第八十四話:美雨
「マルニィって誰なんですか?」
目の前の女子生徒は私の親友の名前を云った。
私と病衣の女の子との間の会話は、私の国の言葉で交わされていたのに、何故この子はそれを理解したのだろうか。
音で聴いたにしても、それが名前だとどうして分かったの? 「マルニィってなんですか?」ならまだしも、「誰なんですか?」と人の名前だと断定している。
まさか、そんな。
『貴方、もしかして私の国の人ですか?』
自分の国の言葉で、女子生徒に問いかける。
「何を云っているのかわかりませんです。」
嘘を云っている感じはない。心の中で凄く失望した私が居た。そっか、私、期待したんだ。私以外でこの世界に来ている同郷の人じゃないかって。
マルニィの意識に遭遇した為に、気持ちが揺らいでいるのかもしれない。
しっかりしなきゃ。
「ごめんなさい。私と同じ国の人かと思ったものだから」
「何処の国ですか?」
上手く誤魔化そうと思ったのに、この子は喰らいついてきた。
なんと答えるべきだろうか?
ちらりとコーイチを観る。
眼が合うとコーイチは、しどろもどろに頭を掻きながら「あ、やー、遠い国だ」と意味ない答えをした。
あー、もう、頼りにならないんだから。
流石に真実を伝える訳にはいかないよね。他の世界から来ましたとか。
ダメだよね。
んー、でも麗美香さんには云ったよね。
誤魔化そうにも、何処の国とか答えないもの無理があるし。適当な国の名前とか知らないし。
知ってる名前の国もどんな国なのか検討もつかないし。
やっぱり此処は、コーイチがなんとか誤魔化してくれないと。
「あなたには聞いていないです」
コーイチがピシャリと怒られてしまった。
何なの? この子。
答えるのも、答えないのも怖くなってきた。一体何者なの?
緊張に耐えかねた私は、また禁を犯した。
この子が何者で何のためにこんな事を聞いているのか探ろうと、その右手を伸ばした。
横目でちらりとコーイチの顔を見て、罪悪感に苛まれながら。
コーイチは驚いた顔をして私を止めようと動こうとしている気配を感じた。
右手は彼女には届かなかった。
目の前の彼女は、私の思惑を初めから知っていたかのようにあっさりと交わして後退っていたから。
右手を突き出したままの私に彼女は冷めた眼で、
「聞きたい事があるなら、ちゃんと聞いてくださいです。ちゃんとお答えしますです。そんな強引に聞き出すとか、あなたのやり方は不愉快です」
小柄で弱々しい雰囲気をしながらも、この女子生徒は毅然と言い放った。
そんな彼女の態度に私は自分を恥じた。
そして、秘密を抱えると心は怯えるものなんだと思った。
自分が、他の世界から来ている事を知られたくないという思いから、勝手にこの子に怯えてしまったのだ。この子の云う通りだ。そして訊きたい事なら山程ある。まずは、
「最初に質問についてだけど、何故貴方は、そんな事を訊くの?」
そもそも、何故マルニィが誰かを訊くのか?
一番最初の疑問に立ち返る。
「そうですね。不躾な質問でしたです。謝罪いたしますです。ごめんなさいです」
礼儀正しく深々と頭を下げた。
「実は、先程、そちらの方と揉み合ってるのに驚いてしまいまして、ついその・・・・・・」
少女はそこまで云うとバツが悪そうに顔を赤らめて、
「あなた方に、いえ、正確には、あなた方の心に訊いてしまったのです。ごめんなさいです!」
最後の「ごめんなさいです!」で再び勢い良くお辞儀をして最大の謝意を示した。
心に訊くとはどういう意味なんだろう。
「いま貴方が云った、その、心に訊くってどういうことですか? 心を読むという意味ですか?」
そうだとしたら納得がいく。けれども納得がいかない部分も出てくる。
心が読めるなら、何故わざわざこの子は質問しに来たのか?
読めるなら、読んでおけばいいだけの話。
「いえ、違いますです。その、何て云えばいいんでしょうか。心と会話したのです」
心と会話?
私の当惑を察して更に詳しく説明しようと彼女は頭を巡らせながら、
「こうして、言葉で会話するみたいに、お互いに心でです。んっとー、テレパシーみたいな感じです」
なんとか私に解るように言葉を探し探し語る彼女。
それでも要領を得なかった。きっとこの子は要領が悪いのだと思う。
「それなら、心に訊けばいいんじゃないの?」
素朴な疑問。心を読むのと、訊くのとどう違うというのだろうか?
「いいんですか? じゃあ遠慮無くです」
ぱぁっと明るい顔になって彼女は手を叩いて喜んだ。
そして無言のまま私の顔を見つめていた。いや、正確に云うなら、私の全体をぼんやりと観ていたと云うべきだろうか。
「マルニィさんって、あなたの親友なのですね。それに命の恩人。なるほどです」
「―――!?」
やっぱり、心を読んでるんじゃないの?
「ちょっと、貴方、やっぱり心をっ」
「君たち大丈夫か?!」
走り寄ってくる警備員の人たちと白衣を着た人たちの呼び声に言葉を遮られた。
気を失って倒れている病衣の子の側に走り寄ってくると、警備員は手際よく拘束具を嵌め、白衣の男が何かを注射していた。
何をしているのか尋ねようと口を開きかけたが、「怪我は無いか?」と間を遮る様に警備員が立ち塞がった。
大丈夫ですとの返事に頷き返すと、警備員たちと白衣の人たちは病衣の少女を抱えて慌ただしく校舎へ向かって去っていった。
「なあ、場所移した方がよくねえか? なんかやばそうだし。このまま此処に居ると、あいつら引き返して来そうだから」
コーイチの云う事は最もだった。
いま私たちが拘束されなかったのは幸いなのかもしれない。
何が起きているのかさっぱりわからないけど、ここはひとまず逃げるのがいいような気がするのは確かな感じがする。
「あ、待ってくださいです。まだ話は終わってないです」
立ち去ろうとする私たちを、引き止める女子生徒。
え? っと戸惑う私にコーイチは、「じゃあお前も一緒に来い」と返し、走りだそうとすると、
「わかりましたです。でもちょっとだけ待ってくださいです。あの子を連れてきますです」
そう云って、彼女の後ろの方で遊んでいた白い子猫の方に急ぎ足で走っていった。
「おーい。猫なんてほっとけよ」
コーイチの言葉に足を止めた彼女は、ゆらりと体ごと振り返った。
「猫なんて・・・ですって! あなた今、猫なんてっていいましたですかっ!」
怖かった。
彼女の眼は、此方を今にも殺そうとするかの様な殺意に燃えていた。
背中に嫌な冷たい汗が流れる。
コーイチも彼女の怒気に当てられて立ち竦んでいる。
ここは私が執り成さないと。
「あ、ごめんなさい。急いでたからついね。悪気は無いの。ね?」
コーイチに向かって念を押す。
「ああ、済まなかった。いいよ。待つから。」
はぁ、やれやれといった感じでコーイチは首を振っていた。
女子生徒の方もしぶしぶながら納得した様子で子猫に歩みよる。
子猫も先程の女子生徒の怒気に当てられた様子で、彼女が近づくとびくびくと身を後退った。
「大丈夫です。ごめんなさいです。もう怒ってないです。あなたともまだゆっくりとお話しないとですからね。わたしと一緒に来てくださいますですか?」
そう子猫に話しかける女子生徒。
子猫はその言葉をじぃっと聴いている様子をしていた。
差し出された女子生徒の手を見、顔を見していた。
「必ず、貴方のお力になりますからです」
子猫は怖ず怖ずと彼女に近寄り、大人しく抱き上げられた。
子猫を抱いて振り返り、「お待たせいたしましたぁです」と、ぱぁっとした笑顔を振りまいた。
「まるでその子猫と会話しているみたいでした」
素直な感想が口を付いて出た。
そこに意志の疎通が感じられたからだ。
「まるでではありませんです。ちゃんとこの子と会話してましたですよ? この子の心と会話してましたです」
「その事について詳しく訊くのは後だ。移動するぞ。いいな。ニーナ?」
なおも会話を続けようとしている私にコーイチは横入りしてそれを制した。
そうだ。ここでお喋りしてる場合じゃなかった。
「でも、コーイチ。何処に行くの?」
「そーだなあぁ、思いつかねえ」
「長話が出来るところがいいです。話長くなりそうですし」
あ、そうだ。いい場所がある。思い出した。
「私に任せて。いい場所思い出した」
二人にそう告げて、付いてくるように即す。
「ええっと、お名前そういえば訊いてなかったですね。貴方お名前は? あ、私はニーナ。ニーナ・クリーステル。で、この人は、コーイチ」
「山根耕一だ。」
「えっと、私は、美雨です。堂間戸美雨です」