第八十二話:spirit medium
「麗美香はね、ポチの味方だから。」
あの時、彼女はそう云った。
その言葉を信じて良いのだろうか?
いやいや、NULLさんは目に見えるものと言葉を信じるな的な事を云ってなかった?
迂闊に信じるのは愚かに過ぎる。
問題は、麗美香の爺様と会ってしまった以上、このまま下手に探りを入れるのは危険だ。命までは取られないと思うが、油断は出来ない。
ならば一旦ここはNULLさんに現状を報告して指示を待つのが上策。
そこまで考えて、ふと気づく。
どうやってNULLさんに伝えたらいいんだ?
屋上入り口付近の壁に書くとかいけそうだけど、誰に見られるか分かったもんじゃない。そんな危険は犯せない。
NULLさんからの接触を待つしかないのか?
待て待て、まずは、NULLさんに成って考えてみよう。NULLさんの知謀には遠く及ばないが何かアイデアが浮かぶかも知れない。
ふと周りを観ると誰も居なくなっていた。此処は放課後の教室の中。
ずっと考え事をしていた様だ。
まあ、調度いい。邪魔も入らないし、じっくりと考える事としよう。
自分の席に座り直し、窓の外に見える中庭に座る女生徒をただ漫然と眺めた。
その女生徒の視線の先には真っ白い子猫が居て、まるでお互いに会話しているかの様に見えた。
おっといけない。集中集中。
NULLさんならどうするか?
その1。適当なタイミングで学校に侵入し、此方と接触する。
これは前回、NULLさんが使った手口だ。男子トイレで清掃員に紛れて接触してきた。一番可能性が高いが、此方はそれまでずっと待っていないといけないし、それにNULLさんにしてみれば、此方がまだ何も情報を掴めていないかもしれない事を考えると、危険を犯すメリットが無い。やるとすれば、此方が明らかに情報を掴んだ事がはっきりしたタイミングでの実行だ。
では、どうやったら此方が情報を掴んだ事が解るのか?
此方からの合図を待っている?
そうかも知れない。でも、どんな合図とか決めてないしな。
駄目だ。その1でもう考えるのが嫌になってきた。
もういいや。やっぱりNULLさんが接触して来るのを待とうという気持ちに固まりかけた時、中庭に佇むニーナの姿を観た。
あれ? ニーナまだ居たんだ。
取り敢えず声を掛けて一緒に帰ろうと、窓を開けた時、突然向かいの校舎1階の窓がバリンッという音を立てて割れた。飛び散ったガラスの破片と共に白い病衣を着た少女が飛び出してきた。
少女は四つん這いで着地すると、ニーナに向かって突進して行った。
「ニーナ!!」
ニーナの危険を肌で感じ取り、側へ駆け寄ろうと、我を忘れて2階の窓から飛び降りていた。
※※※ ※※※ ※※※
苦しい・・・息が出来ない様な苦しさ。
痛い・・・体中が痛いけれどその身体に触れられない痛み。
何も見えない暗闇。
わたしは一体どうなってしまったのだろう。
微かな記憶の中に在るのは、屍魔の群れに襲われた事。
突然起こった悲劇。
大切な親友の顔。
そうだ。わたしの親友。ニーナちゃんは助かったのだろうか。
ニーナちゃんの事を思い出し、意識が覚醒する。
目覚めると、見覚えのない天井があった。
此処は何処だろうか。身体を起こし、周りを見渡す。
観たことの無い場所だ。
単に知らない場所というよりは、まったく異質の場所。
眼に入るもの全てが初めて観るものばかり。
部屋の壁は白い。材質が何なのかさっぱりわからない。
自分が寝ているこれも、触ってみても何で創られているのか検討もつかない。
『お目覚めですか? 朱堂アリスさん』
シンプルな膝ぐらいまである白い衣装に身を包んだ大人の男性が何か話しかけて来たが、何を云っているのかさっぱりわからない。
初めて聞く言葉だ。
困惑しているわたしを、その男性は心配そうに眺め、何やら労りの言葉らしきものを掛けている様に思えるけれども、やっぱり、何を云っているのか判断する事は出来なかった。
そうだ。ニーナちゃんは?!
目の前の男性に、ニーナちゃんの事を尋ねるも、彼もわたしの言葉がわからない様子だった。
のみならず、彼は何故か驚愕の表情を浮かべ後ずさり、後ろに居た同じような格好をしている女性に話しかけていた。彼らの様子から、何か大変な事が起きたのだと想像が出来た。
そもそも、此処は何処? 彼らは誰?
誰か言葉の解る人は居ないの?
寝ていた場所から降りて床に足を付ける。冷たく固く滑らかな床。
石でも木でも無い。
まあいいや。今はそれどころじゃない。
早く言葉の解る人を見つけて、ニーナちゃんの安否を知らなければ。
扉と思しき物を見つけ、そちらに向かって歩き出すと、手を掴まれた。
さっきの男性だ。
離してくださいと云ったが、そもそも言葉が通じないので、意味が無いことに気づいた。
無理やり解こうとすると、女性も一緒にわたしを捕まえようとしてきた。
わたしは恐怖のあまり、手を掴んでいる男性にもう片方の手を触れて、天井に飛ばした。
男性は天井から落下し、床に頭を打ち付けて苦しそうに悶えた。
ごめんなさいと思った。でも、今のわたしには気持ちの余裕が無かった。
一刻も早く此処から出て、誰か言葉の解る人を探さないと。
女性の方に手を向けると、悲鳴を上げて彼女は蹲った。
女性を放置し、扉に手をかけて開く。
やっぱり扉で合っていたと安堵。
扉から部屋の外に出ると、廊下だった。
正面に窓が有り、その窓の外に、少しばかり離れた先に、見間違うはずもない人。
わたしの親友。ニーナちゃんの姿が在った。変わった服を着ているけれど、その顔は忘れる訳がない。
ニーナちゃん。生きていてくれた。よかった。
感動で胸が熱くなる。
あの時、イチかバチかで城内にニーナちゃんを転送した。
そうするより親友を助ける方法が無かった。
城内に転送した後どうなるかは分からなかった。助かる保証は無かった。でも、それしか他に何も思いつかなかった。だから不安だった。ニーナちゃんが生きているか不安だった。そのニーナちゃんが生きている。生きていてくれた。
ニーナちゃんの側へ行こうと窓に手をかけたとき、廊下を走ってくる人が見えた。
濃い青い色の軍服のような格好をして、手に何やら棒状の物を持っていた。
わたしを狙っているのは明らかだ。
此処が何処だか解らない。相手が誰だか解らない。でも、ニーナちゃんに会う事を止めようとするなら許さない。せっかく見つけたんだ。捕まったら二度と会えなくなるかも知れない。そんな嫌な予感に心が満たせられてた。喉が乾く。すごく乾く。早く潤さないと。早く、はやくはやくはやく、あの喉元へ。
わたしが急に突進したのに驚いたのか、こっちに走ってきていた青服は足を止め、硬直していた。
今だ! やつの首を! 喉を!
気が付くと青服の喉に噛み付いていた。
我に返り、足許に倒れている青服の男を観る。
彼は泡を吹いて気を失っていた。
ひょっとすると死んでしまっているのかもしれない。
彼の血がわたしの口元を伝わって顎から落ちる。
両掌を観ると、血に染まっていた。
その指もあちらこちらの方向を向いて折れていた。
何故? 疑問に思い、下に転がっている青服を観ると、その制服がびりびりに破かれ、血まみれになっていた。
わたしがやったのだろうか?
その瞬間の記憶が無い。
足りない足りない・・・・・・
喉の渇きが、それを潤すようにと激しく訴える。
そうだ! ニーナちゃんは?
先程ニーナちゃんが居た場所を観る。
まだそこにニーナちゃんが佇んでいる。
わたしには気付いていない様子だ。
早くニーナちゃんに会いに行かなくちゃ
早く喉の乾きを潤さなくちゃ
「あぁぁぁがぁ!!!!」
わたしが咆哮を上げる。
わたしが・・・・・・? 咆哮を・・・・・・?
身体が勝手に動き、ニーナちゃんの居る方向の窓に跳びかかり、それを身体で撃ち砕いた。
四つん這いになって地面に着地。地を蹴って、ニーナちゃん目掛けて突進する。
「「ニあぁぁぁーナがぁ!!ちゃん」」
驚いてわたしを観るニーナちゃん。
やっぱりニーナちゃんだ。
間違いない。ニーナちゃんだ。
生きててよかった。獲物だ。わたしの獲物。親友だ。
「ニーナちゃん。生きてたのね! よかった!」
その喉元に飛び掛かるわたしを観たニーナちゃんは驚いた顔でわたしの名前を呼んでくれた。
「マルニィ・・・・・・なの?」