進路
進路面談は 放課後に行われた
職員室の隣の小さな部屋で
一人ずつ順番に呼ばれる
廊下には 何人かが椅子に座って待っていた
静かな時間だった
誰もあまり話さない
「水谷」
名前を呼ばれる
あゆみは立ち上がり 扉をノックした
「どうぞ」
中に入る
担任の先生が 机の向こうに座っていた
窓の外には 少しだけ海が見える
「座って」
言われて 椅子に座る
机の上には 進路希望の紙が置かれていた
まだ ほとんど何も書いていない
「総体も文化祭もお疲れさんやったな」
先生が先にそう言った
「あ はい」
あゆみは軽く頭を下げる
それ以上は続かなかった
少しだけ間が空く
先生は紙に目を落とし
それから顔を上げた
「で 進路なんやけど」
穏やかな声だった
急かすような感じはない
「まだ 決めてないんやな」
「はい」
あゆみは頷く
「進学か 就職か」
先生は言葉を区切る
「どっちか考えている?」
あゆみは少しだけ考えた
「……どっちも まだ」
それが 正直だった
先生は少しだけ頷く
否定も 驚きもしない
ただ そのまま受け取る
「島に残るか 出るかも含めてやな」
その言葉に
あゆみは少しだけ視線を落とした
「徹子はもう決めてるし 渚もやろ」
「はい」
あゆみは小さく答える
「焦らんでもええけどな」
先生は続ける
「でも 何も考えんまま時間だけ過ぎるのは
もったいないで」
その言葉は 強くはなかった
ただ 残った
あゆみは窓の外を見た
海が少しだけ光っている
風は弱層だった
「何か 気になっていることあるか?」
先生が聞く
あゆみは少し考えた
言葉にしようとして 上手くまとまらない
「……海の仕事 って」
ぽつりとでた
「うん」
先生はそれを待つように 静かに頷く
「観光とか……そういうの」
それ以上は続かなかった
自分でも はっきりしていない
先生は少しだけ考える様にしてから言った
「あるで」
短く それだけだった
「地元でも出来るし 外でもある」
続けていう
「どっちも みてみたらええ」
あゆみはその言葉を聞いていた
答えにはなっていない
でも 否定もされていない
「直ぐに決めんでもええ」
先生は言う
「でも 何か一つでも動いてみたらええ」
あゆみは小さく頷いた
それ以上の言葉は出てこなかった
「今日は そんなとこでええか」
「はい」
椅子から立ち上がる
扉を開けて廊下に出る
殺気と同じ静けさがあった
誰かが名前を呼ばれる
また一人 部屋に入っていく
あゆみは少しだけその場に立っていた
さっきの言葉を思い返す
動いてみたらええ
それが何かは まだ分からない
それでも
何もないわけではない気がした
あゆみはゆっくりと歩き出した
窓の外の海は 変わらずそこにあった
ある日
徹子は都会の鉄道会社に面接に行った
学校に求人票が来ていたからだ
放課後
教室に残っていたのは三人だけだった
窓の外は
もう少しで暗くなるところだった
「で どうやったん」
渚が机に肘をついたまま聞く
声はいつも通りだったが
少しだけ固かった
「まあ 普通」
徹子は鞄を机の上に置きながら答える
特に隠す様子もない
「普通って」
渚はそのまま続ける
「面接行ってきたんやろ」
「うん」
徹子は軽く頷く
あゆみは何も言わず
二人の間に立っていた
会話に入るタイミングが分からなかった
「いつ決めたん」
渚が聞く
少しだけ 声が低くなる
「ちょっと前」
「言ってなかったやん」
「別に いうっほどのことでもないし」
その言い方に渚の表情が少しだけ変わる
「……うち聞いてたで」
渚はゆっくり言う
「地元でなんかするって」
徹子は一瞬だけ黙る
それから 小さく息を吐いた
「変わっただけやん」
あっさりとした言い方だった
悪びれる様子もない
「変わったって……」
渚の言葉が途中で止まる
上手く続けられないようだった
「そんなん 別にええやろ」
徹子は机に寄りかかる
「まだ決まってるわけでもないし」
「そういうことちゃうやろ」
渚の声が少し強くなる
教室が静かになる
外の風の音が 少しだけ聞こえた
「……なんか急にやん」
渚は目を逸らしながら言う
「ずっと一緒におる思ってたのに」
その言葉は小さかった
責めてると言うより
こぼれたような感じだった
徹子は少しだけ黙る
それから視線を外した
あゆみは二人を見ていた
何方の言葉も分かる気がした
でも どちらにも立てなかった
「あゆみは?」
急に徹子が振る
あゆみは少しだけ驚く
言葉を探すが 直ぐには出てこない
「……まだ 決めていない」
それしか言えなかった
徹子は小さく笑う
「そやろな」
軽い言い方だった
渚は何も言わなかった
ただ机の上を見ていた
外は もう暗くなっていた
教室の電気だけが はっきりと点いている
「帰るわ」
徹子が先に言う
鞄を持ち そのまま 教室を出ていく
扉を締まる音が小さく響く
暫く二人だけが残った
「……あいつ あんなやったっけ」
渚がぽつりと言う
あゆみは答えなかった
分からなかった
ただ 何かが変わっていく気がした
それだけは はっきりしていた
教室に残ったのは
あゆみと渚の二人だけだった
外はすっかり暗くなっている
窓に映る教室の光が
少しだけぼやけて見えた
渚も暫く 何も言わなかった
机に置いた手を そのまま見ている
「……なんか へんやな」
ようやく ぽつりと言う
あゆみはその言葉を聞いていた
何も返さない
「別にでるんは ええと思うで」
渚は続ける
「うちも ずっとここにおるしかないとは
おもってへんし」
少しだけ間があく
「でも なんか……」
言葉が止まる
あゆみはゆっくり椅子に座り直した
言いたいことは分かる気がした
でも うまく形にならない
「急やったな」
あゆみが言う
それが一番近かった
「……うん」
渚が小さく頷く
「ずっと ここでやるんやと思ってた」
その声は 強くはなかった
ただ 少しだけ寂しそうだった
あゆみは窓の外を見る
暗くて 何も見えない
それでも 海の方向は分かる気がした
「渚は決めてるんやろ」
あゆみが言う
「うん」
迷いがない返事だった
「なんで?」
あゆみは聞く
責めるような意味はなかった
渚は少しだけ考える
「……なんでやろう」
それから 少しだけ笑う
「好きやからやと思う」
その言葉は 簡単だった
でも重かった
「忙しいし しんどいし」
渚は続ける
「楽ではないけどな」
「それでもええん?」
あゆみの声は 小さかった
「ええで」
渚は直ぐに答える
「なんか 分かるから」
それ以上は説明しなかった
あゆみはその言葉を聞いていた
分かる と言うのが何なのかは分からない
でも そこにある感じだけは伝わってくる
「あゆみは?」
渚が聞く
あゆみは少しだけ考える
「分からん」
正直だった
「海は好きやねんけど」
そこまで言って 言葉が止まる
「でも なんか違う気もする」
それも本当だった
渚はその言葉を聞いて 少しだけ頷く
「そんなんで ええんちゃう」
静かに言う
「無理に決めんでも」
教室の中に また静けさが戻る
遠くで 風の音がした
窓が僅かに揺れる
「なあ」
渚がもう一度言う
「うち ここでやるけど」
少しだけ間を置く
「別に あゆみも
そうせえとはおもってへんで」
あゆみはその言葉を聞いていた
「ただ 一緒やと思っていたから」
それだけだった
あゆみは小さく 息を吐いた
「……そっか」
それ以上は言わなかった
二人はしばらく そのまま座っていた
何かを決めるわけでもなく
ただ時間が過ぎていく
教室の電気が 少しだけ明るく感じられた
あゆみは 立ち上がる
「帰ろうか」
「うん」
渚も立ち上がる
並んで歩き出す
特に話はしなかった
校舎を出ると 空気が少し冷たかった
あゆみは隣を歩く渚をちらりと見る
変わっていないようで
少しだけ違って見えた
それでも 同じ場所を歩いていることには
変わりなかった
夜
あゆみは 一人でカヌーを水に浮かべた
音を立てないように ゆっくりと押し出す
足元が水に触れる
少し冷たかった
乗り込む
体重をかけると わずかに揺れる
その感覚は 昔から変わらなかった
パドルを水に入れる
静かに引く
音はほとんどしない
岸から少しだけ離れる
それ以上行かない
ちょうど 戻れる距離のままで止まる
パドルを止める
カヌーは ゆっくりと揺れるだけになる
あゆみは 空を見上げた
星が出ていた
はっきりとした光が いくつも浮かんでいる
動かないものと 少しだけ瞬くものがある
水面にもその光が映る
揺れに合わせて 形が崩れていく
あゆみは そのまま暫く動かなかった
何かを考えているようで
何も考えていないようだった
昼のことを思い出す
浜辺で見たカヌー
あの人の言葉
「誰でも乗れるしな」
あゆみは小さく息を吐く
手を少し動かすと カヌーが僅かに回る
向きが変わる
それだけだった
競い合う場所ではなかった
タイムも 順位も無い
それでもここにいる
それでいいのかは まだ分からない
でも 嫌ではなかった
水の上にいる感覚は ずっと同じだった
子供の頃も 今も
変わったのは 自分の方かもしれない
あゆみは もう一度空を見上げる
星はさっきと同じ場所にあった
動いているのか
止まっているのかは分からない
波が小さく当たる
カヌーがまたわずかに揺れる
あゆみはパドルを手に取る
少しだけ漕ぐ
また止める
その繰り返しを ゆっくりと続ける
何処かに向かうわけではなかった
ただ そこにいた
それで 今は十分な気がした




