第八十一話『Roar』
朱堂アリスは、気分が優れなかった。
最近、そんな状態が続いている。
段々と気分の悪さ加減が、ひどくなって来ているような気がしていた。
頭がひどく痛む。
まるで鈍器で殴られた後、後遺症のように頭痛が続いている。そんな感じだった。
いつもは、彼女が持つ能力が発動した後に感じる気分の悪さだが、なぜかここ最近、能力が発動していないにも関わらず、ずっとそんな状態が続いている。
放課後、いつものように実験室へ向かう。寮から出されて数ヶ月が経つ。学校からの突然の協力要請。それはほぼ強制のようなものだった。
入学の際、あらかじめ学校の実験に協力する話は聞いていた。このおかげで奨学金がもらえ、学費は免除されている。それに実験の成果によっては、報奨金も出るという。彼女の家は貧乏であったため、この条件を喜んで呑んだのである。そのことに別に不満は無いのだけれど、こう数ヶ月にも及ぶとさすがに彼女は心身共に疲れてきていた。
実験が始まってからこの数ヶ月、ずっと朱堂アリスは実験室で生活している。
実験室で眠りに就き、実験室から学校に向かう。
一応、元ルームメイトやクラスメイトには特別な場所で研究に協力していると告げてる。だがその内容については、極秘扱いになっている。他の人に話した場合の罰則については何も聞かされていなかった。とはいえ、他人に話す気もなく、話す程のこともなかった。
実験室のある建物は、学校の敷地内の奥の方にある。
普段は誰も来るようなことはなく、研究員ぐらいしか行き来しない場所にある。
こじんまりとした四角い五階建ての建築物で、特にデザインも凝ってなく、ただの直方体って感じで味気がない。白い壁に窓が各階に幾つかあるぐらい。他に目立った特徴はない。
朱堂アリスは、建物に入ると地下へ向かう。この建物は地下三階まである。
彼女が住んでいる実験室は、地下二階にある。
エレベーターは使うなと、研究員に言われているので、階段でいつも降りている。なぜ使ってはいけないのか、理由は教えてもらえなかった。
地下一階と地下三階に何があるのか、彼女は知らない。
階段とフロアは扉で隔たれているため、どんなフロアか扉を開けないとわからない。
気にはなりながらも、勝手に扉を開いたら怒られるのがわかるので、彼女は開いたことはない。
薄暗く、鉄っぽい匂いのする階段を地下二階まで降りて入口の扉を開く。
重い鉄の扉がギィギィと、耳障りな音を鳴らす。
彼女は毎日聞いているが、その音に全く慣れないでいた。
ふぅ……
自然に溜息が出る。
まっすぐに延びている廊下を進む。
ホテルのような感じに、部屋が廊下の両サイドに幾つか並んでいる。
部屋の鍵を鞄から取り出し、B202の扉を開ける。
表札なんて無い。この部屋が彼女の部屋だと外から解るものは何もない。
ここが今の彼女の部屋だ。
寮に置いていた私物は全て、この部屋に運び入れてあった。
もう寮に戻れないのかなと、不安が少し過る。
部屋の中には監視カメラが幾つか配置されていて、彼女の行動は逐一記録される。
カメラが捉える範囲は、もちろん同意の上決められている。
どうしてもカメラに映りたくないプライベートなことがある場合のため、映らない場所も用意されているが、なるべく使うなと言われている。
ただ監視カメラが動いていると思うと、映らないと言われても気になるものだ。
机の引き出しを開けて、実験用の器具を取り付ける。
輪っかになっている電極を頭に被る。
さらにリストバンドのようなものを、両手首に装着した。
これが彼女の毎日の日課。
彼女の能力がいつ発動するか本人にもわからないため、常に器具を付けておかないとその時の状態を計測できないという事らしい。彼女には、よくわからなかった。
最近、朱堂アリスの能力が発動したのは、『美霧』を名乗る霊体を受信したときだった。
あれを最後に、まだ発動していない。
幸か不幸か、その時はまだこの実験は始まっていなかったので、彼女の寮の部屋で発動した。
いま思えば、実験が始まる前で良かったと彼女は思った。
実験が始まっていたなら、あの手紙を渡すことはできなかっただろうし、渡すことができてもその内容が研究員たちに知られてしまっただろうからだ。
そのことだけは幸いだった。
だからこそ彼女は思う。また発動したとき、その内容が怖いと。
朱堂アリスは、次は誰のどんなことを書き記してしまうのか?
そして、いまのこの実験室での状態なら、その内容を隠すことはできないだろう。
できれば、当り障りのないものを受信することを望むばかりだった。
彼女は自分の能力で、誰かに迷惑を掛けるようなことはしたくなかった。
彼女が本当に望んだことは、この能力を上手くコントロールすること。もしくは、この能力を消し去ることだった。
その望みを掛けて、この学校への入学を承諾したのだ。
朱堂アリスの能力である『自動書記』は、亡くなった人の思いを他者に伝えるものだ。
でも同時にそれは無関係の彼女が、その人たちの秘密を知ってしまうことでもある。
彼女は今、その重みに潰されそうになっていた。
『美霧』の思いを受け取ってしまったからには無かったことにもできず、『山依』に手紙として渡すことで自分の役目を終えた。いや、終えたことにしたかったのだ。彼女は、『山依』に丸投げして逃げたのだ。
しかし、結局忘れてしまうことはできなかった。
あの内容は、ほとんどが『山依』の『山根耕一』に対する思いについてのメッセージだった。そのことは朱堂アリスが関与することではない。また、『山依』の能力についても朱堂アリスにはどうでもよいことだ。
問題は、『ニーナ』のことだった。
朱堂アリスは『美霧』が書き記した『ニーナ』についてのことを知ってしまった。
『ニーナ』がどこから来て、何をしたのかを。『美霧』が知りうる『ニーナ』のすべてが書かれていた。
朱堂アリスは、自分は何もしないでいいのだろうかと思い悩んでいる。
ガスッ!!
そんな音が、どこかから聞こえたような気がした。
ずっとベッドに腰を下ろして物思いに耽っていたところを、今まさに鈍器で頭を殴られたように感じ、彼女の視界が明滅した。
急激な嘔吐感があり、そのまま床に倒れ伏した。
床に敷かれたオレンジ色の絨毯に、顔面が擦れる。
「はぁああっ」
思い出したように呼吸を始める。それまで息を止めていたようだった。そしてその息がどんどん激しくなっていく。
何者かが、自分の身体と同化していく感覚があった。
「これは……きっと、能力の発動だ」
ぐわんぐわんと激しい耳鳴りがする。すぐそこの机までの距離が、異常に遠く感じる。
「あぁぁぁがぁ……あぁぁぁがぁ」
何かの動物の鳴き声のようなものが聞こえてくる。
「気持ち悪い」
すごく悍ましい声だ。
聞くものを不快に、そして恐怖を感じさせる。怪物を思わせるような鳴き声だ。
「あぁぁぁがぁ……あぁぁぁがぁ」
なぜそんなものが聞こえてくるのか? という疑問が湧いたが、彼女はあまりの気分の悪さ、頭痛、そして耳鳴りのせいで、考えが纏まらない。
なんとか机に辿り着き、ペン立ての中のものを荒々しく引っ掴んで、ノートに書き殴り始める。
もはや彼女の身体は勝手に動いていた。
いつもは意識が無い状態なのに、今はまだ意識が在った。いや、もしかしたら、いつも意識が在ったのに、忘れてしまっているだけかも知れない。
書き殴っているノートには、見たことも無いような物が書かれていた。おそらくこれは文字なのだと感覚的に理解はできるが、どこの国の言葉かわからず、まったく見たことも無い文字だった。
「あぁぁぁがぁ!!!!」
絶叫を聴いた。
それは部屋が振動するほどの叫び声だった。
薄れゆく意識の中で、その咆哮がどこから聴こえるのか気が付いた。
その出処は、朱堂アリスの口だった。




