師走
十二月の風は 少しだけ鋭かった
徹子は近所の
水産加工場でバイトをしていた
冷たい空気の中 殻付きの牡蠣を手に取る
ナイフを差し込み 開ける 外す 流す
単純な作業が 繰り返される
最初は上手くいかなかった
殻を割り 身を崩し 水をはねさせる
「焦らんでええ」
そう言われ ただ頷いた
やがて少しずつ分かってくる
力の入れ方
角度
速さ
手が止まらなくなる
開ける 外す 流す
その繰り返しの中で ふと思う
流れか
一つでも詰まれば 全体が滞る
無理すれば 崩れる
人の流れも 同じだ
あゆみの姿が 一瞬だけ浮かぶ
あちらは売る側
ここは その手前
つながっとる
ナイフを入れる
殻が 静かに開く
徹子は 次の一つに手を伸ばした
朝の空気がはっきりと冷たくなった
息を吐くと 白くなる
まだ暗い時間に 渚は外に出る
海は静かで
空気だけが張りつめているようだった
港のそばに置かれた箱の中に
殻付きの牡蠣が並んでいる
手袋をはめる
それでも 冷たさはすぐに伝わってくる
牡蠣を一つ持ち上げる
重みがある
殻の表面はざらついていて
手に引っ掛かる
水で軽く洗う
泥や小さな殻のかけらを落とす
その作業を 黙って繰り返す
指先の感覚が 少しずつ鈍くなる
それでも手を止めない
「それ今日出す分や」
後ろから声がする
「うん」
渚は短く答える
箱を運ぶ
足元に気をつけながら 民宿の中に入る
中は少し暖かい
湯気と 味噌の匂いが混ざっている
台所に並べる
数を確認し
足りない分を頭の中で組み立てる
「焼きどれくらい出す?」
「今日は多いと思う」
それだけのやり取りで 段取りが決まる
昼になると 客が増える
「牡蠣ありますか?」
「はい あります」
渚はそのまま動く
殻を並べ 火にかける
ぱちぱちと音がする
少しして 殻が開く
湯気と一緒に 匂いが立ち上がる
「熱いので気をつけてください」
皿に乗せてだす
客が箸を入れる
「美味い」
短い声が返ってくる
渚は軽く頷くだけで 次の準備に移る
注文は途切れない
洗い 焼き 運ぶ
同じ動きが続く
手は少しずつ荒れてくる
細かい傷に 塩がしみる
それでも 気にする様子はない
外に出ると冷たい風が当たる
手袋を外すと 指先が赤くなっていた
それを少しだけ見て またはめ直す
「次 お願い」
声がかかる
「はい」
渚は直ぐに中へ戻る
海はすぐそこにあった
でも 見る時間はなかった
それでも そこにあることは分かっていた
そのまま また手を動かす
同じ作業が 夜まで続く
特に何も思わない
ただ いつも通りやな と思うだけだった
海の駅の前に立つと 潮の匂いに混じって
違う香りがする
香ばしい匂い
火の匂い
あゆみは 少しだけ鼻を動かした
「……牡蠣や」
思わず口に出る
「お 分かるか」
奥から声が飛ぶ
顔を上げると
調理場の方で炭火があがっていた
網の上には殻付きの牡蠣
じゅう と音を立てている
「今日からやねん 出し始めたの」
以前世話になった職員が笑いながら言う
「冬はこれが強いからな」
あゆみは小さく頷いた
夏とは違う
人の流れも 空気も 全部変わっている
「ほな 今日から頼むで」
「はい」
あゆみは 軽く頭を下げた
カウンターに立つ
手の動きは 少し覚えている
けれど 完全ではない
「……あ 袋」
取り出すのが少し遅れる
「大丈夫 大丈夫」
横からフォローが入る
観光客が みかんの箱を手に取る
「これ 甘い?」
あゆみは一瞬だけ考えてから答える
「はい 今年は当たり年って聞いてます」
言いながら 自分でも少しだけ驚く
ちゃんと答えている
「ほな それ一つ」
「ありがとうございます」
袋に詰める手は まだ少しぎこちない
でも 止まらない
外では 牡蠣を焼く音が続いている
じゅう と弾ける音
冬の海の音に 少し似ている
「二つください」
「はい」
今度は 直ぐに動けた
皿をだし 数を確認し 手渡す
忙しさは夏ほどではない
けれど 途切れない
ゆっくりと 人が来る
ゆっくりと 仕事が回る
ふと 外を見る
海は少しだけ色が濃い
冬の海
静かで 冷たい
あゆみは 少しだけ息を吐いた
あの時とは違う
ここにいる理由が 違う
「……いけるかも」
小さく呟く
誰にも聞こえないくらいの声
その時
入口の方で 見覚えのある影が動いた
「よ」
軽く手を上げる
渚だった
「仕事中やな」
「うん」
あゆみは 少しだけ笑う
渚は店内を見渡す
「冬仕様やな」
「牡蠣 始まったって」
「匂いでわかる」
少し笑う
「忙しいか?」
「ぼちぼち」
「ええやん」
短いやり取り
渚は 外の海を見る
そして ぽつりという
「ちゃんと 回っとるな」
あゆみは その言葉を聞いて
少しだけ頷く
「……うん」
波は今日も同じ様に見える
けれど
同じではない
あゆみは カウンターに戻る
「いらっしゃいませ」
声が 前より少しだけ自然に出た
年の瀬
作業場の空気も少しだけ変わっていた
手の動きは もう迷わない
殻にナイフを入れる
開ける 外す 流す
流れは途切れない
「だいぶ速くなったな」
声がかかる
顔を上げると 現場の責任者が立っていた
「いえ まだです」
徹子は手を止めずに答える
「最初と全然ちゃうで」
軽く笑う
「無駄な動きが減っとる」
徹子は少しだけ頷く
自分でも分かっていた
力の入れ方も 魔の取り方も
もう体に入っている
「なあ」
責任者が 少し声を落とす
「卒業したら どうするんや」
徹子は 手を止めた
水の音だけが残る
「就職 決まってます」
はっきりと答える
「どこや?」
「鉄道会社です」
少しだけ 間
責任者が頷く
「そうか」
そのまま続ける
「……もし決まってへんかったらな」
徹子は 静かに顔を上げる
「うち来んか」
まっすぐな言葉だった
「手え ええ動きしとる」
「真面目やし」
「こういう仕事 向いとるで」
押し付ける感じではない
ただ 事実を置くような言い方
徹子は一度だけ視線を落とす
開きかけた殻が 手の中にある
少しだけ考える
ここでも……やれる
流れはある
仕事もある
続けることも 出来る
けれど
徹子は 顔を上げた
「……ありがとうございます」
丁寧に言う
「でも」
少しだけ 間を置く
「もう 決めているので」
それだけだった
責任者は 暫く徹子を見る
そして小さく頷く
「そうか」
それ以上は言わない
「まあ どこ行ってもやれるやろう」
軽く笑う
「はい」
徹子は答える
再び 手を動かす
ナイフを入れる
殻が 静かに開く
流れは続く
その中で自分は別の流れへ向かう
それを もう迷ってはいなかった




