第86話 16ページの教科書
何度目かの週末。
「ね、ねぇ。これ……ちゃんと、伝わるかな」
ふと、ティナが手を止めて言った。
ピリカとアリサも、顔を上げた。
「読んでくれる子は、たぶん、いっぱいいるの。教室のみんなでしょ、来たくても来られない子たちでしょ……に、20人は、かたいの。でも、だからこそ——この教科書だけで、本当にできるようになるのかなって。私たち、誰もそばにいないのに」
「あー……」
ピリカも、ペンを置いた。
教室でなら、つまずいた瞬間に、隣にしゃがんで直してあげられる。でも、本は、しゃがんでくれない。
「それにね、湯気とか、露とか……し、信じてもらえるかな。私、直接教わったときでさえ、半分疑ったんだよ? 紙に書いてあるだけだったら、なおさら……」
「そのときは、実演すればいいのよ」
アリサが、こともなげに言った。
「読んで、半分疑って——それでも気になった子は、週末、空き地に来るわ。来たら、目の前でやってみせればいい。掌の綿も、水玉も。……そもそも、あなたが言い出したのよ? 『わからないところだけ、教室で聞いてもらえばいい』って」
「……そ、そうだった」
「本で知って、教室で確かめる。教室でつまずいたら、家で本を読み直す。——両方あるって、そういうことでしょう」
「……なんか、それ、すっごく強くない?」
「つ、強いかも……!」
「ふふ。強いわよ」
三人で、声を立てて笑った。
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そして——完成した。
全16ページ。糸で綴じた、薄い薄い冊子。
表紙には、ピリカの丸っこい字で、こう書いてある。
『はじめての魔術』
タイトルは、ティナの案だった。「私たち、はじめてできた側だから」——それ以上の理由は、要らなかった。
「で、できたぁ……!」
「できたわね……」
「できたよぅ……!」
三人は、手分けして書き写した二十数冊を前に、しばらく余韻に浸った。
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「ほう。なんじゃ、それは」
いつもは素通りするグリモワルドが、コーヒー片手に、足を止めた。
「あ、お師匠様! できたんです、冊子! みんなに魔術を教えるための——えっと、ドウジンシです!」
「……どうじんし」
グリモワルドは、微妙な顔で一冊を手に取った。
ぱらり、ぱらりと、ページをめくる。
火を起こす。水を出す。風を起こす。子供にもわかる言葉で、絵をつけて、つまずく場所には先回りの注意書き。
ぱらり。ぱらり。
めくる手が、だんだん、ゆっくりになっていった。
最後のページまで読み終えて、グリモワルドは、しばらく黙っていた。
「……お師匠様? あの、変なところ、ありました……?」
「——これは、良いものじゃ」
いつもの茶化すような調子が、そこにはなかった。
「続けよ」
それだけ言って、冊子をそっと机に戻すと、グリモワルドは奥へ歩いていった。
三人は、顔を見合わせた。
「……今、褒められた?」
「褒められたわね」
「褒められたよね!?」
あのお師匠様が、茶化しもオチもつけずに、ただ「良い」と言った。
それがどれだけ珍しいことか、ピリカが一番、よく知っていた。




