第八十五話:den
「おい、ニーナ、何処に案内するつもりだよ?」
先頭に立って洋々と進むニーナの背に声を掛ける。
ニーナは何故か気力充実といった感じだ。
「もーちょっとだから。我慢して、コーイチ」と、此方を振り向かずに応える。
美雨も子猫を抱きながら黙々と付いてくる。
ニーナの歩みは速い。女の子にしては速いと思う。自分は付いていけない事は無いが、背の低い美雨は一生懸命に付いていこうと小走りになっている。
短い髪を揺らしながら、てとてとといった感じで可愛らしかった。
そういえば、『マルニィ』の名前が出ていたな。
『マルニィ』といえば、前に観季に話していたニーナの元の世界の親友の名前だ。
しかし何故その子の名前がニーナと美雨の間で出てきたんだ?
不可解さは増すばかりだ。
学校から歩いてきて10分程経っただろうか。5階建ての白いビルに付いた。
用がなければ絶対来ないような、住宅街の様な場所だった。
様なというのは、あまりこの地域の事に関心が無く、知らないだけだ。
学校と、寮と、中央公園、そして繁華街ぐらいしか行ったことも無いし、興味も無かったからだ。
このビルはなんだろうか?
新しく建てられたという感じで、商業施設っぽいけど、まだテナントがあまり入っていない様に見えた。
ニーナは1階のガラス扉を躊躇いなく開くと、続いて中に入る様に手招きした。
人の気配は無い。
「えーっと、たぶん、こっち」
しばらく直進したニーナは突き当りで唇に指を当てて、記憶を手繰る様子を見せてから、右に案内した。
廊下と壁と、それぞれの部屋の扉が並んでいた。
何処にも人が入っている雰囲気は感じられなかった。
エレベータホールを抜けた先に、非常用っぽい扉があった。
ニーナはそれを遠慮無く開いた。
おいおい、大丈夫なのか? と不安が過ぎったが、ニーナはどんどん先へと進んで行く。
仕方なく、美雨と一緒に中に入る。
扉の向こうは、地下に降りる階段だけがあった。
地下に降りると、そこはボイラー室だった。
そのままずんずん奥に進んだニーナは突然立ち止まった。
「あれ? 無くなってる」
「無くなってるって、何がだよ?」
ニーナの側に駆け寄って視線の先を観る。
そこには何もない空間が在るだけだった。
「NULLさんに案内されたときに、ここに部屋が在ったのに」
「ちょっとお前! NULLさんに会ったのか?!」
NULLさんの名前に、つい興奮してニーナの両肩を掴む。
ニーナは狼狽えて、「ちょっと、ちょっとぉ」と叫んだ。
「前の話、ほら、屋上で『屍魔』をやっつけた時の話。ここからあの変な液体を持って行けって云われたの」
前の話を云われて、がっくりと肩が落ちた。
せっかくNULLさんと連絡取る方法が見つかったのかと思ったのに。
「あの~、『屍魔』ってなんですか?」
ゆっくりと近づいていた美雨が、『屍魔』という言葉に反応した。
解らないことが在ると気になって仕方が無いという感じの眼で、ニーナに縋る。
応えようとするニーナを手で制して、
「とりあえず、順番に話していこうぜ。結構長い話になりそうだけどな。時間は大丈夫か?」
「わたしは別に用事ありませんから大丈夫です」
座れそうなところは無いかと探したが、流石に無いか。
その様子を観たニーナが「ごめんなさい」と済まなさそうに謝罪した。
「まあ、しょうがねえよ。NULLさんが撤収したんだろうね。そもそもここに部屋創るってどうなんだとも思うけどね」
ひとまずニーナの気持ちを和ませようと言葉を紡ぐ。
美雨は、何やらごそごそと制服の中を弄った後、ふわっと風呂敷を床に広げた。
「おい、それ何処から出したんだ?」
美雨は鞄を持っていない。というか、全員鞄持っていない。そうだった。今頃気が付いた。
教室に鞄置きっぱなしじゃねーか。
後で取りに戻らねーとな。
あんまり長引かせないようにしねーと、正門閉まっちゃうと不法侵入しないとだめだからな。
まあ、鞄置いて帰ってもいいんだけど。この二人はどうかわからんし。いちいち聞くのも面倒だ。
「あー、これはですねー」
美雨は得意顔をして、制服の前を開けて見せた。
ブラウスの上に襷掛けで小さいピンクのポーチがぶら下がっていた。
「この中に必要な物をいつも入れてるんですよ。女子の制服って物入れるところが無いから」
そんな女子の制服事情は知らないし、必要な物が何か問うのもやばい気がしたのでこの話は終わりだ。
ピンクのポーチから眼を逸らして、話題を少し変える。
「で、この風呂敷はなんだよ」
「あー、ここに座ってお話しましょうって思ってです」
「三人座るには小さすぎるだろ!」
いくらなんでもこの風呂敷に三人座るのは無理だ。
いや、座れるかも知れないけど、むっちゃ近すぎる。
ニーナはなんとか慣れてるとしても、今日会ったばかりの美雨と肌触れそうな距離とか、嬉しいけどちょっと話どころじゃない。
そんなこっちの逡巡を余所に、ニーナと美雨はさっさと座った。
「って、背中合わせかよ!」
「「え?!」」
風呂敷にお尻だけ乗せて脚は外に出す体育座りの姿勢の二人が、同時に疑問符を上げる。
「向かい合わせとかしたら足が邪魔です。当たり前じゃないですか。」
何を当然の事を? といった顔で此方を見上げる美雨。
「そうっすねー」と云って、空いたスペースに尻を降ろす。
「でも、みんな背中合わせで話すって変じゃないか?」
「くすすです。確かに変です。でも、なんか愉しいです」
そう云って、美雨は本当に愉しそうに笑った。