第90話 廉価版ドライヤー
その日、三本目だった。
「あの……ごめんなさいね。これ、お返ししたくて」
カウンターの上に、布に包まれたドライヤーが、そっと置かれた。
商家の奥さんらしい、身なりのきちんとしたお客様。申し訳なさそうに、何度も頭を下げている。
包みの中身は、先ごろ売り出したばかりの、廉価版だった。飾り彫りを省いて、材料を見直して、職人さんたちと一緒に、削れる原価も製造の手間も、全部削って——値段を、ぐっと抑えた型。貴族のお屋敷だけじゃなく、商家や、職人の家にも魔道具を届けたい。そのための、ピリカ渾身の、次の一手だった。
「品物は、とってもいいのよ。髪も、あっという間に乾くし。ただ……その、私には、ちょっと重くて」
「重い、と申しますと——持った感じが、でしょうか」
ローザが、静かに聞き返す。
「ううん、そうじゃなくて」
お客様は、少し言いにくそうに、声を落とした。
「使っていると……頭が、ぼうっとしてくるの。長く使った日は、夕方まで、身体がだるくて。……私、魔力が少ないものだから、きっと、それで」
「さようでございましたか。お辛い思いをさせてしまい、申し訳ございません」
ローザは深く頭を下げて、丁寧に返金の手続きをした。
「ご無理はなさらず。——またのお越しを、心よりお待ちしております」
お客様は、最後まで「いい品なのよ、ほんとうに」と繰り返しながら、帰っていった。
ピリカは店の奥から、そのやり取りを、じっと見ていた。
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閉店間際。
お客の絶えた店内で、ローザが備品のドライヤーを手に取った。明日の実演の練習だ。新しく入った試し用の髪飾りに、温風を当てて、動きを確かめている。
その横顔が——ふと、白くなった。
「ローザ、大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です。ちょっと、慣れていないだけで」
ローザはすぐに、いつもの顔に戻った。
——慣れていないだけ、ではない。
ピリカには、わかっていた。
ドライヤーは、使う人の魔力で動く——職人たちから、今までの魔道具と対比して「グリモワルド式」と呼ばれている仕組みだ。魔力の多い貴族には、何でもない消耗。でも、ローザには、重い。こまめに休みながらなら、一日の実演販売だって務め上げる。それでも、閉店後の練習まで重ねれば——ああして、顔から色が抜ける。
そして今日のお客様は、そのローザより、ずっと早く参ってしまうらしい。……もしかしたら、ローザは平民の中では、魔力が多いほうなのかもしれない。店で誰よりドライヤーに慣れているあの子で、あれなのだ。
ピリカ自身、似たようなものだった。長く使うと、じわじわと、底のほうから削られる感じがする。だから自分は、こまめに休みながら使う癖がついている。
でも——その「癖」を、お客様は知らない。
「……便利、なんですけどね」
ローザが、手の中のドライヤーを見つめて、ぽつりと言った。
「便利、なんですけど。——私たちには、ちょっと、重くて」
私たち。
その言葉が、ピリカの胸の真ん中に、ことんと落ちた。
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閉店の札を出して、二人で棚を整えながら——ピリカは、ぽつりと言った。
「今日の、三本目のお客様さ。……きっと、一生懸命お金を貯めて、買ってくれたんだと思う」
「……はい」
「品物はいいのよ、って、最後まで言ってくれてた。悪いのはこっちなのに、謝りながら、帰っていった。——ねえ、ローザ。今後は『問題なく使えるかどうかを試す用』を、売る前に試してもらうようにしようか。『魔力量が足りないと、体調に問題が起きる可能性があります』って、ちゃんと書いてさ」
「お嬢様。……お気持ちは、わかります。ですが——お客様の症状は、長くお使いになって、初めて出るものです。店先で少しお試しいただいたくらいでは、きっと、わかりません。『大丈夫』と思ってお持ち帰りいただいて、お家で、同じことが起きるだけかと」
「それは、そうだよねぇ……」
ローザの言うことは、正しい。注意書きを添えることは、できる。やらないよりは、ずっといい。でも、それは——傷に当てる布であって、傷を治す薬じゃない。
「……やっぱり、根本は『使う魔力量を減らす』ってところだよね。お師匠様にも、相談してみる」
「はい。よろしくお願いします」
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その夜。
店の帳場で、ピリカは返品の記録を見返していた。
今月、五件。理由の欄には、似たような言葉が並ぶ。『気分が悪くなる』『疲れる』『私には、合わないみたい』。
五件。たった五件——ではない、と思う。返しに来られた人が五人なら、黙って棚にしまい込んだ人は、その何倍もいるはずだ。
——そして、思い出した。
お披露目の会の、あのメイドさん。
夫人の長い髪を乾かし続けて、ふらりとよろめいて——壁際で、そっと頭を押さえていた、あの人。
あのときの小さな違和感は、歓声にまぎれて、流れてしまった。
(……流しちゃ、いけなかったんだ)
ドライヤーは売れている。ピリカ・ピリーラは繁盛している。職人さんたちが改良を重ねて、軽くなって、静かになって、安全になって——いい商品に、なったはずだった。
でも、その「便利」は——魔力のある人の、便利だ。
魔力の少ない人には、重い。
昔の私と、同じ側の人たちには。
値段なら、下げられる。廉価版では、職人さんたちと、削れるものをちゃんと削った。原価も、手間も。それでも、職人さんたちの利益は、ちゃんと残す。利益を残したうえで、手が届く値段に抑える——そのために、いくつもの壁を、越えてきたつもりだった。
でも、ほんとうの壁は、そこじゃなかった。
ピリカは、帳簿の端っこに、小さく書きつけた。
『魔力が少ない人でも、ほんとうに楽に使えるものを』
書いてから、しばらく、その一行を見つめた。
——どうやって?
答えは、まだ、どこにもなかった。




