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第3章:妹の来訪と、論理的(サイコパス)な決断


週末の夜。

澪は自分の六畳一間のアパートで、せっせと部屋の片付けをしていた。


明日、高校三年生の妹・柚葉ゆずはが泊まりに来るのだ。

大学受験の相談と、息抜きを兼ねたささやかな姉妹の時間。

澪にとって、柚葉はどんな苦労をしてでも守り抜きたい、たった一つの希望だった。


ふと、テーブルに置いたスマートフォンが震えた。

画面に『白鳥蓮』の名前が光る。


涼子先輩から「GPSで監視されている」と警告されて以来、蓮からの連絡は以前にも増して恐怖の対象となっていた。

だが、無視すれば家まで押しかけてくるかもしれない。

澪は震える指で通話ボタンを押した。


「……もしもし」


『あ、澪? 明日の朝十時、駅前に迎えに行くから準備しておいて』


挨拶もなしに、蓮は唐突にそう告げた。


「え……迎えって、どこに……?」


『箱根だよ。露天風呂付きの高級旅館の予約が取れたんだ。君みたいな安い環境に慣れきった無知な子には、若いうちに一流のサービスを体験させて、教育してあげないとね』


当たり前のように語る蓮の声に、澪は耳を疑った。


「ま、待ってください。今週末は柚葉が泊まりに来るって、前から……!」


『あぁ、あの妹?』


蓮は、ひどくつまらなそうに鼻で笑った。


『妹? そんなのどうでもいいだろ。俺との温泉旅行と、妹のただの散歩。優先順位は論理的に考えて俺だよね?』


「散歩じゃありません! 柚葉の大切な進路の相談で……!」


『澪。口答えは許さないよ』


電話越しの空気が、急激に氷点下まで下がるのを感じた。


『君を「いい女」に育ててやってる管理者の俺に逆らうなんて、許可するわけないよね? 今すぐ妹に断りの電話を入れなさい。君は俺の所有物なんだから、俺のスケジュールに合わせるのが当然だ』


――プツン、と。


澪の中で、張り詰めていた何かの糸が切れる音がした。


今まで、どんな理不尽な暴言も、束縛も、自分さえ我慢すればいいと耐えてきた。

彼を怒らせないように、波風を立てないように必死に生きてきた。


けれど。


私の大切な妹を、「どうでもいい」と切り捨てるこの男を、これ以上許すことはできない。


「……頭が、おかしい」


『ん? 何か言った?』


「あなたはおかしい! 私の大切なものを全部否定して、自分の思い通りに操りたいだけじゃないですか!」


『……澪? 君、自分が誰に向かって口を利いてるのか分かってるの?』


低く凄む蓮の声。

以前の澪なら、ここで震え上がって謝罪していただろう。

だが、今の彼女の心には、確かな怒りの火が灯っていた。


「別れます。もう二度と、私に近づかないで」


『は……? ちょっと待て、澪、お前――』


澪は通話を強制的に切った。


心臓が早鐘のように鳴っている。

震える手で、着信拒否の操作を行う。そのままLINEを開き、蓮のアカウントをブロックし、削除した。


すべての繋がりを断ち切った瞬間、肺に新鮮な空気が流れ込んでくるのを感じた。


「……終わった。終わったんだ」


その夜は、鍵の施錠を何度も確認し、怯えながら朝を待った。


だが、翌朝。

玄関のチャイムが鳴り、ドアスコープから覗き込んだ先に、見慣れた笑顔を見つけた時、澪の不安は吹き飛んだ。


「お姉ちゃん!」


「柚葉……!」


長く綺麗な黒髪を揺らして、柚葉が飛び込んでくる。

澪は妹を強く抱きしめた。

彼女の温もりが、冷え切っていた澪の心を溶かしていく。


お昼は柚葉のリクエストで手作りのオムライスを食べ、午後は志望校のパンフレットを見ながら、遅くまで語り合った。


久しぶりの、心から笑える、穏やかな時間。


やっぱり、別れて正解だったのだ。

これからは、柚葉と二人で、平穏に生きていける。


そう安堵した、夜のことだった。


――ピコン。


柚葉がお風呂に入っている最中、テーブルの上の澪のスマートフォンが短い通知音を鳴らした。


画面を見ると、ショートメッセージ(SMS)が届いている。

登録されていない、見知らぬ番号からだった。


『妹の髪、君に似て綺麗だね』


「え……?」


澪は息を呑んだ。

全身の血の気が一気に引いていく。


震える指でメッセージを開くと、そこにはもう一文、短い言葉が添えられていた。


『今から挨拶に行くよ』


ドンドン、ドンドンッ!!


その瞬間、アパートの薄い鉄扉が、外から乱暴に叩かれた。

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