第87話 落ちこぼれたち、目覚める
完成した『はじめての魔術』は、まずティナの手から配られた。
空き地の教室に来ている子たちと、来たくても来られなかった子たちへ。
「これ、ピリカちゃんたちと作ったの。読んでみて」
受け取った子たちの反応は、だいたい同じだった。
「……こんな薄い冊子で、魔法が使えるようになるわけ……」
16ページ。手書き。表紙は丸っこい字。
どこからどう見ても、偉い学者の本ではない。半信半疑——いや、九割疑いで、みんなページを開いた。
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数日後。学園の裏庭。
「えっと……『空気は透明で、どこを押しているのか、わからなくなります。はじめは、かるい綿をひとつ、掌にのせてください』……」
一人の生徒が、冊子を膝に広げて、掌に小さな綿を乗せた。
「『綿を、ふわっと押すつもりで。綿がころりと動けば、空気も、一緒に動いています』……」
じっと綿をにらんで、すうっと息を吸って——
ころ。
「……う、動いた」
「え、うそ」
「動いたよ! ねえ、今、私が動かしたよね!?」
二度、三度。そのたびに綿は転がって——三度目には、ふわりと浮いた。続けて、周りの空気が流れ込んで。
そよ、と。
風が、起きた。
「…………出た。風、出た」
「ほんとに出た!? ど、どれ、私も! 綿ちょうだい!」
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別の日。教室の隅。
「だめだ、火が出ないよ」
「あ、待って。ここ読んで。『火が出ない人は、いちどに、ぜんぶやろうとしています。「炎よ、出ろ」は、燃料も、熱も、空気も、ぜんぶいちどに創ってもらう、いちばん重たいやり方です。——分けましょう』」
「わ、分ける……?」
「『魔力で創るのは、燃料だけ。まずは、豆つぶひとつぶんで、じゅうぶんです。着火は、ほんの一瞬ですみます。空気は、創ってはいけません。そこにあるものを、送りこむだけ』」
「燃料だけ……豆つぶ、豆つぶ……——着火は、一瞬……」
ぽっ。
「————ついた!! 私、火、出せた!! 生まれて初めて!!」
「声大きい! 先生来ちゃう!——あ、待って、続きがある。『ついたら、そっと空気を送りこむと、少ない燃料でも、よく燃えます』」
「空気を送る……あ、第3章のやつだ!」
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また別の日。
「ピリカちゃん!」
ティナが、廊下の向こうから駆けてきた。
「みんな、できるようになってるよ! 冊子読んだ子、ほとんどみんな!」
「え、もう?」
「うん。すごいよ、あの冊子。——あのね、それでね」
ティナは、声をひそめて、嬉しそうに続けた。
「できるようになった子がね、自分の分を、また別の子に貸してるの。今、冊子、学園の中をぐるぐる回ってる」
「ぐ、ぐるぐる……」
手書きの十数冊が、学園のどこかを、今も回っている。
なんだか、不思議な気分だった。
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一方、その頃。
ピリカ・ピリーラの店の片隅にも、ひっそりと、『はじめての魔術』が10冊、置かれていた。
「……お嬢様。こちらは」
ローザが、値札を書きながら聞いた。
「魔術の冊子。せっかくだから、お店にも置いてみようかなって。……売れたら、いいなぁ」
結果から言うと——
売れなかった。
一冊も、売れなかった。
店に来るのは、ドライヤーとシャンプーが目当ての貴族の奥様方だ。誰も、棚の隅の手書きの冊子になんて、気づきもしない。気づいても、「あら、かわいらしい」で素通りだった。
「う、売れない……魔道具はあんなに売れるのに……」
「ドライヤーは、本日も完売です」
「そっちはさすがだね……」
ピリカは、棚の隅の10冊を、ちょっとだけ整え直した。
まあ、いい。売るために作ったわけじゃないし。
——このひっそりとした10冊が、後の世でどう語られるかなんて、このときのピリカは、知るよしもない。
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学園では、変化が静かに広がっていた。
六年間、的を倒せなかった子が、的を倒す。
火を見たこともなかった子が、自分の指先に灯りをともす。
成績表の下の方にいた子たちの背筋が、少しずつ、伸びていく。
——できないのは、才能のせいじゃなかった。
——誰も、仕組みを教えてくれなかっただけだった。
目の前で起きている小さな革命の正体に、先生たちはまだ、誰も気づいていない。
でも——とある公爵家の書斎に、一冊の『はじめての魔術』が届くのは、もう間もなくのことだった。




