苦しさと楽しさ 1
その後しばらく退屈な時間を持て余しながら、彼はその時間の講義を終えた。ノートに書かれた講義内容と落書きを見直した後、彼は使用した筆記用具と共にノートを荷物の中へと放り込む。無論それによるプリントのシワはお約束なのだが、どうやらその辺りは彼は気にしない様だ。
早々に出席表を出し、彼は部屋を後にした。
『えーっと、次は確か・・・生物学か。 となると、分棟か。』
廊下を歩きながら彼は携帯を取り出し、次の講義は何かと確認していた。
毎週毎に組まれたカリキュラムは自身が受けたい講義で決まっているため、基本的に周りに合わせない限り自身で確認をしなければならない。ましてや講義によっては部屋が不定の場合もゼロではなく、場合によっては部屋そのものの場所の確認をしなくてはならない場合もある。
とはいえ、その都度部屋の変更は彼の手元にある携帯電話に入るため、その辺は気にしていない様だった。
「・・・次は誰描こうかなー・・・ ・・・?」
「でさー、その彼女がさー」
「えーっ、うっそーぉ?」
「まっじでー? あっりえなーいっ」
「ガチなんだって、コレが。」
『うわっ、面倒なのが居る・・・』
移動する際に通っていた通路の先で、彼はある集団を目にした。そこには軽く部屋前でたむろする男女達の姿があり、どうやら何かの話題で盛り上がっている様子を見せていた。しかし彼からしたらあまり好ましくない光景らしく、すぐに視線を別へと追いやり、歩調をほんの少しだけ早め通過しようとした。
すると、
「・・・ぁっ、出た出た。」
「まーた会っちゃったぁー ツいてなーい。」
「ほーんっと、目障りな奴。」
『・・・』
通り過ぎた彼の耳に入るか入らないかの声量で、集団はひそひそとやり取りを交わしていた。先ほどまで盛り上がっていた話題とは関係なく、通り過ぎようとした彼を見て会話を交わす。無論、それが聞こえようが聞こえまいが彼等には関係なく、そう話す事に快感を覚えているのかもしれない。
独りの相手に対し、集団的に行う陰口。反論すれば煙たがり、反論しなければさらに面白そうに話し出す。
エスカレートさせない様にするにはどうしたら良いのかと、かえって考えたくなってしまうかもしれない程に。彼は校内で、いじめに会っているのだ。
『・・・』
「ぁっ、あそこに居る狐よ。 さっきの話に出てきたのって。」
『うるさい・・・』
「へぇー マジで辛気臭いんだな。」
『うるさい・・・』
「あっりえなーい。 アレで医学を専攻してるんでしょ。 勤勉じゃなさそー」
『うるさい・・・っ』
「その内、医療ミス溶かして訴えられるタイプだぜ。 あれって。」
『うるさい・・・!』
「本当、早く消えて欲しいわ。 目障りなんだから。」
『うるさい・・・!!!』
初めの集団のやり取りが火種になったのか、彼を見てひそひそと話す声が次々とやってきた。皆初めと同じで、声量がどんなに大きかろうと小さかろうと気にせず話し、聞こえた際の反応がどんなものなのかを楽しんでいた。だが初めから反応する気配を見せないシップスを見てか、相手によっては不機嫌そうに再び愚痴をこぼす事も少なくない。
『俺はお前等の・・・玩具じゃねえんだよ・・・!!』
そんな言葉を聞かされながらも、彼は廊下を歩き続け心の中で叫んでいた。
誰かに何かを言ったとしても、周りに頼っても、解決策を見出してはくれない。過去から続く虐めは限りなくエンドレスに続き、彼が小学校の頃からその被害を受け続けてきた。それでも誰かに助けを求めたくて手を差し伸べても、それが全ての成功のカギになった事は無い。
何度も何度も先延ばしされたその解決策は、気付けば彼が今の年になっても代わり映えする事は無かった。誰も彼のためにと、立ち上がってくれる事は無かったのだ。
ゆえに、彼は周りにそうしてもらいたい気持ちを捨ててしまったのかもしれない。
周りにこれ以上迷惑かけたくない、自分で解決できることが必ずある。 と。
『・・・平気さ。 講義が終わったら、さっさとここから出て行けばいいんだ。 そうすれば、こんな下らない発言を耳にしなくて済む。 そうさ、そうさっ』
その後も歩くたびに付きまとう耳障りな言葉を聞き流し、彼は心の中で自身を励まし、部屋へと向かった。
そこでは次の講義で行われる『生物学』の準備が行われており、担当となる講師がいそいそと支度を進めていた。軽く入ってきたシップスに対し挨拶をする所を視ると、周りに対し挨拶を大切にする傾向があるのかもしれない。先ほどまでの不愉快な気分が彼の心を蝕む中、彼は挨拶に対し軽く返事をし、席へと付いた。
「・・・ハァ。 精神的に来そう・・・」
「シップー」
「んぁ?」
半ば苦し紛れの発言が口から零れる中、シップスは自身を呼ぶ声を耳にした。軽く疲れきったかの様な返事をしながら、彼は誰がやって来たのだろうかと首を動かし、声の主を探した。するとそこには、緑色のジャージに身を包んだ小柄な狐の青年が駆けよって来ていた。
「うっすっ! 早いねー」
「おぅ、まあな。 ・・・ってかソニルス、お前またジャージかよ。」
彼の元にやって来たのは、顔馴染みの友人である『ソニルス』だった。シップスよりも年下の彼は同じくこの区域の学校に通っており、少し年下の為か同じ学区内で勉強をしている。そのため、彼の事は先輩であり友達の仲なのだ。
「良いっしょ? 新しく買ったんだよー、ちょいブランド品っ」
「ブランドぉー?」
他愛もない話題に花を咲かせながら、彼は身体を起こし彼の身に纏うジャージのロゴを見た。するとそこには見慣れないブランドの文字とロゴが縫い合わされており、どうやら彼の知らない銘柄の様だった。
「・・・何、それ。」
「えーっ、最近機能性が売れてるっていうあのジャージだよー? 『ウニクロ』の。」
「それ絶対『ユニ〇ロ』だろ。 ウニじゃなくて。」
「そうとも言うかもしれないっ!」
「・・・」
とはいえ、どうやら馴染みあるブランドのパチモンの様だった。半ば下らない話ではある物の、今のシップスにとってちょっとした憩いのやり取りの様にも感じていた。
先ほどまで嫌味たらしい発言を何度も耳にしていたためか、軽く精神的に疲れを感じている。半分次の講義で眠ってしまいそうな疲労感を感じていたため、こんな些細な会話でもなんとなく楽しく感じてしまうのだ。相手がどう思ってそんな話題を振って来たのかは解らないが、彼は少しだけ笑顔を取り戻していた。
「ってかさー、生物学って結構おもしろくない? 雄とか雌の身体とか出て来るし。」
「ぁー、それは同感だなー ただの講義のはずなのに、妙ーに面白いっつーか・・・」
「普通に同人誌とかに出てきそうな感じの絵が、黒板で混浴の如く成るんだもんな。」
「うわー めっちゃうらやましー 混浴とかマジで。」
「俺は普通でもいっけどねん。」
とはいえ、まだまだ盛りの若人のやり取りには変わりないのかもしれない。男の子らしいちょっと下ネタ交じりのやり取りが、なんとなく彼等の心を潤わせていくのだった。




