第八十四話『美雨』
「マルニィって、誰なんですか?」
目の前の女子生徒は、ニーナの親友の名前を言った。
ニーナと病衣の少女との間の会話は、ニーナの国の言葉で交わされていたのに、なぜこの子はそれを理解したのだろうか。
音で聴いたにしても、それが名前だとどうして分かる? 「マルニィってなんですか?」ならまだしも、「誰なんですか?」と人の名前だと断定している。
『貴方、もしかして私の国の人ですか?』
ニーナが自分の国の言葉で、女子生徒に問いかけたようだ。
「何を言ってるのかわかりませんです」
ニーナの国の言葉がわかるわけではないらしい。いや、もちろん、俺もわからないわけだが。
この子が嘘を言っているようには感じはない。
ニーナはなぜか、少し悲しそうに見えた。
「ニーナ? どうしたんだ?」
「コーイチ、ちょっと私、期待してたみたい……。この子が、私以外でこの世界に来ている、同郷の人じゃないかって」
そう言って薄く悲しく笑った。
「さっき、マルニィの意識と交流しちゃったから……ちょっと、気持ちが揺らいでいるのかもしれないです。しっかりしなきゃですね」
「あのーう、わたし、置いてけぼりなんですが、なんなんですか?」
女子生徒がまた怒り出した。
「あ、ごめんなさい。私と同じ国の人かと思ったものだから」
「それって、どこの国ですか?」
ニーナが助けてくれと目で訴えてきた。
しゃあねえなあ。
「あ、やー、その遠い国だ」
我ながら、意味ない答えをしてしまった。いや、ニーナが無茶振りなんだからね。
ニーナが睨んで来た。え? 俺が悪いのか? これ?
とはいえ、初めて会った得体の知れない女子生徒に、真実を伝えるわけにはいかないしな。ニーナは、他の世界から来ましたーとかね。
「あなたには聞いていないです」
ピシャリと怒られてしまった。
何なの? この子。
答えるのも、答えないのも怖くなってきた。一体何者なんだ?
ニーナが女子生徒に近付いて、右手を伸ばそうとした。
ニーナの目に罪悪感が宿っている。
だめだニーナ、それは――
俺がニーナを止めようと、足を踏み出す前に、女子生徒はニーナの右手を躱して後退っていた。
右手を突き出したままのニーナに彼女は冷めた眼で、
「聞きたいことがあるなら、ちゃんと聞いてくださいです。ちゃんとお答えしますです。そんな強引に聞き出すとか、あなたのやり方は不愉快です」
彼女は、小柄で弱々しい雰囲気から想像できないような毅然とした態度で言い放った。
「ご、ごめんなさい……」
ニーナはしゅんとしていた。きっとマルニィの件があって動揺していたせいもあるだろう。今のニーナには、気持ちの整理をする時間が必要に思えた。
「コーイチ、ごめんなさい。能力使わないって約束したのに……。私わかった。秘密を抱えると心は怯えるんだって。知られたくないという思いから、私は勝手にこの子に怯えてしまってた。この子の言う通りだわ」
打ちひしがれたように見えるニーナの肩に、俺は軽く触れて慰めた。
「きみの質問に答える前に、なぜきみは、そんなことを聞くんだ?」
そもそも、この子がなぜ「マルニィが誰か」を聞くのか? その質問があまりに異質過ぎて、どう答えていいか俺もニーナもわかりかねているのだ。
「そうですね。不躾な質問でしたです。謝罪いたしますです。ごめんなさいです」
女子生徒は、礼儀正しく深々と頭を下げた。
「実はさきほど、そちらの倒れてる方と揉み合ってるのに驚いてしまいまして、ついその……」
彼女はそこまで言うと、バツが悪そうに顔を赤らめて、
「あなた方に、いえ、正確には、あなた方の心に聞いてしまったのです。ごめんなさいです!」
彼女は、最後の「ごめんなさいです!」で、勢い良くお辞儀をして最大の謝意を示した。
「あのー、いまきみが言った、そのー、心に聞くってどういう意味かな? 心を読むという意味か?」
そうだとしたら納得がいく。けれども納得がいかない部分も出てくる。
心が読めるなら、なぜわざわざこの子は質問しに来たのか?
読めるなら、読んでおけばいいだけの話。
「いえ、違いますです。その、何て言えばいいんでしょうか。心と会話したのです」
心と会話? ますます分からない。
俺たちの当惑を察して、更に詳しく説明しようと彼女は頭を巡らせながら、
「こうして、言葉で会話するみたいに、お互いに心でです。んっとー、テレパシーみたいな感じです」
なんとか俺たちに解るように、言葉を探し探し語る彼女。
それでも要領を得なかった。きっとこの子は会話が上手くないのだと思う。
「それなら、心に聞けばいいんじゃないの? わざわざ俺たちに聞かなくても……」
素朴な疑問。心を読むのと、聞くのとどう違うというのだろうか?
「いいんですか? じゃあ遠慮無くです」
ぱぁっと明るい顔になって彼女は手を叩いて喜んだ。
え? なんか不味いことになったりしないよな? 彼女の言葉に一抹の不安がよぎる。
そして無言のまま、ニーナの顔を見つめていた。いや、正確に言うなら、ニーナの全体をぼんやりと見ていたと言うべきだろうか。
「マルニィさんって、あなたの親友なのですね。それに命の恩人。なるほどです」
「―――?!」
やっぱり、心を読んでるんじゃないの?
「ちょっと、貴方、やっぱり心を――」
「君たち大丈夫か?!」
走り寄ってくる警備員の人たちと白衣を着た人たちの呼び声に、言葉を遮られた。
彼らは気を失って倒れている病衣の少女の傍に走り寄ってくると、警備員は手際よく拘束具を嵌め、白衣の男が何かを注射していた。
何をしているのか尋ねようと口を開きかけたが、「怪我は無いか?」と間を遮るように警備員が立ち塞がった。
「大丈夫です」との返事に頷き返すと、警備員たちと白衣の人たちは病衣の少女を抱えて慌ただしく校舎へ向かって去っていった。
「なあ、場所移した方がよくねえか? なんかやばそうだし。このままここに居ると、あいつら引き返して来そうだから」
実際、いま俺たちが拘束されなかったのは、幸いだった。彼らも気が動転していたのかもしれない。
何が起きているのかさっぱりわからないけど、ここはひとまず逃げるのがいいような気がするのは確かだ。
「あ、待ってくださいです。まだ話は終わってないです」
立ち去ろうとする俺たちを、引き止める女子生徒。
え? っと戸惑う俺たち。
俺はニーナに目配せした後で、「じゃあ、お前も一緒に来い」と返し、走りだそうとすると、
「わかりましたです。でもちょっとだけ待ってくださいです。あの子を連れてきますです」
そう言って、彼女の後ろの方で遊んでいた白い子猫の方に急ぎ足で走っていった。
「おーい。猫なんてほっとけよ」
俺の言葉に足を止めた彼女は、ゆらりと体ごと振り返った。
「猫なんてですって! あなた今、猫なんてっていいましたですかっ!」
怖かった。
彼女の眼は、俺を今にも殺そうとするかのような殺意に燃えていた。
背中に嫌な冷たい汗が流れる。
「あ、ごめんなさい。急いでたからついね。悪気は無いの。ね?」
ニーナが俺を代弁し、確認を取ってくる。
「ああ、済まなかった。いいよ。待つから」
はぁ、やれやれだ。俺は首を振った。
女子生徒の方もしぶしぶながら納得した様子で、子猫の元へ歩みよる。
子猫もさきほどの女子生徒の怒気に当てられた様子で、彼女が近づくとびくびくと身を後退った。
「大丈夫です。ごめんなさいです。もう怒ってないです。あなたともまだゆっくりとお話しないとですからね。わたしと一緒に来てくださいますですか?」
そう子猫に話しかける女子生徒。
子猫はその言葉をじぃと聴いているようだった。
差し出された女子生徒の手を見、顔を見していた。
「必ず、貴方のお力になりますからです」
子猫は怖ず怖ずと彼女に近寄り、大人しく抱き上げられた。
子猫を抱いて振り返り、「お待たせいたしましたです」と、ぱぁっとした笑顔を振りまいた。
「まるで、その子猫と会話しているみたいだな」
素直な感想が口を付いて出た。
そこに意志の疎通が感じられたからだ。
「まるでではありませんです。ちゃんとこの子と会話してましたですよ? この子の心と会話してましたです」
「やっぱり、それって――」
「その事について詳しく聞くのは後だ。移動するぞ。いいな。ニーナ?」
なおも会話を続けようとしているニーナを制した。
そうだ。ここでお喋りしてる場合じゃなかった。
「でも、コーイチ。どこに行くの?」
「そーだなあぁ、思いつかねえ」
「長話ができるところがいいです。話長くなりそうですし」
「あ、そうだ。私、いい場所知ってます。思い出しました」
ニーナが俺と女子生徒にそう告げて、付いてくるように促した。
「ええっと、そういえば名前聞いてなかったな。きみの名前は? あ、俺は山根耕一。で、こいつは、ニーナだ」
「ニーナ・クリーステルです」
ニーナはなぜか、フルネームで言い直した。
「えっと、私は、美雨です。堂間戸 美雨です」




