第6話 お高いですよ
128,000円。
手元のスマホ画面に表示された「予約確定」の最終決済ボタンを前に、俺の指先はピタリと止まっていた。
「ひええぇぇ……! なになに、拓海、その画面の数字は何!? じゅうにまん……はちせんえん!? 人間界のパソコンが丸ごと一式買えちゃう金額じゃない!!」
横から画面を覗き込んできたアステリアが、目を丸くして金切り声をあげる。
「……完全変形仕様、全高40センチ超、ダイキャスト使用率80%越えの超合金『DX大魔神ヴァルガイザー・グランドマスターズ』だ」
「だからって12万8000円は狂気の沙汰よ!? あなた、この前も半月分の給料飛ばして特製メッキ版買ってたじゃない! うちの食費、今月ずっと徳用焼きそばパックなのよ!?」
アステリアの言いたいこともわかる。
ハイエンド向けの完全変形玩具とはいえ、もはや家電や最新PCと肩を並べる価格帯だ。一昔前の超合金の相場から見ても、正気を疑うプライスラインである。
だが、コレクターの魂が俺の背中を全力で押してくる。
「分かってないな、アステリア。差し替え無しの完全変形機構をこのダイキャストの重量感で実現しつつ、関節のクリック保持力を極限まで高めるための開発コストだ。これを『高い』と切り捨てるのは、設計者の血と汗と涙に対する冒涜だぞ」
「冒涜とか言われても! 12万8000円あったら、天界の高級スウィーツが何箱買えると思って……!」
「お前の菓子代と一緒に進捗率を計算するな! いいか、予約を逃せば転売屋のプレ値で20万オーバーだ。今、定価で確実に押さえるのが最も合理的なリスクヘッジなんだよ!」
熱弁を振るう俺を、アステリアは「このオタク、もう手遅れだ……」という哀れみの目で見つめてくる。
「……で、押すの? その決済ボタン」
「……っ!」
強気な口調とは裏腹に、俺の親指は決済ボタンの上でミリ単位の微振動を繰り返していた。
PC並みの価格という現実の壁が、土壇場で俺の理性をギリギリと削り取っていく。
「ちょっと、指が生まれたての小鹿みたいに震えてるわよ」
「うるさい! 128,000円という数字の持つ『重み』と戦っているんだ! 押し入れの金と銀の自壊リスクを回避した俺の判断力が、今まさに試されている……!」
我が家の狭いワンルームで、30歳サラリーマンの給料の限界突破をかけた無言の攻防(葛藤)は、夜遅くまで続くのだった。
「これ……これをお供え物として私に捧げてくれたら、ワンチャンいけるかもしれないわよ……!」
我が家のポンコツ女神アステリアが、おずおずと差し出してきたのは——先ほど俺が「PC並みの価格」だと頭を抱えていた、128,000円の『DX大魔神ヴァルガイザー・グランドマスターズ』の予約画面だった。
「……は?」
「だから! 天界のルールではね、『人間からの極めて価値の高い捧げ物(奉納品)』を受け取ることで、下級神の神力が一時的に跳ね上がる仕組みがあるのよ!」
アステリアは興奮気味に羽衣を揺らし、目を輝かせながら鼻息を荒くする。
「この12万8000円の超合金をあなたが買って、私に『お供え物』として捧げるでしょ? そうすれば、私の神力が一時的に覚醒して、上級神の帰還禁止判決を力技で突破する『裏口ゲート』を開けられるかもしれないの!」
「……ほう」
「でしょう!? これなら私のお供え物にもなるし、私も天界に帰れて、あなたも無駄な12万8000円を払わずに済む……ううん、天界に帰れば私、神様パワーであなたに幸運でも何でも授けてあげるわよ!」
ドヤ顔で胸を張るアステリア。一見すると、非常に理にかなった「神様への奉納」という解決策に見える。
俺は静かに眼鏡の枠を押し上げ、冷徹なコレクターの眼差しで彼女を見つめた。
「質問が二つある」
「な、なに? なんでも聞いてちょうだい!」
「一つ。その『裏口ゲート』とやらは、100%確実に成功するのか?」
「えっ……あー、まあ、7割……いや、5割くらい? 失敗したら神力が暴走して、お供え物は次元の狭間に消えるかもだけど……」
「却下だ」
即答する俺に、アステリアが「えぇぇ!?」と声を裏返した。
「そして二つ目だ。仮に成功したとして……俺が買った128,000円のヴァルガイザーは、奉納品としてお前と一緒に天界へ持っていかれるわけだな?」
「そ、そりゃあお供え物なんだから、神様である私の所有物として天界の宝物庫に保管されるわよ!」
「……お前、俺の金を128,000円使わせて、俺の手元に完全変形ヴァルガイザーが残らないという最悪のシナリオを提案している自覚はあるか?」
「あっ」
アステリアの動きがピタリと止まる。
「俺が欲しいのは『自室の棚に飾る完全変形ヴァルガイザー』であって、お前の帰還チケット代ではない。次元の狭間に消えるリスクを冒し、なおかつ自分の手元に残らない12万8000円のお供え物など、投資対効果が劣悪すぎる」
「ケチ! オタクのケチ! 私の帰還より40センチの超合金ロボの方が大事だっていうの!?」
「当たり前だ。ロボは嘘をつかないが、お前は5割の確率で爆死する」
「ひどい言い草ーーーっ!!」
俺はアステリアの抗議を完全にスルーし、スマホの画面に視線を戻した。
決済ボタンの上で震えていた指に、迷いはもうない。
【予約を確定する】
ポチッ。
「あ……押した……! 本当に12万8000円押したわこの人……!」
「これで半年後、俺の棚に最高の技術の結晶が届く」
俺は満足げに頷くと、頭を抱えて崩れ落ちるアステリアの頭に、いつものように徳用焼きそばパックの袋をポンと乗せた。
「お前に買ってやるお供え物は、スーパーのタイムセールで買ったキャベツマシマシの焼きそばで十分だ。ほら、お湯を沸かせ、アステリア」
「神様のお供え物が焼きそばってどんな宗教よぉぉぉ……!!」




