちがいいだろうけど、ひたすら精神攻撃を受け続けたこっちの身にもなってみろって……ん?
「カメリアさん、あれで良かったってどういう事?」
そうカメリアに問うとしたその時だった。
「――――それについては俺が説明した方が早いだろうさ」
げっ!!!
扉を見ると、ホラレイゾンが負け犬を嘲笑うが如くそこに君臨していた。
「おおおおお!!!この野郎!!!場外乱闘上等だごるぁあ!!!マジで一発、いや10発は殴らせろ!!こちとら一応モンクだしなぁ!!!」
・・・など言えるはずもなく、突然の訪問に皆が呆気に取られていると。
「あーん♡ダーリン、もう最高だったわぁ♡」
「ん-…ちゅまちゅま!でしょう?僕の演技最高だったでちょう」
「もぅあたしまた惚れ直しちゃったわぁ、もう大好きよ!ちゅまちゅま♡」
‥‥‥‥‥‥‥あかん、全身サブイボが。
しばらく、俺とナジーム爺は二人の熱い抱擁シーンを強制的に見せられる事になる。いや、マジで俺達は一体何を見せられているんだ。
ん?いきなり、強烈な展開のせいですっかり聞き忘れそうになったが…。
「僕の演技ってどういう事?」
「あ?それは、俺が最初から最後まであの場に居た全員を欺く為に人芝居売ってやったってこと」
は…?
じゃあ、あのダメ出しも全部最初から仕込んであったってこと??
「しかし…それなら、せめて最後は賛成して案を通しても良かったのでは?」
「ばーか、あのまま案を通してたらそれこそお前ら、良い様に利用されてカモられたのがオチだって。実際にかなりの抜け漏れがあっただろうが!」
「それは…まぁ否定はできんがの」
・・・つまり、ホラレイゾンは初めから俺達を守る為に、芝居を打っていたという訳か。
「でも、お前!!お前の言ってた漫画ってやつ。あれはいい!突拍子もないアイディアだが構造がとてもよかった。うまくいけば従来の堅苦しい芸術の枠からもっと親しみを持てる大きなビジネスになるかもしれないぞ!」
「そりゃ…お褒めの言葉ありがとうございます」
・・・なんだか、何もかもが急すぎて怒る気にもなれなくなった。
「それで、俺達。というかナジーム商会は今後どうなっていくんですか?」
「はぁ?ばかかおめーは!?ナジーム商会は当然俺の大商会の傘下に入るに決まってるだろ?つーかさ、なんで俺がわざとマルコー商会を独立させたままだったか分かってる?それをさぁ、勝手に傘下にしようとしやがって…」
「それについてはダーリン、私からも謝るよ。勝手な事してごめんなさい」
「いや、いやいやいやカメリアちゃんはなーんも悪くない、悪いのはそこのドブみたいな臭いがする男と爺だってば!!」
えっ?
俺は慌てて自分の体に鼻を近づける、えっ?
俺、もしかして臭ってる?
しかも、ドブ?
「まぁそれに関しては、今後もカメリアちゃんが俺の傍にいてくれればいいとして…娼館の方は残った者達を独立させる事にした」
「と、言う事はわしらはこれからホラレイゾン殿の軍門に下ると・・・?」
「おめでとう、これで少なくともアンタが言ってた巨大な資本とやらが手に入ったんだよ!!」
「いや、手に入ったというか・・・うまく取り込まれたというか」
「そうかい?どっちにせよ、お前らがやろうとしてることってのはもう俺がとっくにやっているわけだし、きっちり数字だけ出してくれれば後はこっちでなんとかするよ」
「まだ分かってないって顔してるな?金のことは俺に任せろって言ってんだよ!」
そう言うと、ホラレイゾンは親指と人差し指で輪っかを作りながらニッコリと笑った。
「それにしても目に浮かぶぜ。後日、俺が紙の販売権の全てを牛耳ったって宣言した時の連中の顔がよ」
「連中?」
「お前らをカモにしようとした連中だよ、その技術も資本もすっぽり出し抜いて、裸同然にして野に放り投げるつもりだったらしいぜ?」
「「ひぃいいいいいい!!!」」
そんな恐ろしいのがあの商議会にいたとは…俺は一体どんだけ危険な連中を相手にしていたんだよ!!
「それも俺がナジーム商会を傘下に入れたことで連中も手が出せなくなったというわけだ、だからお前らは今まで通り金の事は何も気にせず紙を作り続ければいい。一応、新規事業をするときだけ一声かけてくれれば。そこに金を出すかどうかは決めてやるよ」
「ダーリン♡うまくいったわね!」
「はは、マイハニー!こっちへおいで!!!」
そう言うと、カリメアとホライゾンは熱く抱き合い、そしてこう言い放った。
「ホラレイゾンとー」
「カメリアのー」
「ラブラブどっきり大・成・功!!!♡」
完全に二人の世界に入り、こちらにイエーイとか言ってる。
いや、イエーイじゃねぇんだわ。
だが、思い返してみるとカメリアも……。
――いいか、最初に言っておくが、とにかくダーリンの勢いに吞まれるな。気持ちをしっかり持て――
なんて言ってたしな。
敵を欺くには味方からという言葉があるけど、今回はまんまそれにかかってしまった。
でも、結果がうまくいったから全てオーライ、イエーイってか?
だが、俺もナジーム爺もそんな軽いノリでハイタッチする気持ちなどなれるはずもない。
ただ、一言、言いたい。
「「そういう事は先に言えーーーー!!!!」」
――後日談。
その後、ナジーム工房、もといナジーム商会はホラレイゾン大商会の傘下に入り、その規模も大きく拡大、強固な資本に守られる形でこれからの飛躍を約束される事になった。
その翌日、俺と爺さんはナジーム邸に戻り改めて昨日の出来事を振り返る。
「ふぉっふぉっふぉ………というか、結局は杞憂。全てはあのむかつくホラレイゾンの手のひらで踊っていただけじゃったのぅ」
「本当にね…最初から出来レースだったなら俺が出しゃばる必要も無かったじゃん」
「いや…そもそも、ワシじゃカメリア嬢を説得させることが出来なかったかもしれんし、漫画…?だったか、そんな構造も浮かばなんだ」
「まぁ、あれは本当にその場の思い付きというか、これから紙で出来る事は色々あるだろうけど、どうせなら誰もがあっと驚くような、そういうものを
想像しただけだよ」
・・・まぁ、全ては前世の記憶によるものでしかないが。
「にしても、お主は本当に色々と思いつくものだのぅ…思いついてると言うよりも、ワシはお前さんが最初からそれを知っていたような気がするぞい」
「い、いやだなぁ…勘の良いジジイは嫌いだよ」
思えば色々とあったわけだけど、こんな世界で異世界人であることがバレると相当ロクでも無い目に遭う事は目に見えている。これからは、あんまり出しゃばった真似はしない方がいいだろう。戒め戒め。
「それはそうと…お前さんには報酬を渡せねばと、ずっと思っておったのじゃよ」
「お、報酬!?」
「うんむ」
そう言うと、ナジーム爺は部屋の外にいるジャービルに何かを持ってくるように、指示した。
そして…
「おおおおおおおおおおお!!!!!!」
それは、まさしく金貨の山・山・山!!!
というかいつも見ているメダルとは別にそれよりも一回り大きい金貨もある。
やっべー!超やっべーじゃん!!
この世界で生まれて、ここまで心臓がドキドキした事なんて初めてである。
「ま、ざっとこんなもんじゃろ。内訳すると本来、お前さんが受け取るべき報酬…つまり、これはワシが稼いだお金をそのまま折半した金額じゃぞい」
「えっ?‥‥…いや、俺別に何もしてないよね?こんなに貰っていいの??」
「ふぉっふぉっふぉ、おぬしが居なければ今ワシがここにおる事も、紙がここまで普及する事も無かったと思えばむしろ妥当なくらいじゃわい」
そう言われて、俺も本当にそれが自分に対しての正当な報酬であると受け止める。
ああ…雨風を凌ぐために必死だった野宿生活。
適当に食べてきたおこぼれとかヤマナさんのおやつの盗み食いとか…。
もう、そんな事をしなくて良いと考えるとようやく、ようやく今までの苦労が報われていく気がする‥‥。これが、天にも昇るような気持ちと言うやつかもしれない。
「じゃ、じゃあ爺さん改めて本当に本当に、これは頂いてもいいんだな?」
「うんむ、あげるぞい」
「やったーーー!!!これで俺も、大金持ちだぁーーーー!!!!……ってあれ?」
報酬の袋を一斉に鷲掴みしようとした瞬間、ナジーム爺がそれをひょいと上にあげる。
「ほい、あげた」
「ぬあーーーーーーー!!!!!」
ここに来てそんな古典的なギャグ…えっ?いや、まさか、本当に冗談だよね?俺はもう一度袋を掴もうとするが、その度に何度も物理的に袋はあげられた。
「いやなんだよ爺さん!!!あげるのか?あげないのか!?」
「いんや、これは間違いなくお前さんの金じゃぞい…だがの」
「これだけの金を、そもそもおぬしに管理できる能力があるのかい?」
・・・うん、それに関しては全くない。
俺は以前、姫から貰い大切にしていた金貨を無くした出来事を思い出す。あれで俺は、人の裏切りや悲しみ、そしてせっかく頂いた金貨を失うという何重苦も味わったしなぁ。
「ふぉっふぉっふぉ。思い当たる節もあるようだのう」
「まぁね、でもだったらちょっとだけ俺にくれたらいいんじゃない?あとは爺さんが管理するなりなんなり」
「ならんな、今の状態でおぬしに金貨一枚でもあげようものなら、すぐさまその穴の開いたポケットにしまって落として、見知らぬ誰かに拾われて…つまるところ無意味じゃ」
な、なんで俺のズボンのポケットに穴が開いてるのを知っているだぁ!??
「・・・まさか、さかままさかここに来て、その報酬をお預けという事は、無い、よねぇ?」
「うんむ、このお金はワシと同じく銀行へ預ける事にするぞい」
「お、おおお!なんだー銀行あるんだ!!なんだよ、それを先に言ってくれよ!!」
銀行があれば、どれだけ金を稼ごうが全く憂いはない。欲しい時に欲しいだけの金を引き出せば、それこそ本当に宵越しの銭を持たずに日ごろ好きなだけ遊んで暮らせるというものだ。
「うんむ、でも銀行はそれなりの身分にならにゃ取引できんぞい?」
「え…?普通にキャッシュカードで自動ATMで引き出せるんじゃないの?」
「は?…きゃっしゅ…相変わらずお前さんが何を言っているのかさっぱりわからぬが……そもそも金貨数枚単位で引き落としなど出来るはずもなかろうて。銀行はそれこそ莫大な金額を預ける場合のみ機能するところ。そんな手軽に利用できるところじゃないわい」
「・・・・・・じゃあ、俺の・・・お金は…・・・・・・」
「お前さんが、本当に立派になったとき、その時こそワシが保証人としてお金を引き出させてやるわい。もっともその時にはこのような立派な豪邸を持ち、金をしっかり守れるだけの環境が整った後になるがのう」
気のせいか、いつもよりも朗らかに微笑むナジーム爺の笑顔が、その時は悪魔とも天使とも見えた。いや、あれは明らかに悪魔の笑み…そして、俺の金…その袋はジャービルの手に渡り、そのままドアの奥へと消えていく‥‥。
「俺の・・・俺の金ちょっとだけでもいいからくださあああい!!!!!」
俺は、そのあまりにも遠ざかる己の財産を前に、届かない手を必死に伸ばす事しか出来ず泣いた。
この世界で生まれてここまで泣いたのは、おそらく後にも先にもこれが初めてだった。




