第九十二話 『崩折れる』 (to fall down)
「御姉様? や、その前に、あんた、タマじゃないよね?!」
見た目はタマだ。その容姿は記憶にあるタマそのものだ。そんなにたくさん接した事があるわけじゃないけど、全く別人であるはずはない。そっくりさんとかなら知らないけど。むしろタマの御姉様って云ってくれた方が信じたわ!
「タマぁぁ? それがこの子のあだ名なの? センスないねぇ。あんた」
いちいち云い方が癇に障る。それに語尾がキモイ。こいつ。それにこいつの表情から明らかにわたしを見下しているとわかる。それを隠そうとしてない。というか、わざとそーいう表情をしてんじゃないの? そして、こいつのこの返答ではっきりとタマじゃない事がわかった。ゆっくりとハルバードの柄を握り直す。
「この子のあだ名だって? そう………やっぱりあんたタマじゃないのね。タマをどうしたの? 返答次第じゃ―――」
そのとき目の前のタマもどきの後ろからもう一人現れたので口を噤む。恐らくタマのルームメイトだと思うけど、ここは用心用心。
彼女は、タマもどきとわたしが口論してると思って心配になって視に来たようだ。
「あー、生き別れの妹が訪ねて来たんだ。ちょっと外で話て来るわ。」
タマもどきはルームメイトにそう云って靴を履き、扉を閉めた。
彼女は軽薄に笑って、
「あんた、聞きたい事があるんでしょ? ちょっとだけ付き合ってあげる。付いといで。」
彼女の声音が落ち着いた調子に変わり、先に立って廊下を進んで行った。何処へ行くつもりなのか? 油断しちゃいけない。こいつ、絶対信用出来ないし。私より少し高めの彼女の背中を睨みつけながら後に続いて寮の外へ出た。
人気のないところに二人で行く。辿り着いたのは小さな公園だった。もう陽も暮れてしばらく経っているせいか、中に人が居る気配は無い。辺りも街灯がちらほらとあるだけで、公園内はもうかなり薄暗くなっていた。
タマもどきは足を止めるとゆっくりと振り返った。
「で? 何が聞きたいかな?」
さっきまで見せていた嘲笑の様なものが表情から消え、今は此方を値踏みするかの様な眼差しを向けていた。自分が少し気圧されている事を自覚したけど、その事を相手に悟られたくないので、努めて平静に振る舞う事に気を配る。
「聞きたい事だらけで纏まんないわ。だからてきとーに聞くけど、まず、あんただれ? わたしの姉様ってなに? わたしに姉様なんて居ないよ。」
「まず先にそれを聞くのかぁ。まあいいわ。あんたが知らなくて当然なのかもね。や~っぱりぃ~わたしは居ない事になってたんだねぇ。死んだ事にすらなって無かったとか、まったく、わたしをどう思ってんだかっ!」
最後は吐き捨てる様に叫んだ。それは誰に向かっての言葉なのだろうか? すごく危ういものを感じた。この人は、今にも崩れそうだと、そう視える。それはそれとして、得体の知れない相手であることも確かだ。決して、警戒を解いたらダメだ。
「あんたさぁ、おとーさまの事、覚えてる? 覚えてないよねぇー。あんたが生まれる前には、もう居なかったしねぇー。生まれる前っていうのはぁー、受精する前ってことよーぅ。」
は? いまなんて云った? この女。それじゃ、どうやってわたしは生まれたと云うのだろうか? 気になる。しかし、こいつのペースに流されている気も充分にする。こうやって相手を撹乱するのが、こいつの手口かもしれない。それにしても、この女の憐れむ様な眼が癇に障った。身体を斜めに曲げて下から見上げているその態度。心の底から怒りの泡が沸き立ってくる。
「あんた馬鹿じゃないの? お父様居なくてなんでわたしが生まれんのよ?」
「まあ、それはいいわ。それ話してたら夜が明けちゃう。そんなに暇じゃないでしょ?」
よくない。よくないけど、聞くのも怖い。それに今大事なのはそこじゃないし。きっとこれはまやかしだ。こうやって有る事無い事云ってるだけに違いない。そう思い込むように自分に云い聞かせる。
さらに言葉を続けるタマもどき。
「おとーさまは、魂を研究してた。いえ、違うわ。不老不死の研究ね。肉体は滅んでも魂は不滅って奴? うけるぅー。」
「そんなことよりも、わたしは、なんであんたが姉様なのかって聞いたはずなんだけど? 答えになってない。」
彼女は、ははーんっと馬鹿にしたような息を吐いて、
「簡単よ。あんたとおとーさまが同じだからよ。だからあんたの御姉様なのよ。」
「お母様から何も聞いてないよ。わたし」
お母様からそんな話は聞いた事もない。お父様がわたしが物心付く前に死んだって話は聞かされた事あったけど、わたしにお姉様が居るなんて事は、今までその可能性を考えた事もなかった。
「そりゃーあの人は知らないでしょーねぇー。いやぁー知ってるかぁー。認めたくなかったんだろーねー。わたしの存在なんてぇ。恋敵ってーいうのかなぁー。あはは。ああ、あんたとはおかーさまが違うからねぇー。それにしても、死んだ事になってるもんだと思ってたのにぃー。居なかった事にされてるとは思わなかったわぁー。わたしぃー大ショックーーー」
イラ。
わたし、こいつの喋り方嫌い。いつの間にか、最初に部屋で会ったときの嫌らしい話し方に戻っていた。気が高ぶるとこんな風になっちゃう奴なのかな。
「それで満足したぁ?」
「別にあんたが姉様だろうがどうでもいいわ。」
ほんとにどうでもよかった。ただ、急に御姉様だとか云われたのでびっくりしただけだ。話を聞けば単に、異母姉妹だってだけじゃん。
「じゃーなんで聞いたのかしらー。あなたやっぱりばかーなのねぇー」
イライラ。
「タマ……じゃなかった。音戸をどうしたの? あんたまさか―――」
そう、それが一番聞かなきゃいけなかった事だ。こいつのペースに巻き込まれて、無駄に遠回りしちゃったじゃないの。
「そっちが後なのねぇー。冷たいやつーぅ。あー、心配しないでぇー。殺したりなんかしないわよーぅ。ちょっと他の場所に移動してもらっただけぇー。ちなみにこの身体は正真正銘、音戸さんの物よーぅ。」
「あんたのせいでしょ! 余計な事云うから惑わされたわ。それって殴り倒せば元に戻るのかしら? 試してみていい?」
ハルバードを構えて脅しをかける。いつまでもあんたのペースにさせておかないよ。どんな方法でタマの身体乗っ取ったのか知らないけど。あ、いや、それが気になるから油断出来ないんだけど。
「やるのは勝手だけどー、傷つくのは音戸さんの身体よー。いいのーぅ? 大事な友達ぃーじゃなかった、えーっと、大事なコマだっけぇ? あは、あは」
くっ、こいつ絶対殺す。
「あー、そんなに怖がらないでーぇ。わたし、お爺様の命令に従っただけだしーぃ。別にあんたをどうこうするつもりないしーぃ。理由も目的も知らないしーぃ。元に戻して欲しかったら、お爺様に云ってちょーだいねーぇ。お爺様の命令なら聞いてあげるぅ。わたし優しいしーぃ。」
「やっぱり、爺様が絡んでたのね。わかった。爺様に云うわ。だから……」
タマもどきに向かって、跳躍した。
「それまで大人しくしてな。」
ハルバードの柄を、彼女に向かって振り抜いた。
ブオーン
ハルバードが空を切った。勢い余って回転してそのまま転ぶ。避けられた?! 即、身体を起こして辺りを警戒する。タマもどきは、糸の切れた人形の様にその場に崩折れていた。
あの瞬間、そのまま倒れ込んで躱したのか?
しかし、倒れている彼女には生気が無かった。