第98話 ピリカ式ドライヤー
数週間後。ピリカ・ピリーラの店頭。
新しい棚が、ひとつ増えていた。
並んでいるのは、新型のドライヤー。札には、こう書いてある。
『新型:どなたでも、お使いいただけます』
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開店前。
ローザが、実演の練習をしていた。
新型の取っ手を握って、温風を出す。髪飾りに当てて、角度を変えて、また当てて——五分、十分。
ふと、ローザの手が止まった。
「……お嬢様」
「ん?」
「これ……本当に、全然、疲れません」
ローザは、自分の手の中のドライヤーを、まじまじと見つめていた。
「いつもなら、もう、頭の奥がぼんやりしてくる頃なのに。……今日は、何も。何も、ないんです」
その声が、少しだけ震えていた。
実演のたび、こっそり目眩をやり過ごしてきた人の、声だった。
「うん」
ピリカは、笑った。
「ローザが使えるなら——誰でも、使えるよ」
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新型は、静かに、でも確実に、売れ始めた。
最初に飛びついたのは、意外にも、旧型を持っているお客様たちだった。
「奥様が『新しいのは疲れないらしい』とお聞きになって」
「うちはメイドが使いますから、ぜひ新しい方を」
買い替えが、続く。使うのは奥様ではなく、メイドたち——お披露目の会で触れ合った「使う側」の人たちだ。
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その週末、ピリカは店にいなかった。
手には、返品の帳面から写した、お名前と住まいの覚え書き。それから、風呂敷に包んだ、新型がひとつ。
一軒ずつ、訪ねて回った。
「あの——以前、うちのドライヤーを、お返しくださった方ですよね」
扉を開けた年配の女の人が、少し身構えた。返品なんて、気まずい記憶だ。文句でも言いに来たと思ったのかもしれない。
ピリカは、ぺこりと頭を下げて、風呂敷包みを差し出した。
「新しいものが、できたんです。魔力を、ほとんど使わないんです。——一度だけ、試していただけませんか」
「……私、魔力、少ないのよ?」
「はい。おそらく、それでも問題がない商品ができたと思います」
玄関先で、女の人が、おそるおそる取っ手を握る。こぉぉ、と温風。一分。二分。——五分。
「…………あら?」
その「あら?」を聞くたびに、ピリカは心の中で、ちいさくガッツポーズをした。
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そんなふうに、一軒ずつ回っている途中の——ある日の午後。
店の扉が、遠慮がちに開いた。
「あの……新しいドライヤーって、こちらかしら」
入ってきたお客様の顔を見て、ピリカは、あっ、と思った。
——あの人だ。
「私には、ちょっと重くて」と、申し訳なさそうに返品していった、あの商家の奥さん。
「お友達がね、教えてくれたの。『今度の新型は、大丈夫だったわよ』って。——その方も、私と同じで魔力が少ないんだけど、長く使っても、なんともなかったって。それなら、私も……と思って」
(次の週末に訪ねるはずだった方だ。——口コミのほうが、先に届いたんだ)
「はい。ぜひ、お試しくださいませ」
ローザが、にこやかに新型を差し出した。
お客様は、おそるおそる、取っ手を握った。温風が、こぉぉ、と流れ出す。
しばらく、使う。
一分。二分。——五分。
お客様の眉が、だんだん、不思議そうに持ち上がっていく。
「……あら」
手を止めて、自分の掌を見て、もう一度、風を出して。
「あら、あら? ——全然、平気だわ」
その顔が、ぱあっと明るくなった。
「平気よ! 頭も、ぼうっとしない! ねえ、これ、本当にあのドライヤーなの?」
「中の仕組みが新しくなったおかげで、魔力をほとんど使わないようになったんです」
ピリカが、カウンターの奥から答えた。
「まあ……まあ、まあ!」
お客様は、ドライヤーを胸に抱えるようにして、言った。
「いただくわ。——今度こそ、返しに来ないわよ」
お会計のあいだも、お客様は、包んでもらう箱を、ずっと嬉しそうに眺めていた。
「これでね、今度こそ、娘の髪を乾かしてあげられるわ。長いのよ、うちの子。——前のを買ったとき、一度だけやってあげたの。いいものを買ったのよ、って。……でも、私のほうが途中でふらふらになっちゃって、結局、最後まで乾かしてあげられなくて」
じゃあね、ありがとう。いい買い物をしたわ——。
軽い足取りで、扉の鈴をからんと鳴らして、お客様は帰っていった。
その背中を見送って——ピリカは、ふいに、目の奥が熱くなった。
あの日、悪いのはこっちなのに、何度も頭を下げて帰っていった人が。最後まで「いい品なのよ、ほんとうに」って、品物をかばってくれた人が。——今日は、あんなに嬉しそうに、笑って帰っていった。
(……よかった。……ほんとうに、よかったぁ……)
鼻の奥が、つんとした。ピリカは、慌てて上を向いた。
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ローザが、ふふ、と笑った。
「……お嬢様」
店には、もう誰もいない。だから、お嬢様。
「『便利だけど…』が、『私にも、使える』になりましたね」
「うん」
ピリカは、新型の棚を見た。
朝並べた分は、もう半分になっている。
売れているから、嬉しいんじゃなかった。
返品の帳面に並んでいた『私には合わない』が、今日も、ひとつ消えた。——それが、いちばん、嬉しかった。




