第4章:張り込みと、クールな先輩の鉄槌
ドンドン、ドンドンッ!!
薄い鉄扉が、ひしゃげるのではないかというほどの力で叩かれる。
狂気すら感じるその乱暴な音に、澪は悲鳴を上げそうになる口を両手で必死に塞いだ。
「お姉ちゃん? 誰か来たの?」
脱衣所から、何も知らない柚葉の無邪気な声が響く。
「ゆ、柚葉はそのまま! 絶対に出てきちゃ駄目だからね!」
声を震わせながら答え、澪は息を殺して玄関へと向かった。
冷たいドアスコープに恐る恐る目を近づける。
魚眼レンズ越しの歪んだ視界。
そこに立っていたのは、端正な顔をどす黒い怒りで歪ませた、白鳥蓮だった。
「澪、いるんだろ。開けてよ。俺の大切な所有物が、勝手に俺をブロックするなんて許されるわけないよね?」
甘く、しかし底冷えするような声がドア越しに響く。
澪はガチガチと震えながら、後ずさった。
すると、蓮は忌々しげに舌打ちをし、ポケットからチャラリと金属の束を取り出した。
「開けないなら、こっちから入るよ」
「えっ……嘘……」
カチャリ、と鍵穴に何かが差し込まれる音がした。
合鍵だ。
澪が渡したわけではない。いつの間にか、バッグを漁られた時か何かに、勝手にコピーを作られていたのだ。
ガチャリ、と無情にも鍵が開く音が響き、ドアノブがゆっくりと回り始めた――。
「――警察の方。この男です」
不意に、外から凛とした冷ややかな声が響いた。
回っていたドアノブが、ピタリと止まる。
「え?」
澪が再びドアスコープを覗き込むと、そこには驚愕に目を見開く蓮と、彼を取り囲む二人の警察官、そして――
腕を組み、冷ややかな視線を見下ろす神崎涼子の姿があった。
「な、涼子先輩……!? どうしてここに……!」
「あんたの愛の巣の近くで張り込んでたのよ。別れ話を切り出されたモラハラ男がどう動くか、だいたい予想はついてたからね」
涼子はふっと冷たく笑い、警察官へと視線を向けた。
「この男です。以前から私の後輩に付き纏い、GPSで監視し、ストーカー行為を繰り返しているのは」
「ちょっと待ってください! 誤解です、俺たちは恋人同士で、ただの痴話喧嘩で……!」
蓮は慌てて完璧な好青年の仮面を被り、必死に取り繕おうとする。
しかし、涼子の氷のような一瞥がそれを遮った。
「優秀な彼氏サマが、なんで勝手に作った合鍵のコピーなんて握りしめてんの? 気持ち悪いから近寄らないでくれる?」
「っ……!」
涼子の容赦のない正論と、警察官たちの厳しい視線に晒され、蓮の顔からさぁっと血の気が引いていくのが見えた。
「白鳥さんですね。署で詳しくお話を聞かせてもらえますか。合鍵の件も、住居侵入未遂になる可能性がありますからね」
「ちっ……がう、俺はただ、彼女を正しく教育してやろうと……!」
「言い訳は署で聞きます。さあ、同行を」
近隣の住人たちが騒ぎを聞きつけてドアの隙間からこちらを窺い始めている。
世間体と体面を何よりも気にする白鳥家の人間である蓮にとって、これ以上の騒ぎは致命的だった。
「…………分かりました。行きます」
蓮は屈辱に唇を噛み切りそうな表情で、咄嗟に合鍵をポケットにねじ込むと、警察官と共にその場を離れていった。
警察はこれを痴話喧嘩の延長と判断したのか、所持品の確認にまで踏み込まなかった。
遠ざかる足音を確認してから、澪は震える手でドアを開けた。
「涼子先輩……!」
「全く、ギリギリだったじゃない。私が渡したメモの番号、早くかけなさいよ」
呆れたように言いながらも、涼子の瞳には確かな安堵が浮かんでいた。
澪の目から、せき止めていた涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「ごめんなさい、私……スマホをブロックするのに必死で……本当に、ありがとうございます……!」
「まあいいわ。とりあえず、これで少しは大人しくなるはずよ。今日はもう、妹さんとゆっくり休みなさい。鍵はチェーンもかけてね」
「はい……!」
警察の介入と、涼子という強力な防波堤。
初めて蓮の思い通りにならなかったという事実が、澪にこれ以上ない安心感を与えていた。
――だが、甘かった。
アパートから少し離れた路地裏。
警察官に「ただの痴話喧嘩で、もう二度と近づかない」と泣き落としのような嘘八百を並べ、なんとか注意だけで解放された蓮は、夜の闇の中で立ち尽していた。
「……殺してやる」
完璧な仮面は完全に剥がれ落ち、そこにあるのは己の支配を拒絶された狂気と執着だけだった。
蓮は表通りから帰るフリをして踵を返すと、アパートの裏手に回り込んだ。
そして、暗く冷たい裏階段の死角に身を潜める。
「俺に恥をかかせた罰だ。澪、お前が一番大切にしているものを、メチャクチャに壊してやる……」
毒蛇のような瞳が、澪の部屋の窓をじっと見上げていた。
夜は、まだ終わっていなかった。




