第96話 約八十分の一の魔力消費
職人たちは、抱えていた仕事をぜんぶ、後回しにした。
誰も、手を止めようとしなかった。休憩の声すら、かからなかった。
「熱を奪う領域」と「熱を与える領域」。持ち込まれた原理の陣を作業台の真ん中に据えて、ああでもない、こうでもないと、ドライヤーの術式に組み上げていく。空気の通り道を通し、熱の受け渡しを繋ぎ、風を送る陣と噛み合わせ——。
そして、昼前。
「——できた」
作業台の上に、試作機が一台、載っていた。
見た目は、いつものドライヤーと、ほとんど変わらない。中身だけが、まったくの別物。
工房中の職人が、集まってきた。
「いくぞ」
若い職人が、ごくりと唾を飲んで——スイッチを入れた。
こぉぉ……。
——動いた。
吹き出し口から、温風。確かに、温かい。
職人のひとりが、比較用に並べてあったグリモワルド式に手をかざし、それから試作機に、もう一度かざした。何度も、往復させる。
「……温度、いつものと変わらねえな。あんな小さい陣だ、ぬるい風から改良が必要かと思ってたのに」
髪を乾かすのに、じゅうぶんな熱さ。今まで店で売ってきたあの温風と、手のひらでは区別がつかない。
そして、後ろに手をかざすと——ひやり。冷たい風が、出ている。
前から温風。後ろから冷風。設計の、通り。
「う、動きました! お嬢さん、動きましたよ!!」
「あ、はい、よか——」
ピリカが言いかけた、そのとき。
計測機の前に立っていた親方が——ぴたりと、固まった。
⸻
「……針が、動いとらん」
低い声だった。
「え?」
別の職人が、計測機を覗き込む。魔力の流量を測る、工房の備え付けの機械。試作や検品のたびに使う、見慣れた道具だ。
「あれ。……ほんとだ。針、動いてない」
「壊れたか?」
「いえ、さっきグリモワルド式で測ったときは、ちゃんと振れてました。……こっちの試作機だと、その——目盛りが、粗すぎるみたいで」
「目盛りが、粗すぎる……?」
工房が、ざわりとした。
親方が、無言で、自分でスイッチを入れ直した。
試作機は、何事もなく、温風を出し続けている。
計測機の針は——ぴくりとも、動かない。
「————精密測定器を、持ってこい」
⸻
工房の奥から、ガラスケースに収まった機器が、恭しく運ばれてきた。
普段は、王宮に納める術式の検証にしか使わない、工房でいちばん繊細な計測器。若い職人たちは、触ることも許されていない代物だ。
親方が、自らの手で、据え付けた。
試作機を、もう一度、起動する。
こぉぉ……。
精密測定器の、髪の毛ほどに細い針が——ようやく、ほんのちょっとだけ、動いた。
「…………」
「お、親方。目盛り、いくつですか」
親方は、答えなかった。
代わりに、もう一度、測った。——同じ。
計算尺を取り出して、何かを計算した。眉間に皺を寄せて、最初から、もう一度計算した。それでも信じられないという顔で、三度目を計算した。
それから、ゆっくりと、立ち上がった。
⸻
「お嬢さん」
「は、はい」
「これ——グリモワルド式の、約八十分の一だ」
「……えっ」
「約八十分の一の魔力で、同じ温風が出ている」
工房が、静まり返った。
「えっ、そんなにですか?」
ピリカが、きょとんと聞き返した。
親方が、ピリカを見た。
「……お嬢さん。自分で、計算してなかったのか」
「いえ、計算とかは……この仕組みならたぶん断然効率いいかなぁ、くらいで……」
「……」
親方は、深く、深く、息を吐いた。
額に手を当てて、天井を仰いで、もう一度、息を吐いた。
「……お嬢さん」
「はい」
「これは——革命だ」
「あ、よかった、ちゃんと動いて」
「いや、そういう話じゃ——」
「あ、そうだ。あとですね——」
——魔力消費、約八十分の一。親方はそれを「革命」と呼んだ。
だが、ピリカ・ベルフォードの起こす革命が、そんなところに収まるものではないことを——この直後、親方は、思い知ることになる。




