第85話 創るは才能、動かすは知識
次の週末から、教室が終わったあとの午後は、「執筆合宿」に変わった。
場所は、グリモワルドの家の居間。
机の上には、束ねた紙と、羽ペンと、インク壺。床には、書き損じの紙が、丸めて転がっている。
グリモワルドは、何をしているのかと聞きもせず、コーヒー片手に、机の横を素通りしていく。
「ピリカ、火の章でひとつ確認」
アリサが、書きかけの紙から顔を上げた。
「工程は、三つに分けたわ。——『燃料を用意する』『着火する』『空気を入れる』。空気を入れるのは、そこにある空気を動かすだけだから、ほとんどタダ。着火も、ほんの一瞬だから、微量でいい。……ここまでは、合ってるわよね?」
「うん、かんぺき!」
「問題は、最初の『燃料』よ」
アリサが、ペンを止めた。
「風の空気や、水の水蒸気とちがって——燃えるものだけは、そこらの空気の中にないでしょう。手の先に、ぽっと火を出したいとき、燃料だけは、魔力で創るしかない気がしているの。……これ、どうにかなるの?」
「あー……そこはね、どうにもならないの」
ピリカは、あっさり白状した。
「もともとあるものを『動かす』だけなら、魔力はほとんど要らない。でも、創るのは、どうしても魔力を食べちゃう。だから火だけは、燃料のぶん、どうしても重い」
「じゃあ、火の章には、正直にそう書くわ。『火は、風と水ほどは、軽くなりません』って」
「うん。……でもね、それでも半分くらいには、なるんだよ」
ピリカは、身を乗り出した。
「今までの魔法は、『炎よ、出ろ』で——燃料も、熱も、燃えるための空気も、ぜーんぶいっぺんに、世界に作ってもらってたの。だから、あんなに重かった。魔力で創るのを『燃料』だけにして、着火と空気は、自分でやる。三つの工程を、頭の中でちゃんと分けてイメージする。——それだけで、半分になる」
「半分なら、じゅうぶん書く価値があるわね」
アリサのペンが、また走り出した。
(……あれ?)
ふと、ピリカが、止まった。
(学園の試験が、ファイアボールなのって——もしかして、これが理由?)
もし試験がウォーターボールだったら、雨上がりの日は、空気から集め放題で、簡単になってしまう。ウィンドカッターだったら、そこにある空気を動かすだけだから、覚えさえすればほとんどタダ。——でも、火だけは、絶対にごまかしがきかない。燃料を、自分の魔力で創るしかないから。
(あの試験、属性でも、技でもなくて——純粋な魔力の量『だけ』を、はかってたんだ)
誰が決めたのかは、知らない。たぶん、ずっとずっと昔からの、経験則だ。でも、その経験則は、恐ろしいくらい正確に、急所を突いていた。魔力の量が足りない子だけを、まちがいなく、ふるい落とせるくらいに。
(……よりにもよって、いちばんごまかしのきかないやつで、はかられてたんだなぁ、私)
少しだけ、笑えた。恨む気には、ならなかった。あの試験は、「魔力が足りない」と、正しく言っただけだ。——足りなくても火を点ける方法を、誰も知らなかっただけで。
「ほへー……」
ティナが、二人のやり取りを、ぽかんと口を開けて聞いていた。
「じゃ、じゃあ、まとめると……『創る』のは才能がいるけど、『動かす』のは、知ってればできる……ってこと?」
ピリカの手が、一瞬、止まった。
——覚えの、ある言葉だった。
物置小屋の裏で、掌に綿を乗せた、あの日。「風を『創る』には才能がいるけど」——私が最初にティナに言った言葉が、一周まわって、まとめになって、帰ってきた。
「…………そう。そう、それ。ティナ、それ、すっごくいいまとめ」
「え、えへへ。……だって、最初に教わった日から、ずっと覚えてたから」
「もらっていい? いちばん最後のページに、詳しく書いておきたい」
こうして、冊子の最後のページには、三人の合言葉が、丸っこい字で載ることになった。
『創るは才能、動かすは知識。』
⸻
「ピリカちゃん、わ、私も! 水の章なんだけど」
ティナが、紙を差し出した。
「『空気の中に水が溶けてる』って書いたんだけど、なんか、嘘っぽく見えないかな……。私、最初に聞いたとき、半分疑っちゃったから……」
「あー、わかる。私も最初、信じられなかった」
ピリカは、ティナの紙を覗き込んだ。
「じゃあさ、その疑った気持ちごと、書いちゃおう。『信じられないと思いますが、本当です。だから雨が降ります』って」
「そ、それでいいの!?」
「いいの。読む子も、ぜったい同じこと思うから。——先回りして、答えておくの」
「せ、先回り……」
「それでね、その下に、証拠を並べよう。魔力がなくても、誰でも、今日のうちにたしかめられるやつ」
「しょ、証拠……? そんなの、あるの?」
「あるよ、いっぱい。——たとえば、湯気」
ピリカは、台所の方を指差した。
「お湯が沸くと、湯気が出るでしょ。白いもやもやが、のぼっていって——途中で、ふっと、見えなくなる。あれ、消えたんじゃないの。空気に、溶けたの」
「あ……」
「で、その『見えなくなったあたり』に、手をかざすと——」
「て、手が、湿る……!」
ティナが、目を見開いた。
「そう! 空気に溶けた水が、冷たい手にぶつかって、水に戻るの。見えないだけで、ちゃんと、そこにいるんだよ」
「冬の朝も、そうよね」
アリサが、ペンを止めて言った。
「吐いた息が、白くなる。あれも、息の中に溶けていた水が、冷たい空気に触れて、見えるようになっただけ。——あとは、お風呂の鏡。あれが曇るのも、同じ」
「あ! じゃ、じゃあ、朝の草についてる露も、もしかして……!」
「そう! 夜のあいだに冷えた草に、空気の中の水が、くっついて戻ってきたの。——誰も水をまいてないのに、朝になると濡れてるでしょ? あれ、ぜんぶ空気から来てるの」
ティナが、ものすごい勢いで、紙に書きつけ始めた。
やかんの湯気。冬の白い息。曇ったお風呂の鏡。朝の草の露。
「それで、いちばん大きな証拠が——空の上」
ピリカは、窓の外を指差した。
「雲はね、ぜんぶ水なんだって。空気に溶けきれなくなった水が、小さな粒になって、集まって、浮かんでるの。それがもっと集まって、重くなると——落ちてくる。それが、雨」
「く、雲が、ぜんぶ水……」
「……っていうのをね、ぜんぶお師匠様から聞き出すの、すっごく大変だったんだよ。アリサと二人がかりで」
「『ま、そういうもんじゃ』で終わらせようとするのよね、あの方」
アリサが、くすりと笑った。
「……ほんとに、そこらじゅう、水だらけなんだね」
ティナが、書き終えた紙を見つめて、ぽつりと言った。
「そこらじゅう、水だらけなの。だから、創らなくていいの。——集めるだけで、いいの」
水の章の下書きには、疑いへの返事と、四つの証拠と、最後にこう並んだ。
『ぜんぶ、空気の中の水です。ためしてみてください』
⸻
書いてある中身は、学園の教科書とは、まるで違う。詠唱の正しい発音でも、魔力の込め方でもない。——燃えるためには何が要るのか。水はどこにあるのか。風とはそもそも何なのか。
世界の仕組みを知って、その仕組みの、いちばん軽いところだけを、ちょんと押す。
三人が教わって、できるようになった、その道筋のぜんぶ。




