超速戦騎(3)
じっと、机上の儀式盤へ視線が注がれる。
「……ためしに魔力を通しても?」
「ええもちろん。」
向かいに座った初老の男性の腕から、なだらかに魔力が流入していく。その魔力操作は、名家の名に恥じないだけの腕を感じさせる。
「うむ、想像以上の出来だ。ロン氏の推薦を貰ってはいたが、まさかここまでうまくやるとは驚いた。よし、約束通り追加料金を払おう。」
「ありがとうございます。」
自宅兼三日月魔道具店別館、客間。数日掛かりで修理した儀式盤の引き渡しはつつがなく行われた。
「――こちらといたしましても、ヴァールハイト様直々の依頼とは驚きました。それにしても、わざわざこのようなところまでお越しにならずとも、必要とあらば私どもの方から伺いましたものを。」
「ふ、我らは旧貴族なぞとは呼ばれておるが、その実吹けば飛ぶようないち官僚に過ぎぬ。公務ならいざ知らず、私事に使いを立てたり相手を呼びつけたりするような真似は好まんのでな。」
「ははは、ご謙遜を。」
(吹けば飛ぶ……ねえ。どの口で言ってるのやら。)
そう言ってのけた男の顔と、胸にずらりと並ぶ戦功勲章を見やる。
老境に差し掛かってなお力強い顔立ちと白々と生い茂った髭は、精悍ながらどこか柔らかみがあり、されど隙は無い。がっしりとした体格に満ちる風格も、上品でありながら武官特有の野性味を感じさせ、男が文武共に秀でた力を持つことを示している。
レオン・ヴァールハイト。元戦術魔術師統括であると同時に、一族で見れば魔術学院最高執行機関の七星に劣らぬ影響力を有する、ヴァールハイト家の前当主。当主の座こそ現当主に譲ったものの、その力はいまだに軍閥では一線を退いていないとか。
旧王国時代末期、たしかに外様貴族であったヴァールハイト家は離散の危機にあったらしいが、今や優秀な武官や文官を数多く輩出する超名門であり、「吹けば飛ぶ」ような存在では決してない。
「何よりこちらこそ驚いた。ロン氏の友人であり弟子とは聞いていたが、まさかあの噂に名高い超速戦騎だったとは。」
「はは――光栄ですが、冒険者の方はもう廃業しておりまして。」
昔の小恥ずかしい二つ名に、思わず乾いた笑いが漏れる。
「そうか?それは惜しいものだ。戦士でありながら単騎での高い殲滅能力を持ち、天馬のごとき超高速で戦場を駆け抜けた猛者。超速戦騎といえば正規武官でも知らぬ者はおらなんだ。私もあと二十年、いや十年若ければ競いたかったものよ。人の上に立つと余計なしがらみも増えて――おっと、これは失言だったかな?」
「いえいえ、あなたほどのお方が言うのであれば誰も否定はしないでしょう。」
「ふふ、すまんな。ボケた老人の戯言だと思って聞き流してくれ。」
「ははは……」
「だがさて……これほどの腕を持っておきながら、なぜ道具屋などという立場に身を置いておる?恥ずかしながらあれほどの歪み、作り直すより直す方が難しいとすら思った。君も製作専門の職人組合に身を置いて働けば、もっと良い仕事ができるのではないかね?老骨の身でよければ、抱え上げてうちで働いても――」
「ありがたいお言葉ですが、うちは先々代からの魔道具店ですので。」
「そうか、それは失礼なことを聞いたな。無礼の詫びだ、色を付けておこう。」
ヴァールハイト氏はそう言って、懐から革の財布を取り出し、無造作に大金貨を三枚机の上に置いた。
「いや、その……ヴァールハイト様、これは……」
「足りんかね?ならもう一枚――」
「いえ多すぎます!私めとしましても十分な仕事をしたつもりですが、ここまでは受け取れません。」
大金貨一枚は店の二月分の利益に相当する。いくら大儀式盤の修理が大仕事だったとはいえ、これほどの額はそう易々とは受け取れない。
これだけの大金を小切手ではなく貨幣でやりとりするのは、旧貴族の威光を示す一環なのだろうか。
「ふむ……ま、取っておいてくれ。私の孫が、君の妻に無礼を働いたゆえな。」
「妻?私は独身ですが……」
「おや?アリスとかいう魔族の娘がこの店で働いていると聞いたのだが、違うのかね?」
「いえ違います、私は彼女の師父で――」
「見る目があるではないか、男よ。」
目線の先、扉の前に立っていたのは、茶を運んできたアリスだった。
「あ、アリス――」
「これはこれは、噂に違わず美人な娘さんだ。私はレオン・ヴァールハイト――いやはや見れば見るほど、三十、いや二十若ければ私も熱を上げていたかもな。孫に火が付いたのも頷ける。」
「アリスと呼んでくれ。訳あって家名を名乗れぬ無礼、お許しいただきたい。」
「羨ましいですな、ミカヅキ殿。」
「いや、私と彼女とはそういう関係では……」
「『君を守る』と言っておったではないか?あれは嘘だったのか?」
「いや嘘ではないけど、あれは師父としてであって、そういう意味では……ではなく、ご無礼をお許しくださいヴァールハイト様。彼女はこの街に来て日が浅いものでして……」
師父。学生の居候先で保護者の代理となる立場の人間であり、恋人や夫婦のようなものでは決してない……のだが。
「畏まらせずともよい。私のいた軍閥では力こそが全てだった、それが自然な社会の在り方だとも私は考えている。そして彼女や――君もまた我儘を通せるだけの力を持っているはずだ。無理に平身低頭される方が気持ち悪いわ。ところで、妻でないというのなら私の孫に嫁ぐ気は無いかね、アリス嬢?」
「ありがたい申し出だが、会ったこともない男の嫁になど――いや、ヴァールハイト?」
「知ってるのか?」
「うむ。レクスとかいう男と、学院の入学試験にて力比べをな。強かったぞ。」
「ふむ……どうかねアリス嬢、ひとつ私と賭けをしてみないかな?」
「ほう、賭けとな?」
「ミカヅキくんとうちの孫を戦わせて、勝った方が君を一日好きにできる、というのは。妻云々は考えておいてほしいが、一度断られた以上、改めて無理強いはしない。だがうちの可愛い孫に今一度好機を与えてやってはもらえんか?」
「それで、我にどんな利益があると?」
「利益などない。ただ君の師父は昔かなり腕を鳴らした男でね。君も魔族、そして戦術科の門を叩いた一人だ。ならそれを見たいとは思わんかね?無論私もその一人なのだが、聞くところによるとどうやら彼は戦うのが嫌いなようでね。君の頼みなら、と思った次第だ。」
「我をダシにする、と。」
「言い方を選ばなければその通りだ。私は欲張りでね。一石二鳥の好機があるなら試さずにはいられない。」
老人はにこやかに言ってのける。
「いや、その……いくらヴァ―ルハイト様のご申し出といたしましても、わた――」
「たしかに、見たくないと言えば嘘になるな。」
「ちょっと!?」
「ほう。」
「――だが、我もこの男が大事でな。負けるとは思わんが、私欲のために無理強いするような真似は好まん。」
「……そうか、それは残念だ。」
一転、その表情が苦々しく歪む。無理強いはしないとの言葉に二言は無いのだろうが、だからと言って思うところがなくなる、というわけでもないはずだ。
「……わかりました。」
「な!?」
「ほう?」
「アリス、ありがとう、そしてすまない――ヴァールハイト様、その勝負、私個人がお受けいたしましょう。私めが勝てば、代わりに彼女を諦めてください。」
「ふむ、私が勝てば?」
「今回の修理代金はすべて返金いたしましょう。付け加えて、どのような命令でもこの私めが全力をもって遂行致します。新たな魔道具の製作でも、修理でも……もちろん戦でも。彼女をと言うのであれば、まず私を。」
「くくっ、はははは!!言うではないか、それでこそ男よ!!あやうく失望するところだったわ!アリス嬢、どうやら君の見る目は間違っていないようだ。」




